2007年12月

だらだらと年末を過ごしています(苦笑)

 今は12月30日の昼下がり。年内の仕事は28日夜で終わったので、がんばって夜中に更新しようと思ったのだが、先日のありちゃんの書き込みに刺激されて(←言いわけ。笑)、ゆーちゅーぶを観まくっていたら、明け方になっていた。全日本選手権での、真央ちゃん、ミキティ、高橋くん、ついでにトリノオリンピックでの荒川選手の演技(もう数十回は観ている!)まで、それぞれ何度もリピートしてしまったのだ。

 私のスケート歴は22歳ぐらいでストップしている。当時、左京区郊外の八瀬遊園地に屋外スケートリンクがあって、そこに滑りに行っていた。といっても、手すり磨きが8割(苦笑。中央で滑るのは怖いので、いつでも手すりにつかまれる周辺でそろそろと滑るのである)。とりあえず滑れますレベルにとどまっていた。あー、そういえば、下宿の近くにできた「高野アリーナ」でも何度か遊んだことがあるなー。いまはもうこのスケート場はなくなっているけれど(ショッピングセンターになったらしい)。

 そんなレベルだから、フィギュアスケートの技術=回転の種類がどうだとか、ストレートラインがこうだとか=はまったく分からず、ただ、一観客として、観ていて気持ちがいいかどうかだけが鑑賞&感想の基準である。

 このところショートプログラムで失敗続きだった真央ちゃんが、転倒もなく素敵な演技を披露したあとのインタビューで、「(前の衣装でずっと失敗していたので)、衣装でも変えてみようかなと思って変えたのがよかったと思います」と語っていて、妙に納得した。彼女に限らず、ダサイ衣装で失敗するケースがとても多いような印象を抱いていたからだ。

 トリノでの荒川選手の衣装(スカイブルーと濃青のツートンカラーで左右を分けていた)はとりわけ美しく彼女の演技を引き立てていたし、今回の真央ちゃんのショートの衣装も、おこちゃまから脱皮したきれいな衣装だった。

 いつまで掲載されているか分からないけれど、とりあえずゆーちゅーぶは下記。
 (日本人アナウンサーのしゃべりが超クサイのは、諦めてください。苦笑)

 荒川選手のトリノでのロングプレイ
 http://www.youtube.com/watch?v=etuXMmi2frg&NR=1
 真央ちゃんのショートプレイ
 http://www.youtube.com/watch?v=qGt7f--0dHw

 そうそう、4回転ジャンプ2回を成功させた高橋くんのプレイも紹介せねば(笑)。
 http://www.youtube.com/watch?v=ypja5wTBQsI

 織田くんが出場を辞退したのも良かったと思う。彼に対するスケート連盟の処分は、国際競技は年内、国内戦は10月末まで出場停止、という変則的なもの。これには、来年の世界選手権に高橋くんと織田くんをともに代表として出場させたいという連盟の思惑があって、世界選手権の出場選手を決める今回の全日本選手権前に処分が解けるようにしていたわけだ。発想がせこい。

 全日本に出場しなかった織田くんは世界選手権への出場もなくなったわけだが、それはそれですっきりしていていい。来年以降、活躍の場はいくらでもあるからねー。

 織田くん関係では、彼と一緒にサウナに入って焼肉を食べてビールを飲んでいた関大の教職員3人に何らかのおとがめがあったという話は聞かない(ウェブサイトにもお知らせなどはない)。ま、有名人との関係は特別ということでんな。

 そして昨日29日。まだDVDクリーナーは購入していないのだが(ヨドバシに行く時間が取れない)、試しにDVDを入れてみたら、すんなりと認識してくれた。あれれれれーというわけで、ひさーしぶりに『2001年宇宙の旅』を観始める。

 いや、びっくりした。初めてのセリフが出てくるのは、映画が始まって30分も経ってからだったのねー。3時間以上ある長編なので、まだ前半しか観ていない。今日、掃除洗濯がそれなりにできたら、ご褒美に後半を観てもいいことにしてあげるぜ>私(笑)。

 最近は、「洗濯物は夜室内に干す」がすっかり定着している。この晩秋から冬にかけては空気の乾燥した日々が続いていたが、11月中旬にビル暖房が始まって以来、乾燥が一層ひどくなり、朝起きると唇がカパカパにかさついてしまっていた。もちろん、寝る前に暖房のスイッチは切るが、それでも暖かい分だけ乾燥するようなのだ。

 そこで、ふと思いついて、寝る前に洗濯物を干してみた。そして翌朝…、唇の荒れがひどくない。ほとんどの洗濯物(下着や小物、カットソー)は乾いている。それほどに室内の湿度が低いわけだ。加湿器を買う予定はないので、当分は、洗濯物を簡易加湿物(?)として活用しよう(笑)。

          *        *        *

 今夜から冷えが一段と強まり、雪も降るらしい。そんななか、我々は明朝、大雪の予想される北陸に向かって出発する。メンバーはいつも通り、夫の母、夫の弟と姪っ子、私たち夫妻の5人。大晦日と元旦は温泉を楽しみ、元日の夜は、夫の母宅で(たぶん)しゃぶしゃぶ大会である(夫の母と同居しているお姉さん一家は、別荘でスキー三昧だと思われる)。

 そんなわけで、おせち料理は作らず、年賀状も出さない、いつもと変わらぬ休日をだらだら過ごしているところだ。

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 塾の仕事は、新年早々、1月19日の主要私立中学受験(A日程、1次試験)に向けて、最後の「追い込み」に入る。

 「公立でいじめられるのがいやだから」私立に行くという少年たちの中には、まだ馬力のかかっていない者もいる。大丈夫ですかと主任さんに尋ねたら、「第1志望の2次試験にも落ちた場合は、今の成績で合格できる他県の私立中学校に行かせると、親御さんがおっしゃっています」とのこと。

 ここまで敬遠される公立中学とはナンだ?! という気分になってしまう。たしかにこの少年は個性が強く、見ようによっては「超生意気」なので、同級生のみならず、教師にも嫌がられる可能性は高いが。少人数制の私学なら、それをふまえてフォローしてもらえるということ? 私学には学級崩壊もいじめもないのか??

