2008年03月

すてっぷの新館長決まる(ふぅーん)

 1年間空白だった「とよなか男女共同参画センターすてっぷ」の新館長が決まりました、と、職員さんから電話があった。先週開かれた理事会で承認され、決定したそうである。

 ふぅーん、そうきたかぁ、というのが感想である。ふぅーんの中身は2つ。
(1)新館長が男性であること
(2)彼が、三井マリ子さんの裁判を支援する会の「呼びかけ人」に名を連ねている1人であること
 である。

 新館長は、メンズリブの活動を初期からずっと続けてきた中村彰さんだそうである。京都新聞記者をやめたあと、さまざまな講座の講師、大学の非常勤講師などをつとめている方だ。「メンズリブ研究会」には2人の中村さんがいたので、私は、年下の中村正立命館教授を「正ちゃん」、新館長を「彰さん」と、名前で呼んでいる。といっても、彰さんとはほとんどおつきあいはない(正ちゃんは、私が紹介者になって講師をお願いしたり、ご自宅を訪問したり、したことがある)。

 ふぅーん その(1)
 
 今年に入って、すてっぷ理事のお1人とたまたま遭遇したとき、「まだ館長は決まらないのですか?」と質問した。「候補に挙がった方は複数あるが、決定には至っていない」との返答だった。

 ここからは私の想像だが、館長選びはたぶん「女性」を念頭に置いて始まったはずだ。ただ、関西で女性問題に関わってきた人の多くは、三井裁判の支援者であったり、桂さんの研究会仲間や知人友人だったりすると思われるので、あえて「火中の栗を拾う」立場に立とうという人が出てこなかったのではないだろうか。男性に範囲を広げることで、彰さん(すてっぷとのかかわりもある)が候補に挙がったのだな、と。

 男女共同参画施設なのだから、館長が男性であっても問題はない。とりわけ、従来の「男らしさ」を問い直す活動を続けてきた(現在も活動中)人という意味では、適任でないことはない(笑)。ただ彰さんはジャーナリスト出身なので、事務局長的仕事(かつては豊中市職員が担当していた)をこなすのは難しい。センターの看板&企画を主に担当することになるのだろうが、そういう意味では、三井さんの果たしていた任務に近い。

 ふぅーん その(2)

 裁判の支援者を館長に据える裏にはどのようなかけひき(?)があったのだろう。彰さんはいかなる経緯と立場/判断で、館長を引き受けたのだろう。この点に関してはちょっと意外だったので、次回の評議会(5月ごろ?)ではぜひ確認したいものだ。

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 それどころではない(かもしれない)話=すてっぷが現在の半分のスペースに?!

 前回の評議会でびっくりしたことがあった。豊中市の行財政改革のため、豊中市が賃借していたビルや土地を所有者に返還することが決まり、それに伴って施設の移動・統合などが行われるという。その一環として、とよなか国際交流センターが、すてっぷの6階部分に引っ越してくるというのだ。

 数年前、(財)とよなか国際交流協会と(財)とよなか男女共同参画推進財団を合併させて一つにする、という案が浮上したことがあった。その「説明会」には私も参加し、異質な2組織の合併に異を唱えた。

 今回の「決定」は、当時の圧倒的な批判を受けて、財団組織は別々のまま、「施設の有効利用」のために、国際交流センターを移転させるのだという。議会に諮ったのではなく、財政再建プランの一環として行政サイドで決めたことで、これから、関係各所で説明会を開始する、と。

 すてっぷ職員の方々に「相談はあったのですか?」と質問すると、揃って首を横に振り、「寝耳に水でした」と。どうして抵抗しないのか、と重ねて問うたところ、「(賃借施設や土地の返却、施設の移動・統合によって)6000万円の経費削減になると言われると、それだけのお金を出せるわけでもない我々としては何も言えない…」と。

 うーん。ハシモト知事出現によって大阪府の施設に対してはこれから「大ナタ」が振るわれることになるわけだが、豊中市はとっくにそれを「先取り」していたというわけか。計画によれば、移転の実施時期は2年後が予定されている。