 「塾で一番怖いのは井上先生」と語っている生徒ちゃんがいるそうだが(わはは)、その彼は最近がぜんやる気を出して、私に叱られても叱られても食いついてくる。せめて半年前からこうであれば、第1志望校に合格できる力をつけられたのにねぇー。

 チック少年は厳しい状況にある。母親は「奇蹟を信じて受験させます」の一点張り。塾頭さんがチックのことを話しても、これまでは「家ではそんなことありません」と答えていたが、最近になって、2カ月近くも前に小学校の担任の先生に呼び出され、「受験勉強に追いつめられてかなり参っています」と、授業中の落ち着きのなさを指摘され、対応を変えるよう促されていたことがわかった。それでも母親は「お受験」をやめようとはしない。

 この少年、小学校での成績は上位である。現在の成績で合格できる私立中学校はいくつもある。実際、塾に来た当初は、比較的評判がよく合格可能性の高い、某私学を受けさせるとの話だった。ところが、同じ小学校からその私学を受験する生徒が何人もいると分かると、「そんなところにはやりたくない」と、母親が超難関校に志望校を変えた。本人の意思はまったく入っていない。

 去年、T学園の生徒が自宅に放火して義理の母親と弟・妹を死なせるという事件があった。父親に追いつめられた結果の行為だったというが、くだんの少年を見るたびに、この事件のことが頭をよぎる。いまは健気に母親の期待に応えようと「がんばっている」が、緊張の糸が切れたとき、誰が支えてやれるのか…。

          *        *        *

 そうそう、T学園の生徒の事件を素材にした自称ノンフィクション本が発行された後、著者に秘密を漏示したとして、精神鑑定医が逮捕・起訴された件についてひとこと書いておこう。出版社や諸団体が、医師の逮捕起訴は「表現の自由」を侵害する「国家権力の介入」であるとして、抗議声明を出している。「正論」ではあろうが、私はそれにすんなり同意できない。この医師は脇が甘かったと言わざるを得ないし、それ以上に、著者に「?」があるからだ。

 この本がまだ書店に平積みされていたころ、例によって私は立ち読みした。とても不快になった。この著者に、事件の背景を社会的問題として真摯にとらえようとの意図があるとも、取材源を秘匿する意志があるとも、思えなかった。売名(と、それに伴う収入)が目的なのでは? との疑問が生じた。

 帰宅後、ウェブサイトで調べたところ、案の定、あるわ、あるわ、彼女を批判したサイトが(苦笑)。この女性、法務教官時代に、神戸の連続殺傷事件の加害者A少年の担当だったという。で、彼が医療少年院を退院するのに合わせて、その「矯正記録」を出版している。佐世保で少女が同級生を殺した事件に関する本も出版している。世間の注目を集めた少年少女の事件を取材・出版することで、内容の質にかかわらず「注目」されるというわけだ。

 しかし、科学的根拠のまったくない主張をして「トンデモ本」に指定されたり(苦笑)、某ノンフィクション賞にノミネートされたにもかかわらず盗作疑惑が浮上して賞を逃したり、取材の過程でトラブルを起こし、被害を受けたという「元親友」に「告発する会」を作られたりしている。告発の内容は(も?)「被害者」のネタを横取りしたというものだ。ほへほへほー。

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 おっと、もう8時半だ。なんと、6時間もパソ前に座り続けていたことになる。ブログを書く合間合間にメールをチェックしたり、あちこちのサイトを見に行ったりもしてるので、実質的にブログを書いている時間はうんと短いのだけれど。

 お腹が空いてきたので、これから夕飯の支度に入る。これが今年最後の更新になるかもしれない。

 皆さんの迎える新年が穏やかで心地いいものでありますように!!

 2007年12月30日 はね奴

 

都市伝説 幽霊団地(笑)

 ある中3男子、塾を退出する間際にいきなり話し出した。「怖い話があるねん」。真顔である。「あんな、うちのお母さんがな、幽霊に会うたんやて…」。

 彼はいたって気さくないい感じの少年である(すでに青年の入口といった雰囲気だが)。勉強は良くできるわけでもできないわけでもなく、中くらいの成績。嫌味がなく、顔もすっきりしていて、オモロいこともしゃべるので、関西ではけっこうもてるタイプだろう。友達も多く、仲のいい友人たちと同じ公立高校をめざしている(いずれも、よほどのアクシデントがなければ合格するはずだ)。

 そんな彼が思い詰めた表情で語り始めたものだから、その場にいた講師3人と塾頭さんの全員が、彼に注目した。話はこうである。
 うちのお母さんは若いころ暴走族やってて、○○団地の周りを走って遊んでたんやて。そんで、団地のエレベーターに乗ったら、誰もボタンを押してへんのに、上がったり下がったりして、1時間も閉じ込められたんやて。
 あそこは昔、悪いことをした人がいっぱい殺されて埋められた場所やから、そこに団地を建てることにはみんな反対したのに、建ってしもて、そやから、埋められた人らが幽霊になって出てくる、て。この前行ったらなんかおかしかったから、お母さんに話したら、幽霊がいるから、あそこには行ったらあかんて言われた。


 実は、講師間で一番受けたのは、「お母さんが暴走族やってた」というくだりである。さすが大阪下町である(笑)。「お母さん」と直接会って話したことがあるのは塾頭さんだけだが、「元気なお母さんですけど、普通の方ですよ(笑)」と。私も暴走族の被害を受けている(団地横の直線道路が、夏にはしばしばサーキットになる)わりには、ヤンキーや暴走族に甘い面があるしね(ははは)。

 と書けばネタバレ同然だが、そう、彼の語る○○団地とは、私の住むこの団地であーる。

 「私、そこに住んでるんやけど」と口にした時の彼の表情ときたら! まさに「おびえ」そのもの、顔面蒼白にして引きつっていた。本気で怖がってるー(ははは)。

 彼によれば、お母さんが幽霊に怖い目に遭わされた(?)のは、私の住む棟ではなく、同じ団地内にある高層棟のエレベーターだったそうな。常識的に考えれば、暴走族のガキどもがエレベーターに乗り込んだのを見た住人が、外側(フロア)の違った階に移動しつつ、「族」が乗った「箱」のボタンを押しては、エレベーター前のフロアから立ち去っていた…というケースが考えられる。あるいは単純に、エレベーターの制御関係が故障していたのかもしれない。