 都市計画や自治に関して私はまったく無知なのでものの言いようがないが、個別の運動体や財団やNPO、NGOが、それぞれの主張をバラバラに展開しているだけではどうしようもない時代がきていることだけは分かる。とどのつまりは、「人口減少のみならず、経済力も国際的影響力も弱まり続けるであろうことは間違いない日本国の『おだやかな衰え方(?)』、そして、その中で『おだやかに生き続ける』ための自治のあり方」を全体として提起していかなければならないのだ。

 そのような「大きな枠組みで時代をとらえて今後のあり方を提起する」仕事の中心は、私たちより数世代下の若い人たちに担ってほしいなー。

しゃーわせな休日(にこにこ)

 夜9時を過ぎたところである。肌寒い一日だったけれど、とても充実した楽しい休日だった。台所のシンクには洗いもの(食器や鍋)が待っているが(笑)、この気分のまま更新したくて、ウイスキーをちびちびやりながら、パソに向かっているところだ。

 昼前に、仲良しのY姐と、近鉄奈良駅前で待ち合わせ。院進学を祝って、とびきりのフランス料理をごちそうになった。こんなに本格的なフレンチをいただいたのはいつ以来だろうか? ウニは殻に入って出てくるし、フォアグラはトロトロだし、メインはソースがちょっと濃かったけれど(魚料理を選んだY姐、正解!)、牛ほほ肉はとろとろに柔らかかったし、Y姐はワイン1杯だけなのに、ごちそうになる私はあつかましく、1プレートごとに1グラス=白・白・赤と、ワインもたっぷりいただいた。

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 昨夏までは女3人でデイトしていたが、もう1人のYさんが去年8月から2年間、アメリカに在住しているため、「参加できなくて残念です」とのメールが届いた(笑)。Yさんの仕事は、アメリカの教育機関や地域の諸施設で日本文化を紹介(はやり言葉でいえばアウトリーチ)することである。60歳の彼女がコーディネーターに応募するにあたっては、面接試験突破をめざして(筆記と英語力は問題ないので)、あれこれ対策を練ったものだった(笑)。

 私が提案したのは、彼女の多様な日常活動(里山保全、在日外国人との交流、英語教育、和裁や茶道など日本文化への造詣の深さ)を紹介するポートフォリオを作成すること、そして、面接には着物で臨むこと、である。幸運にも、東京で行われた試験当日、筆記試験を終えてホテルに戻ってみると、Yさんの上京理由を聞いていた女性オーナーが、「女性が国際的に活躍することを応援したい」と、面接のための着付けスペース(ホテルの一室)を準備し、無料で提供してくれたという。

 彼女の人間性も相まって最高齢で合格、派遣へ。渡米後Yさんは、メディアではほとんど知らされない南アメリカの日常から大統領選予備選の様子まで、リアルなアメリカを折りに触れて報告してくれる。3人、Ccメールで連絡を取り合っているので、地理的な距離を実感するのは、今回のように直接会えないときぐらいだ。なお、Yさんの留守を預かる夫氏とは、スカイプを使って毎日話しているそうだ。

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 Y姐には最近ちょっとショックな出来事があったのだが(夫妻とも留守の間に自宅に泥棒が入った!)、その話の詳細は実に示唆に富んでいた。私んちは団地の一室なので被害に遭う確率は少ないと思うが、今日教えてもらったことを列挙しておこう。

1)格子戸も網入り板ガラスも万能ではない

 警察の見立てによると、泥棒は3人以上のグループだったらしい。1人ないし2人は車で待機して周囲の様子を見張る役。残る2人が1階と2階を分担。グループ犯は、長くとも10分以内に「仕事」を終えるそうだ。セキュリティ・システム対策でもあるのだろうか。

 泥棒は、隣家との間にある私道(一般の通行人のない細い道)に面した台所の窓の外側にある格子をすべて外し、ガラス窓のカギの横にあたる部分を三角に切り取り、そこから手を入れて解錠していた。ガラス窓には金属網が挟み込まれていたが、泥棒は一つ一つを鋭利なペンチで切っていたそうだ。

 窓から入った泥棒その1はすぐに勝手口の戸を開け、仲間を入れると同時に「逃げ道」を確保した。あとは、引き出しという引き出しを開けて、現金や貴重品を探しまくったようだ。

2)貴重品は、開け閉めが難儀で音の出る場所にしまえ?!