 ともあれ、「族」だったお母さんは、それから二度とうちの団地には近寄らなかったそうだ。すでに30年も前の話である。

 あんまりおもしろかったので、帰宅後、この地域の「歴史」について調べてみた。

 ここは大昔(縄文時代)は浜辺だったようで、いくつもの貝塚が見つかっているという。その後、土砂の堆積etc.で陸地となり、(途中はよくわからないが)、秀吉が大坂城を築いたときには、大坂城壁の内側に位置していたようだ。

 徳川時代に大坂城が再建された時には城外になり、明治以降は陸軍の練兵場になったが、15年戦争の最中に、拡張された陸軍大阪砲兵工廠の一部となった。

 兵器製造地帯ゆえ、米軍の攻撃対象になった。一度ならぬ空襲による死者は相当数に上るだろう。不発弾も多数埋まっているようで、私が引っ越してきてからしばらくはずっと、年に一度は自衛隊がやってきて、新しく見つかった不発弾の処理をやっていたものだ。JRが止まり、住人に「避難」が勧告された年もあった。

 そのような歴史がいつの間にか「悪いことをした人が殺された」場所にすり替わり(刑場があったのかと思ったが、調べた範囲ではそのような記述はなかった)、恨みをもつ幽霊が出没する場所として、30年間も語り継がれだのだろうか? 私はあの棟の2階(都市機構の事務所がある)以上には上ったことがないので幽霊の存在については意見の言いようがないのだが(わはは)。

 NHKFMが年末恒例の「バイロイト音楽祭」の録音実況を始めた。ワーグナー、もういいって! と文句を言っても詮無いこと。ラジオを聞かない夜長は静かに更けていくのであった。

『恋空』とメディアリテラシー

  土曜の午後は、メル・プラッツ主催の公開研究会「“学び”とメディアの間を結ぶもの」に参加した。第一部のコメンテータ2人は、わがゼミの恩師と、阪大コミュニケーションデザインセンター(CSCD)のセンセ。彼の講義は取っていないけれど、これは参加するしかないでせう>私。

 というわけで、京都へ。午後1時半から夕方6時まで、いろいろ考えさせられるシンポであった。

 シンポに対しては疑問もいくつかあって、その最大のものは、ポットに用意されていたのがスタバのコーヒーだったということ(ははは)。心でケチをつけつつ、休憩ごとに2杯も飲んだが(笑)、やっぱり不味かった。

 東京もんには、あの不味さが分からんのかねー!(♪ああ 東京差別〜) 京都でやるなら、せめてイノダのコーヒーにしませうよ、京都駅地下のポンタ(正式名称はポルタ)にちゃんと店があるんだからー。

 さて、シンポ全体をひとことで表わすならば、「社会学系なんだな」(byクボケン。彼は、関大総情の隣りのゼミのセンセ)。いたく納得しつつ、そうか、私はすっかり「教育系」の人になったのだわ、と、再認識したのだった。

 メル・プラッツの中心人物である水越伸東大准教授の本を、私はたぶんすべて読んでいる。「明和電機」の初期のイベントに彼が「話し手(解説者?)」として出席したのを見て、勝手に親近感も抱いていた。ただ、2005年発行の著書『メディア・ビオトープ』には触発されるものがなく、がっかりしたことを覚えている。卒論の参考文献の中には、水越センセがむかーし監修された本の論文は引用しているのだけれど。

 わたしの関心が「社会学的なるもの」から「教育」に焦点を移したから物足りなかったのかな、と、クボケンのひとことを聞いて思った。

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 話をシンポに戻して、こんな実践でいいんかい? というのが、以下の文章で書くことである。

 第2部のコメンテータのお1人は、ニューカマーの韓国人の先生だった(日本語の発音がまだスムーズではなかった)。彼女はインターネット上にドキュメンタリー映像や画像を配信するサイトを立ち上げ、ドキュメンタリー作品を広義のメディアリテラシー授業に活用している。

 昨日のシンポで見たのは「1/4」という作品。タイトルは、映像の作り手(学生)に韓国人の血が1/4だけ流れている、つまりクォーターであるという意味らしい。
 語り手は自分を「在日」と信じており、それを自分の「アイデンティティ」としていた。ところがある日、親に、自分は「在日ではなく日本人」だと知らされる。ビデオではその事情にいっさい触れないので想像するしかないが、たぶん祖父母あるいは両親のうち韓国/朝鮮籍だった人が、どこかの段階で帰化したのだろう。

 彼は、「純血」(ママ)の朝鮮人グループと知り合う。高校までずっと朝鮮学校で学んだ、北朝鮮籍の人々である。彼は最初、自分が「在日」ではなく「日本人」であることを隠すが、途中から「純血」を重んじる人々に疑問を抱き、自分は「日本人」だと告白する。グループの男性は、「そんなん全然関係ないし」と、ビデオカメラの前で、やらせ感満載の握手を、彼と交わす。


 このビデオ自体、突っ込みどころ満載なのだが、韓国人の先生は、公開ワークショップでこのビデオを素材として参加者に見せ、「アイデンティティ」をキーワードにしたドキュメンタリービデオを制作するよう促す。

 その結果できた作品として見せられたのは、結婚していない男性(20代〜30代半ば?)へのインタビュー(「結婚したいですか?」といった問いに相手が答える)をまとめた作品。なーんも面白くなかった。

 CSCDのセンセも、講義の中で受講生が制作した「編集一切ナシ」の1分間ビデオを2作品紹介。その1本では、私と同じ講義も取っている社会人学生(といっても20代)の女子が主役(?)を演じていて、ついニヤニヤ。作品を紹介しながらセンセは、「どこかで見たような作品」しか出てこないことにがっかりし、腹が立ったとおっしゃった。

 それを受けての韓国人先生の発表だったので、彼女が言いたかったのも、参加者の意識なり作品なりが、提起したテーマとズレてしまっている、あるいは、「期待はずれ」の内容だった、ということかもしれない。ただ、ご本人のまとめは、「受講者アンケートによればワークショップの満足度が高かった」だったので、「???」なのだが。

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自分の枠を広げよう/拡げさせようとしない、という傾向

 韓国人先生のワークショップの参加者(10代〜60代)には、在日について知らない(ほとんど考えたことがない)人が少なからずいるだろう。ビデオの作者も語っていたが、日本の学校教育の中では、在日の問題にほとんど触れないからだ。