 タンス類の引き出しがすべて開けられ、中身が室内にぶちまけられていたことはイメージできるが、冷蔵庫や冷凍庫の引き出しまで開けられていたというのは、私自身には意外だった。時間に追われる泥棒にはきちんと閉め戻す余裕がなかったようで、発見時には冷凍庫がピーピー警告音を発していたという。日本では冷蔵庫、冷凍庫に貴重品を隠す家がけっこうあるらしく、泥棒もそれを知っていて、ここを探すのだそうだ(おまわりちゃん談)。

 反対に泥棒が嫌がるのは、開け閉めに音の出る、鍋釜や食器(割れ物)をしまった場所とか。なるほどねー、食器や鍋類は、衣類のようにどさどさ放り出すわけにはいかないものね。放り投げれば金属音や割れる音が出て、泥棒と気付かれる可能性も高くなるし。

3)現金を置いておくべきか否か

 現金を自宅に置いていなかったので、Y姐宅の被害「額」は高くなかった(とはいえ、引き出しやタンスの中身をすべて部屋にぶちまけられているさまを見たダメージは大きかったそうだ)。ぞっとしたのは、そのあとに彼女が聞いたセリフである。

 「よかったですね、放火されなくて。めぼしい収穫がなかった場合、腹いせに泥棒が放火することがよくあるんですよ」と。

 泥棒に放火されないよう=泥棒の欲求をある程度満たすために、わかりやすい場所に、ある程度(万単位)の現金を置いておく家が、現実にあるのだという。ひえー、びっくりした!!

 で、今日の話を聞いて私が考えたのは……。

 「泥棒に未来はない(=不幸な未来が待っている)」ってな内容の「呪い札」を、5、6カ国語に翻訳して、すべての引き出しに入れておいたらどうかな、ということだ(笑)。翻訳というのは、Y姐宅に侵入した泥棒チームが外国人である可能性もある、と聞いたからだ。何語にすべきか、ここでわたくしの国際意識が問われる、なんちって(はっはっは)。

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 泥棒問題を除けば、楽しい話題がいっぱいだった。とりわけ、同じイギリス人女性作家の小説を2人とも愛読してきた話など、長年おつきあいしているわりには新発見もあって、楽しい時間はまたたくまに過ぎていった。

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 こういうときって、すんなり帰宅したくなくなったりするんだよねー。お昼が大ごちそうだったので、夜はありもので済ませることにして(私としてはお気に入りの「豚肉と白菜の炒めもの」by『暮しの手帖』がメイン)、思いついて突然、BKプラザ=NHK大阪放送局に行ってみた。

 すごいね、すでにもう「ちりとてちん」の次の朝ドラの宣伝がばんばん行われていた。来週から始まるナントカではなく、今年の秋から放送予定の、マナカナ主演の双子ドラマ『だんだん』の宣伝である。

 「生後すぐ、事情によって松江と京都で別々に育ち、相手の存在を知らずに成長した双子の姉妹が、高校時代に出雲大社で偶然再会し、やがて京都で共に暮らすようになる。松江から出てきた方は、舞妓修業にはげむ片割れに感動するが、舞妓は、松江娘の自由さに憧れて置屋を飛び出し…。やがて双子デュオ・ミュージシャンとして一世を風靡するが、その絶頂期に解散し、それぞれの思う道へと進んでいく」というお話なんだそうだ。まるで少女マンガの世界…ということは、上は団塊世代のおばちゃんたちから、下は彼女たちと同世代のマナカナファンにまで受け入れられるわけねー。

 と感心しつつ、9階に上がって第1スタジオの撮影風景をのぞいたら…、あれれれ、隣りの団地の牧さんが出演中だ! 教育テレビで放送されている「障害」がテーマの番組『きらっといきる』の収録中だった。車椅子の牧口一二さんは、この番組の司会進行役の1人である。

 同じフロアに、懐かしいテレビ番組を見ることのできるブース(BKライブラリー)があったので、「夢であいましょう」と「私の秘密」の最終回(各30分)を見る。いずれも、私が中学生のころ(60年代半ば〜後半)に最終回を迎えているのであった。

 新発見。渥美清と、サングラスを外した井上陽水は、似ている(笑)。渥美清が「夢であいましょう」で歌う『ひとりもの』を、私も一緒に歌えるほど覚えていたことに、妙に感動してしまった。