 私が講師なら、この作品のテーマを「アイデンティティ」に限定せず、参加者に自由に意見や感想を出してもらうところから始めるだろう。そして、もしも私が受講者なら、「在日」について、より詳しく知りたいと考えるに決まっている。…なぜなら、何十年も前に実際そうしてきたからだ。

 リブ時代、活動の中心は「勉強会」だった。いまは駐車場になっているが、四条河原町高島屋の南側に南昌院というお寺があり、1人500円で、3時間ほど部屋を借りることができた。お寺さんなので、少人数の集いは襖で仕切った部屋、ゲストを招いて大がかりに話を聞く日は大部屋(小部屋の襖を外す)と、臨機応変である。

 勉強会や公開講座のテーマは、そのときどきに関心を持ったもの。「この指とまれ」方式で、人数に関わらず勉強した。私自身が呼びかけて、いま振り返っても「役に立った!」と思うものの一つに「防衛白書を読む」がある。数年間はやったはずだ。

 「白書」を読むにはリテラシーが必要である。労働白書ならまだ実感を伴って読めるが、「防衛」のことなどまったく分からない。分かりもしないのにただ「反対」だけを口にするのは自分の知性が許さない(わはは!)。白書の内容を理解した上で自分の立場を明確にしたい、というのが私の狙いだった。

 自力で課題を乗り越えられないときには、「誰か」の助けを頼む。当時は、どんなに有名な大学教授でも、無名の女性グループの依頼に快く応じて、話をしにきてくださったものだ。

 「在日」に話を戻せば、身近にいる在日の友人(複数)に話を聞く機会を持ち(雑談ではなく、公的な話者として勉強会に来てもらった)、運動団体の方々(日本人、韓国人、朝鮮人)に話を聞いた。私個人は、東九条40番地の子ども会活動にも少しだけかかわった。

 つまり、何らかのテーマに遭遇したとき、それを理解するために、自ら能動的に動き、出合い、語り合い、学び、考え、行動してきた。それが「運動」の本質だった。

 ところが、今回のシンポ発表を聞く限り、教える側も教わる側も、いま現在の自分の知識や認識を拡げたり深めたりすることなく、「いま、そのまま」でできることしか求めていないし、実践していない。これでは、教える側の期待を「いい意味で裏切る」ような意外な作品など、できるはずがないのではないか。

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 さて、表題の話。いま塾の女子中学生にもっとも人気のあるケータイ小説が「恋空」である。真面目な生徒もカラオケで遊んでばかりの子も、トップ高をめざす優等生も、自分の選んだ学校に「偏差値が足りない!」とダメ出しされている生徒も。「本で泣いて、映画でまた号泣した」ほど「はまった」少女もいる。

 話題になってまもなく、書店で立ち読みした。スカスカの「お涙頂戴」安直&ご都合主義物語である。当初は「実話」とされていたが、妊娠・流産の経緯や病気(ヒロインのカレシがこれで死ぬ)の記述に誤りや矛盾があることなどが指摘された結果、現在は「実話をもとにした小説」であるとの断りが入っている。

 サイト上では、そもそも作者は存在しない(ケータイ小説サイトが勝手に作り上げた人物である)とか、盗作疑惑(元本もケータイ小説)を映画制作サイドが金でもみ消したとか、種々さまざまな「問題」が賑やかに議論されている。事実は不明だが、分かることはある。

 あからさまに言えば、「恋空」ブームの根底にあるのは、第2の「電車男」に仕立て上げてメディアミックスで大もうけしたい企業/個人の思惑の一致である。

 しかし、塾でこれらの話をしても、「ほんまの話やって!」と、なかなか受け入れてもらえない。「先生かって(映画)見たら泣くに決まってるし」という生徒には、「若くて人が死ぬのはかわいそうで、誰だって悲しくなるだろうけど、それを利用しただけのニセ感動ストーリーなんて見たくもないわ」と返した。だいたい、不治の病にかかって大切な人が死ぬ話は、私の子ども時代から、少女マンガの「泣かせ」の常套ストーリーだったしね。

 「仮に作り話=嘘が混じっていても、実話だと信じていたい」生徒たちは、「本当のことを伝えようとする」私を拒否する。大事なのは「信じたい」自分の気持ちなのだ。

 なぜこんな薄っぺらい「お涙頂戴ドラマ」を信じたいのか、その心根のもう一つ奥にあるのは、彼女たちの「人恋しさ」「寂しさ」なのか、現実への「疲労感」なのか…。

 そこまで切り込んで考えられない「論」なんて、あってもしょーがないよなー。

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 シンポ終了後は、年末のご挨拶を兼ねて、1人でびお亭へ。大忙しでスタッフの皆さんとゆっくり話せなかったのが残念だったけれど、来年もどうぞよろしく!

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 昨日は、掃除(半分)、洗濯で、いつの間にか1日が終わっていた。
 今日はこれから遅めのランチ(朝も遅かったので)。その後、図書館を回って食材のお買い物。時間があればヘアカット。3連休といっても、なーんの変哲もない(笑)ままに終わりそうだ。

ピナ・バウシュ アゲイン

 木曜日の阪大院は、コンテンポラリーダンスについて学ぶ日だった(ミーハー報告をすると、熊谷センセの知事選への正式出馬記者会見が行われていないこともあり、学内は平穏そのもの)。

  センセから、来年4月2日(水)夜、びわ湖ホールでピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団による「フルムーン」公演が行われると、教えてもらった。

 ピナ・バウシュ! 骨皮筋子との形容がまさにぴったりの、脂肪のかけらもなさそうな「ガイコツからだ」のピナ。ガリガリで胸板の見える身体が生み出す動きの美しさは、途方もない。

 調べたところ、前回彼女たちの舞台を見たのは、1999年6月、同じくびわ湖ホールで上演された「ダンソン」だった。その夜の客に、上演中、ずーっと吠え続ける(舞台に向かって怒鳴り続ける)男性がいて、すこぶる耳障りだったことを覚えている。アンコールに応えて舞台に出てきたピナも、困惑の表情を浮かべていたものだ。私の勝手な想像では、ピナに惚れ込んだけれども相手にされず、逆恨みしている男の恨み節に聞こえた(一種のストーカーだった? 当時はそういう言葉が日本社会にはなかった)。

 9年ぶりのピナ! これはぜひ見なければ。ただ、入場料が高い。S席13,000円  A席11,000円  B席9,000円  C席7,000円 D席5,000円  E席3,000円だが、見栄を張らない関西ではDE席から売れるので、最低でも7千円(C席)以上でなければチケットは取れないと思われる。

 もしも、「それだけの金を払っても行ってみたい」と思われる方がありましたら、メールかコメントをくださいませませ。

 私は1人でも行く予定ですが、お仲間があれば、それもまた楽しいかと。
 26日までにご連絡いただければ、こちらでチケットを手配しますであります。

 女将敬白(久々に使った、この熟語。笑)

 明日の朝が早いので、今日はこれにておしまい。

もしもお金があったなら(笑)その1

 ビンボーになって以来、日々の食材から身にまとう物まで、正価で買うことが格段に減った。閉店間際のスーパーでは生鮮品(魚・肉)の割引きシール狙い。下着は通販(最近、お気に入りのシルクショップを見つけたので、不平を書くことがなくなった)。ユニクロに飽きたので(「やない」が嫌いという理由もある)、衣類はめったに買えず。

 お金がなくなると、自分が何に執着しているかがあからさまになる…って、分かっていたんだけどね、昔っから。そう、私はバッグフェチなのである。

 知人(30代の女性)と話しているとき、彼女が、自分の母親(60代で、私も知っている方)のバッグフェチぶりに苦情を呈するのを聞いて、次第に黙り込んだことがあった。彼女は、母親が10個以上のバッグを持っていると、あきれ顔で「恥を披露」してくれたのだが、私ときたら、10個どころか数十個のバッグ類を所持しているのだ。もちろん、いわゆるヨーロピアンブランド製品なんて1つもない。

 一番古いのは、36年前に、当時つき合っていたカレシにプレゼントされた「成人祝い」だ。その年の春に大学を卒業して就職したばかりの彼は、初任給のかなりを費やして(私の誕生日は5月24日ですぅー)、紺色の小さなバッグを贈ってくれた。小ぶりで実用には向かないが、改まった席にはぴったり。当時の私の「お出かけ着」はレモンイエローのローシルクワンピースだったので、紺色のバッグはとてもよく映えた。2人共通の知人の結婚を祝う会にこのいでたちで参加した写真が、今も残っている。

 フツーは、別れたときに処分するんだよねー、プレゼントなんて。
 でも、本当に素敵なバッグなので捨てるなんて考えられず、年に1、2度やる「風通し」&処分するかどうかの「選別式」でも、常に「残す」ことにしてきたのだった。

 バッグなら100均のフエルトバッグからオリジナルまで、何でも好きな私。東急ハンズのポイントがたまって、オリジナルバッグがもらえそうになったが、どうみても男性にふさわしいもののようだったので、夫に「いる?」と尋ねたら、即座に「いらん」と返事がきた。…がっくり。自分が使わなくてもバッグがすきなんだよなー、私ときたら(苦笑)。

 しかたないので、バッグは諦めて商品券(1枚500円)と交換することにしようか(と書きつつ、未だにバッグに未練がある。自分で使う予定はないにも関わらず)。

 先日、ちゃららさんと2人で「にんじん食堂」に行った帰りのこと。嵐電の向かい側の席に信三郎帆布の紙袋をぶら下げているカップルがいた。私は「どんなバッグを買ったのか見せてください」とお願いしたい気持ちを抑えるのが大変だった(はっはっは)。それくらい、なぜかバッグ/かばんが好きなのだ。

 あ、それで思い出した。にんじん食堂のちはりが(兄弟トラブルが起きる前の)一澤帆布のファンで、いくつもショルダーバッグを持っていたものだった。

 いまのところ、欲しいバッグはない。そのかわり、30年以上前に買ったオーダーバッグ(現在の貨幣価値でいえば、30万円ぐらいに相当するかもしれない)の「お色直し」や金具の付け替えをしてもらおうかな。最近、そういうことをしてくれるお店を見つけたのだー(るるるんるん!)
 

 

学位という誘惑?

 昨日、かづきさん関連で検索しているときに、彼女のプロフィールに「歯学博士」の肩書きを見つけて、びっくりしてしまった。大阪で彼女が卒業したのは、出身者が学校名を隠したがることで知られる、あまり評判の良くない女子短大だし、講演も、笑いにはあふれていたけれど、「知性」を感じさせるものではなかったからだ。

 講演の途中、学会発表用のパワーポイントスライドを使った説明もあったが、「女の人には難しいかもしれないけれど」と失礼な発言をしつつ、かづきさん自身がなんとも落ち着かないプレゼンをしていた。失礼返しで(笑)書くが、正直なところ私は、「パワポの資料は誰かに作ってもらったのかな」との印象を抱いたのだった。

 その彼女が、地方国立大学大学院歯学部矯正科を4年で修了して博士号の学位を取ったという。たぶん、大学院の社会人入試枠(大学が、大卒者と同等の能力を持つとみなせば、入学資格を認められる)を活用して入学したのだろう。歯科医師免許を持っていない歯学博士もいるのねーと、新発見であった。

 入試で「名前さえ書けば受かる」と揶揄される短大出身の「学歴」では、仕事に支障をきたしたのだろうか…と想像しつつ、頭では別の人のことを考えていた。一度しか会っていない男性で、彼自身には興味がないのだが…。

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 仕事関係でおつきあいのあった女性について確認する必要が出てきたため、思いつくキーワードを並べて検索したときのことだ。かつて彼女の公私のパートナーであった(現在の2人の関係は不明)くだんの男性のサイトがヒットした。

 あな、なつかしや、などと口走ってプロフィールをクリックしたら、心理学博士の肩書きが目に飛び込んできた。えー、いつの間に〜? 彼は高卒だった。高卒でも大学院に入れることは知っている(知人の女性は社会人対象のこのシステムを活用して公立大学の博士前期課程に入学し、いまは後期課程に在籍している)。それでも博士号を取得するには最短で5年はかかるだろーに、と、彼が学位を授与されたという大学を検索してみたところ……。

 そこは、お金で学位を売る「学位商法」で悪名高いアメリカの(大学として認定されていない)某組織だった。学位商法については「ディプロマミル」で検索すると、関連サイトがわんさかんさと出てくる。そこでしょっちゅう名前の出てくる有名なディプロマ・ミル機関に、彼はまんまと足下を掬われたようだ。見る人が見ればすぐに分かる「恥ずかしい偽学位」を、サイトに堂々と掲載し続けているのだから。

 関心のない男性なので忠告もせずに放っているが、それにしても…彼もやはり、仕事上、学歴が必要になったのだろうか? 安藤忠雄さんほどの著名人になると、学位がないどころか高卒でも東大教授(いまは名誉教授)になれるが、そこまでの才能がない場合、「すがる」ものは学歴/学位???