 閉館の6時まで粘ったあとは、大阪城公園の中を通って帰還。桜はけっこう咲いていたが、風が冷たくてビールなんて飲んでられなかっただろうと思う。七輪を持ち込んでの焼肉の香りや、本格的なバーベキューセットを持ち込んでいた花見客を、あたたかい食べ物のないグループがうらやんでいたような(笑)。

 途中、カップルにたのまれて、桜の下でデジカメのシャッターを押してあげる。ただ、彼女の設定では、桜の木と2人をすべて、根っこ(足下)からてっぺんまで入れており、構図がちっとも面白くなかったので、2枚目では私がしゃがみ込み、2人の上半身の背景に桜の枝をいっぱいに広げて撮ってあげて、「めっちゃ」感謝された(笑)。

 あいだにちょこまか動いていたら、すでに24時近くなっている(へへへ)。コーピーを飲み終えたら、ひと休みといきませう(コーヒーを飲んだ直後でも熟睡できるのが私の特技&困ったところでもある。笑)。
 

 


教師ってヤツは! その2(笑)

 シリーズにするつもりはさらさらなかったのだが(笑)、今夜塾で、ある小学校での卒業式イベントに関連して呆れた話を聞いたので、グチることにした。

 A小学校は生徒数の少ない小規模校。卒業式では、6年生1人1人が「将来なりたい(つきたい)仕事」を発表することになった。予行演習の日までに「なりたい/したい仕事」を考えてくるように、と、子どもたちは先生に指示された。

 Bくんは、塾近くに店を構える自営業者の1人息子である。私も、塾に向かう時間帯に店の前をよく通るが、商いは手堅いようで、店はいつも繁盛している。

 自分なりに考えた結果、Bくんは予行演習で「将来は店を継ぎます」と発表した。ところが、担任の先生から「ダメ」が出された。親の商売を継ぐという発想には小学生らしさがない。他の生徒のようにもっと子どもらしく、サッカー選手になりたいとか、野球選手になって大リーグをめざすとか、「夢を語りなさい」と「指導された」のだという。

 はぁぁあ??? Bくんのリアルな将来設計が「小学生らしくない」?! 「夢」がない?!!
 では、「小学生らしさ」とはなんだ?! 「夢」とはなんだ?!!
 わたくし、その教師の胸ぐらをとっつかまえて問いたいものであります。

          *        *        *

 日本の学校ではまともな「職業教育・キャリア教育」がなされていない、と、大学で学生のキャリア相談を担当する専門家が嘆く。9割以上の中学生が高校に進学し、7割の高校生が大学や専門学校に進む現在、中学も高校も「入試対策」に比重を置いており、中卒・高校中退・高卒で働くための指導はほとんど行われていないからだ。

 で、小学校はどうかといえば、百年一日のごとき旧き「子ども観」を児童に押し付けて、自己満足しているアホ教師がいるわけかぁ…。「こどもらしさ幻想」を教師に強要される児童こそ、いい迷惑である。

 私はBくんを教えたことはないのだが、顔だけはお互いに知っている。塾のない日、彼はたいてい、店の周辺や近くの公園で、町内に住む同級生や下級生とともに走り回って遊んでいる。そんなとき、私を見かけると、「あ、塾の先生や!」と、大声で「こんにちわー」と挨拶してくれる。とても伸びやかに育っている健康少年である。

 その彼が、塾で顛末を報告したというのだから、よほど「???」がいっぱいだったのだろう。

 「結局Bくんは、卒業式で何と言ったんですか?」と訪ねたが、彼の愚痴を聞いた主任先生は、「教えてくれないんですよ」と苦笑い。もしかして歯の浮くような「ウソ希望」を発表したのかな? 「男の子らしく」(←もちろん嫌味だぜ、これは)、「電車の運転手」とか「消防士」とか(笑)。

 Bくんの同級生で、やはり塾に来ているCくんは、「警察官になりたい」と発表したそうだ。彼の父親が警察官なので、「父親の仕事を継ぐ」という意味ではBくんと発想は同じなのだが、こちらは問題とされなかったそうだ。変なのー。

 どうやら、再教育の必要な教師は少なからず存在するようだ。

 

 

入試には裏が…ある!(断言)

 ぽんずさんから、照れまくりのケータイメールが届いた。私が「美貌云々」と書いたことに対し、「かなり赤面しました。元来誉められて育っていないので、誉められたときにどうしたらいいのかわからずものすごく居心地が悪いのです(苦笑)」と。いや、かわゆい。私なんて、万一「きれい」だなどと言われたら、「おんどりゃ、われをなめとんかー!」とタンカを切ってしまいそうだもの(笑)。

 メールの本題は、娘さんが第一志望の公立高校に合格したとのお知らせだった。よかったね、おめでとー>娘さん&ぽんずさん。

 さて、報告に続いて綴られていたのが、入試を巡る、中学と高校の「怪しい関係」だ。以下引用。固有名詞などは適当に省いている。
 娘の併願先は、通学に便利で共学という単純な動機で、隣駅にある高校にしました。経済的にも公立が絶対でしたので、いざという時にはランクを下げてでも安全圏の公立を受験する、と、親子合意のもとで選択したので、特に問題もありませんでした。

 結果は思いもよらぬ特待生待遇で合格(授業料が半額免除)、親子ともども大喜びでした。

 その話は同じクラスの娘の友人の母(=私のかつての友人)の耳にも届いたようで、その母が言うには、「あの高校の特待生には中学校の推薦枠があって、中学側からの推薦を受けたら、まずまずの成績を取っていれば問題なく特待生にしてくれる」と。娘が特待生になったのは、決して良い成績だったからじゃなく、家庭事情を学校が考慮してくれたのよ、と言わんばかりの内容に、友人の人間性を疑いました(苦笑)。事実なんでしょうけれど…。

 懇意の私立には、「うちの中学から○○人受験させます枠」もあると聞きました。普通コース志望なら、「うちの中学からの受験生は絶対落とさない」とも。

 魚心あれば水心…なんでしょうが、それってその仕組みを逆手にとって学校側を利用できれば、かなり有利に事が運ぶってことですよね。こんなに裏事情があるとわかると、真面目に取り組んでいる生徒が気の毒です。なんか白けてしまいます。

 ここからは推測ですが、薦められるまでもなく中学と懇意の(?)高校を志望した娘のような生徒は、学校からすると有難い存在だったのかもしれません。結果、担任教師の心証が良く、公立受験への内申などにも影響したのではないかとも考えられます。

 娘の内申点が、娘よりも格段に実力のあった息子とほぼ同じだったのが不思議でした。学内委員会の取り組みや提出物なども影響してるでしょうが、学校側の薦める学校の受験に応じなかった兄のケースと、学校の思うがままに志望を決めた妹、どうも事情があるように思えてなりません。勘繰りすぎでしょうか??

 塾に関しても面白い話があります。
 入試当日は応援に来なかった塾関係者が、発表当日は結果確認に出現したそうです。あらかじめ塾生から聞いている受験番号で確認したとか。本人からの結果報告を義務化させていたにも関わらず、です。娘は「来るならわざわざ報告させるなー不愉快じゃー」と怒っていました。

 おまけに祝賀会と称して生徒を集め、自己採点した結果を収集してました。娘は他の用事で欠席しましたが、その際も「記念品を渡すから、採点結果を持って後日取りにきてください」と言われたとか。商売臭さがプンプンします。さらに、入試の成績開示の結果を電話して聞いてまわるそうです。生徒は単なるデータなんでしょうかね。

 兄の塾では精神的にもかなり助けていただいたのでお菓子を持ってお礼に行きましたが、娘の塾にはどうもそんな気になれません。縁が切れてホッとしているくらいです。

 今度は兄が大学受験。こちらにも色々カラクリがあるんでしょうか。まったくわからない未知の世界です。


 中学と高校との「癒着」は絶対あると、塾で数年仕事をしてきた私は確信している。
 今回、怒鳴り込みに行きたいぐらい腹の立つ行為をしでかした中学教師がいた。

 しばらく前に、内申点がないので公立受験は無理だ、と中学教師に宣告された生徒が複数いることを書いた。家族とも相談の上、ある生徒ちゃんは私学特進コースを専願で受験して合格し、ある生徒ちゃんは、私学に合格した上で、公立高校も受験することにした。後者の名をZくん、志望校をX高校としよう。