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 工事現場の作業員をやるからもういいと、勉強を放棄しそうな塾の男子生徒に対し、「外国人労働者が増えたら、現場作業員になるにも競争せなあかんようになるよ。高校を出ていないと、応募資格なしとされる職場がとても多く、就きたいと思った仕事につけないケースもいっぱい出てくるから、せめてあと○カ月、入試までがんばろうや」と励ました。

 「仕事なくても家にいたら食べていけるし」と彼。
 「お父さん、お母さんが元気なうちはいいけれど、いつまでも頼れないよ。普通は子どもより先に親が死ぬしさぁ」と私。
 すると彼は、「親より先に死にたい」と、長〜〜いため息を吐き出した。

 たった14歳の少年にこのようなセリフを吐かせる社会とは、いったい何だろう。
 一方に、「中卒では夢を描けない」と知ってはいるが勉強に身が入らず(したがって成績も悪い)「死にたい」とつぶやく少年がいて、他方に、仕事のために学歴/学位を促成栽培する「お金のある」大人たちがいる。

 ……どちらの立場も「理解」できるだけに、私のため息も長くなる。…………ふにゅー。

たまには時間詐称なしでアップ(笑)

 平日は塾の仕事が詰まっている…と書いておりながら、今夜は夜遊び(笑)。いや、今夜の休みは、ひと月半も前からお願いしていたのだ、いたってミーハーな理由で。

 批判を書くことになるので名前を挙げるのはどうしようかな…と一瞬迷ったが、ご本人の今後のためにも、あえて書くことにする。

 今日の午後は、リハビリメイクで有名なかづきれいこさんの講演会に行ってきた。主催は、私が何度か講座を担当したことのある某自治体。イベントの主な仕事を担っているのが、私の講座を受講した人たちだった関係で、2倍弱の倍率をくぐり抜けて(へへへ。先着順だったが、かなり早い時期に私は講演を知ることができたもんね)、参加できることになった。

 受付にずらりと並んでいるのは、みんな元受講者。会場を動き回っている役所の職員さんは、駅まで私を車で迎えにきてくれていた二枚目の彼だし(笑)、司会を担当したのは、うさぎやにも投稿してくれている○○ちゃんだし。

 95%は楽しかった。かづきさんは大阪出身とのことで、笑い満載のおしゃべりだった。帰路、「漫才やったなぁ」と感想を語り合っているグループもあったほどだ。

 塾に休みをお願いするとき、「メイクしてもらえるようがんばりますからねー」と塾頭さんに話していたのだが(それを狙って最前列に座ったのだが)、残念ながら、今日は河内のおばちゃんの迫力に負けてしまった(笑)。

 かづきさんがモデルに選んだのは、美人の60代(ばっちりメークしている人)で、そのメークを半分だけ落としてかづきメークをほどこし、左右の違いをみんなに見せるものだった。

 選ばれなかった私のひがみで言えば(ははは。これは批判とは別物でっせ)、やはり土台が重要なのねーということ。高校3年生のときのメークアップ講習を思い出した。

 私の高校時代は、資生堂とマックスファクターという2大化粧品メーカー(当時)の美容員が高校を訪れ、卒業間近の3年生にメーク講習をしてくれるのが恒例行事となっていた。

 モデルは講習当日に会場で選ばれるのだが、どちらの講習でも、二重まぶたのくっきりと目の大きい、美人で有名な女子ばかりがモデルに選ばれた。

 今日モデルになったおばちゃんも、会場のあちこちから「きれいな人やん」と声が上がるほどの美形だった。でも、私が「負けた」のは、彼女ではない。すでにモデルが決まったにもかかわらず、勝手に舞台袖に出てきて、「私もやってください」と申し出たおばちゃんがいたのだ。うわー、負けたー、ここまでの度胸はないぞー、私は(笑)。

 講演の時間内に2人のメイクをするのは不可能なので、このおばちゃんは、かづきさんの部下(スタッフ)に、舞台袖でメイクしてもらえることになった。ちょっと羨ましかった(ははは)。

          *        *        *

 講演の圧巻は、彼女が手がけた「リハビリメイク」の紹介だ。個人情報保護のため、TVや雑誌では紹介できない、という症例の数々である。

 顔の左右に2種類の違う斑(半分は黒ずみ、あと半分は血管が浮き出た赤い色)が出ている人の「メイク前/後」の写真。膠原病の患者さんに施したメイクあれこれ。リストカットする10代への対処。口唇口外裂女性の変身(変顔? 笑)。

 顔面の3分の1を占める「大きな痣」を持っていた女性がリハビリメイクに出合って変わり、かづきさんの店で副店長をつとめるまでになったかと思ったら、素面の痣を見てなお「それもあなただから」と言ってくれる恋人に出会った、という話。

 頬に、「手術では取れない」と言われたでっかい「こぶ」を持つ女性のメイク…その写真を見て「新しい方法」を思いついたから、と連絡をくれた医師による「こぶ除去手術」の成功と、その写真。この女性はいま、自分の体験を語るべく、世界各国を回っているそうだ。

          *        *        *

 そう、ここまでの話であれば、「かづきさん、いい〜!」で終わっていたはずなんだけどねー。

          *        *        *

 講演内容が商売に関わる場合、話者は、自社商品を売るために客を「脅し」てはならない。客も、脅迫的な発言は眉につばをつけて聞いてちょうどいい……これは、講演を評価するにあたっての、私の1つの基準である。

 かづきさんは企業経営者である。メイク教室や、彼女のメイク「理論」を広めるインストラクターや講師の養成講座を手広く開いている。自分の名前をブランドにした化粧品も販売している。だから、彼女のプロフィールを知って講演に呼ばれた先で、仕事を自慢するのはかまわない。ただ、商品(講座や化粧品類)を売るために脅迫的な言辞を吐くべきではない。ところが……

 講演の終わりぎわ、かづきさんは、化粧は毎日しなければダメ、と言い始めた。
 「オゾンホールができて、いまや紫外線はダイレクトに私たちに突き刺さる。紫外線はシミ、しわの原因になるだけではない。ヨーロッパでは、紫外線が原因で失明する羊も出てきている」

 おー、かづきれいこ、おまえもか、である。

 いわゆる白色人種(アングロ・サクソン)と、われら黄色人種(モンゴロイド)とでは、紫外線への耐性に違いがあることは、周知の事実だ。人間がそうなら羊だって、紫外線の少ないヨーッロッパで何十世代も経ているうちに紫外線への耐性が弱まることはあり得るだろう。その羊の子孫が、強い紫外線を浴びて目に支障をきたすことだって、ないとは言えない。

 だが、科学的根拠を示すこともなく、ヨーロッパではなくアジアに生まれ育ち、しかもアングロ・サクソンではなくモンゴロイドである我々に「毎日化粧をさせる」ために「紫外線の恐怖」を語るのは、いただけない。彼女の商売気があまりにもあからさますぎて、白けるったらありゃしない。

          *        *        *

 権力欲、名誉欲には、際限がない。かかわらないのが何よりだ。

          *        *        *

 「お口直し」、あるいは「気分転換」を口実に、夜は、○度目の「ヘアスプレー」を観た。最後だから1人マサラシステム(映画を観ながら歌って踊る)をやっちまおうと、最後列の真ん中の席を予約したのだが……どういうわけか、左にも右にもお客さんが何人もいる。もっと前方の席がいくらでも空いているのに!(客は数十人しかいなかった)。

 あ〜あ、あーあっ!! 大人げないと思いつつ、両側の男女に露骨にブーイングオーラ(?)を贈る私であった。

 お、もう4時過ぎている。だいたいこれがリアル更新時間に近いよなー。

 ここでおしまい。

 

  

 

しくしく、DVDが見られなくなった〜

 洗い物をしながらDVDを流すのは楽しい(笑)。見たい場面が近づくと水道を止めてパソ前に立ち、「みどころ」が終わったらまた家事の続きをやるのだ。そんなことができるのも、持っているDVDの枚数が少ないから(はは)。同じ作品を繰り返し見ているので、どのあたりでどういう展開になるか、みーんな頭に入っているんだよなー私(笑)

 私の唯一のDVDコレクションといえば、12日に57歳の誕生日を迎えた、南インド=タミルのすっぱるすたーるラジニ様の一連の映画のみ。

 それ以外は、525円の著作権切れなつかしの名画しか持っていない。カサブランカ、オズの魔法使い、第三の男、ローマの休日、雨に唄えば、2001年宇宙の旅(これはもっと高かった?)。最近はそれに、お気に入り映画「ヘアスプレー」のメイキング映像(オフィシャルブックの付録)が加わった。

 ところが昨日、「ヘアスプレー」のメイキングを見ようとセットしたら、DVDを認識してくれない。他のDVDをあれこれ入れてみたが、全滅である。念のためにCDをセットしたら、こちらもだめ。…ということは、DVDプレイヤーではなく、ディスクを認識するレンズが物理的におかしくなっているのだろう。

 振り返れば私、1度もお掃除してないんだよねー、プレイヤーを(をほほ)。さっそくヨドバシでレンズクリーナーを購入して…と思ったが、金曜日まで、梅田に出る予定がない。うーむ、ここは他の電器店で妥協して購入すべきか、それともポイントを増やすべく、金曜までDVDをセットせずに過ごすか…。

 映画をほとんどみなかった私が、ラジニ映画にはまって以来、けっこう他の映画も見るようになっていたことに、改めて気づいて不思議な気がした。といっても、同じ映画を10回以上というのは、あまり尋常ではないような…。

 と言いつつ、20日で上映の終わる「ヘアスプレー」をもう一度見ようと画策している私なのであった。ゴールデングローブ賞の3部門(ミュージカル/コメディ部門の「作品賞」、「主演女優賞」、「助演男優賞」)にノミネートされたお祝いさぁ〜。超肥満女性を演じたトラボルタが「男優賞」を受賞したら、笑えて楽しいだろうなー。いい味出してるもの、エドナ〜(*゚∀゚)っ

 さ、お風呂に入ろう。

音声があからさまにしてしまうこと

 まだお布団の中でごろごろしながらFMのクラシック番組に耳を傾けていた朝、電話が鳴った。こんな時間の電話はあまり楽しい内容ではないだろうな…と、受話器を取る。案の定であった。

 仕事でおつきあいのある男性が急死されたとの知らせだった。正確な年齢は知らないが、私よりかなり年下の40代。子どもさんはまだみな義務教育年齢だ。順調に出世し、去年からは、家族を関西に置いて単身赴任中だった。電話によると、木曜夜に同僚と飲んで駅で別れたが、金曜の定時になっても出勤せず、電話連絡も取れないため、同僚がマンションを訪ねて、室内で倒れていた彼を見つけたという。死因は急性脳梗塞とのことだ。

 不謹慎ながら、最初に浮かんだのは、「生命保険に入ってはったかしら?」との疑問だった。お連れ合いは、要介護老人2人(夫妻の親1人ずつ)と子どもを抱えた専業主婦。自宅のローンは返済不要になり、退職金が入るとしても、毎月のお給料が途絶えるとなると、いずれ生活が大変になるだろう。

 こういう事態を身近に見聞きすると、日本の「福祉政策」の貧しさを痛感せずにはいられない。
 ご自宅が遠方のため、お通夜もお葬式も欠席することにしたが、残された家族が生きる道を見つけられますように、介護問題も社会的サポートが受けられますように、と、心から祈った。

          *        *        *

 さて、表題の件。人はその話し方で「本性」を露呈してしまうものだ、と、痛感させられた昨日・今日であった。

 昨夜は、日記を中途半端で切り上げて、ラジオ深夜便アーカイブスを聞いた。
 坂口安吾インタビューは、氏が薬物中毒で入・退院したあとの1951年(私が生まれた年!)に行われたものだった。司会者はけっこうズバズバと入院にまつわる噂の真偽を糺していたが、安吾は(今となっては嘘とわかる)弁明をぺらぺらと軽薄な調子でしゃべる。その話し方のトーンだけで、もう、私はうんざりした。格好わるいヤツー! と。

 もともと私は坂口安吾にはたいして興味がない。知りあいの男性(共産党員)の兄が安吾の『堕落論』の信奉者で、思想の違う兄弟は何かにつけて対立していた。その話を聞いて、『堕落論』と推理小説『不連続殺人事件』を読んだのが20代の半ばごろ。どちらも私にはつまらなくて、以降はまったく関心を失っていた。

 一方、林芙美子さんは、てきぱきと明確なしゃべり方をする人だった。彼女は1951年に亡くなっているので、死の直前のインタビューだったのかもしれない。彼女の半生は『放浪記』に詳しく(NHKの朝ドラにもなった)、男関係でも不遇だった(金づるにされたり、DV被害に遭ったり)というが、それらをバシンと跳ね返す「意志の強さ」を感じさせる声のトーンであり、話し方であった。

 そして今日(正確には昨日)のNHK日曜喫茶室。ゲストの1人は、かなり年下の建築家と結婚して京の町家に住まい、京都ネタのエッセイを何冊も出版している麻生○子。うわぁー、かなわんなぁ、このベチャベチャしゃべり!(嘆息) たまに真似する京都弁のイントネーションがまた気持ち悪い。これでは、京都人から「よそ者扱い」されても当然だろう。何しろ不自然なのだから。

 テーマは仏教だったのだが、彼女の話で印象に残ったのは、大徳寺で宗家直々に指導を受けられる茶道教室に通っているとの「自慢」だった。はいはい、よろしゅうございましたね、ユーメー人枠に入れてもらえて(をほほ)。私の結論は、「彼女の本を読むことはまずないだろう」である。

 人のことばかりあげつらっていると、当然こちらに「問い」が舞い戻ってくる。アンタの話し方はどないやねん、と。

 はい、正直に申し上げます。九州を離れてすでに38年、未だもって築後弁のイントネーションの残る、「田舎者のチャンポン話」そのものでごじゃります。

 ただ、人前で話をする機会の多い私…それも、「かっこいい」「感動する」「心に残る」話ではなく、(聞き手にとって、できれば避けたい)イヤな話題や難しい問題を分かりやすく語ることがメインの私にとって、田舎イントネーションはマイナスには働いていないようだ。はっはっは。

 

 

妄想をたくましくすれば

 ちゃららさん、二日酔いで登場。アカンやん、泡盛で酒盛りしようと予定していたのにー(笑)。

 今日は、事前にお願いしていた琉球料理づくしの「にんじん食堂」スペシャルメニューをいただいた。前回なかった料理がいくつもあって、ほくほくの私。ちゃららさんは、ひたすら特製茶を飲みながら食べている。ほぼ食べ終わったころに胃腸も落ち着いたようで、シークワーサーを漬け込んだ泡盛の炭酸割を注文していたけれどね。

 話題はなかなか深刻である。「パトカーや救急車のサイレンが聞こえるたびに、『あの子に何かあったんじゃないか』とドキドキする」生徒が1人ならずいるという現実。祖母(といっても私より年下)の代から続く、不登校ー若年妊娠出産ー育児放棄 の悪循環。行政の事なかれ主義、エトセトラ。ストレスがずいぶんたまっていたようだ。

 前回の日記に書いた「経済的理由で公立中学に行くしかない」「いじめられっ子予備軍」のまだ下に、親にほぼ無視され、「給食がある間はいいけれど、冬休みを生き延びることができるかどうか」と心配される子どもたちがいる。家族幻想/母子幻想があるせいで、その子たちを施設で保護してもらうのも容易ではないという。で、万一、子どもが「電気・ガス・水道を止められ、暖房もない部屋で、餓えと寒さのために死んでしまった」場合、教師の責任が問われてもそれは理不尽というものだろう…と、ため息をつかずにはいられなかった。

          *        *        *

 木曜日の阪大院の講義では、女性2人、男性1人の3人組に短い1シーンを演じてもらい、彼らの関係を「妄想する」というワークショップが行われた。平田センセは「正解はないんだから妄想するんだよ」と強調しておられたが、まじめな学生ちゃんが、果たして自分の「妄想」を正直に発表するのかどうか(苦笑)。

 私はといえば、男性のセリフ(親父に聞いた、マリリン・モンローとジョー・ディマジオが新婚旅行で来日した時のエピソードを、「いい話でしょう」と女性2人に話して聞かせる)の中身に反応して、昔から何度も見た来日時の写真や、地元福岡では有名だった「モンローがロイヤルのオニオングラタンスープを美味しいと言って何度も食べた」話なぞを思い出して、妄想ではなく懐古の思いにかられていたのだけれど(ははは)。

 いきなりなぜこの話を持ち出したかというと、佐世保市の銃乱射事件(犯人と思しき男性は自殺)について、妄想を膨らませてみようと思ったからだ。ニュースでは、「警察は、殺された男性との間に何らかのトラブルがあったとみて捜査を進めている」と報道しているが、そうだろうか、トラブルが原因だろうか。

 ニュースによれば、自殺した男性は仕事をしておらず、最近は、現場となったスポーツクラブにしばしば通っていた。で、事件の前日、殺された男性を含む3人の知人を、スポーツクラブの「施設体験」をしてもらうという名目で呼び出していたという。たぶん、銃殺するつもりで。

 「道連れ」という、妄想ならぬ妄語が浮かんだ。自殺した男性は、中学以来の友人たちを、自分の死出の旅の道連れにしたかったのではないか。理由は…自分とは異なり家庭を築いて幸せそうな友人に嫉妬したのかもしれないし、1人で死ぬのは寂しいと、お気に入りの友人たちを一緒にあの世に連れて行きたかったのかもしれない。

 ……おっとぉ! NHKFMラジオ深夜便アーカイブスで、坂口安吾/林芙美子インタビューのウン十年ぶりの再放送が始まった! いつもながらの中途半端で今夜はおしまい。

 
プロフィール

はね奴

京都市在住。本・雑誌・DVDの企画・制作。エッセイ講座講師。20代から、労働運動と女性運動の重なる領域に生息。フェミとは毛色が異なる。

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