 大阪の公立高校入試における内申書の扱いは実に複雑で、学校によって異なる。いわゆる偏差値上位校の場合、入試当日の学力検査の上位者は、調査書(内申書)を加味せずに合格とされる。ボーダーゾーンの生徒は、調査書(内申点)を加えて総合的に合否判定されるが、内申点の掛け率というのがあって、それがまた学校によって何種類もあるのだ。

 さて、Zくんは学力的にはまったく問題なく、学力検査の成績で十分X高校に合格できるレベルだった。だが、教師のウケが悪く(塾ではそんなことはなかった)、担任から、内申点がないので私学を専願するように言い渡された。しかし彼はそれを受け入れず、X高校を受験すると言い、願書も提出した。

 にもかかわらず、である、入試の3日前になって、Zくんは担任に呼び出され、本当にX高校を受けるのか、なぜ私学に進まないのか、気持ちは変わらないのか…と、詰問されたというのだ。心配したお母さんが塾に「息子にX校は無理なのでしょうか」と相談の電話をかけてこられた、と聞いて、私は文字通り、はらわたが煮えくり返る思いであった。

 仮に本人が無理めの高校を志望しているとしても、入試3日前に周囲の大人がすべきは、心を込めた励ましの言葉をかけることだろう。ましてやZくんの場合、学力的には何も問題がないのだ。

 この担任、意図してZくんの不安感をあおり、精神的に不利な状況に追い込もうとしたとしか考えられない。裏に、まともでない「何か」があるとしか思えないではないか。Zくんにたいする個人的な歪んだ感情、あるいは、Zくんが併願(合格)した私学との密約(?)エトセトラ。いずれにしろ、中学教師としての資質を疑う言動である。

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 と、書きたい放題書けるのも、Zくんが担任の期待を裏切って(笑)、みごと難関X高校に合格したからだ。よかった、本当に良かった、おめでとー! 

 中学の内申点が、教師の言いなりになる「従順点」と同義なら、そんなものくそくらえ! である。……が、これって、大学入試(いわゆる指定校推薦制度にのっとって面接だけで合格しようと思う場合)にもまた、大いに影響してくるんだよなー。

 ぽんずさんが危惧するように、大学入試にも種々さまざまなからくりがあるのが「悲しいかな、現実」である。その話はいずれまた。 

開かれた施設へ、提案を伴う運動を

 アンドレさんのコメント(ノルウェーでムンク美術館に行ったという内容)に刺激されて、旅先で訪れたアレコレの美術館、博物館、施設に思いを馳せていたときに、ふと浮かんだことがある。施設の開放性についてである。

 1人旅で私は、いわゆる観光施設ではないところをあれこれ訪問した。ガイドブックとして一番活用したのが、ヨーロッパで発売されていた女性の手帖である。そこに記された住所と地図を手がかりに、女性のための民間施設、女の本屋さん、女1人で入れるバー(ヨーロッパ各地で、何も知らずに入ろうとしたバーで「売春婦」と勘違いされて追い出された経験が、私には何度もある)などなど、十数カ所を訪ねた。

 女性のための民間施設は、住宅をオフィスにした小さなものから大きな施設までさまざま。ミーティングやワークショップを開催し、イベントを行い、図書や資料を貸し出し、DV被害者の一時避難にも応じるなど、施設ごとに多種多様な機能を有していた。日本政府並びに自治体が女性センター、男女共同参画センターを設立する際の参考になったのではないかと思われる(より影響が大きいのはアメリカだろうが、私、アメリカには行ったことがないので分からない)。

 さて、訪問したすべての施設でもっとも楽しく、長時間過ごしたのは、女性施設ではなく、スウェーデンはストックホルムの中心街にある公的施設だった。たぶん5、6階建てだったと思う。事前に調べたわけではなく、通りがかった施設が面白そうだったので、中に入ってみた。

 1階は、スウェーデンの福祉政策・施策を、写真パネルと解説文、たまに実物展示で紹介するフロアだった。文字通り「ゆりかごから墓場まで」である。自慢じゃないが、私はスウェーデン語がまったく理解できない。英語の解説があったかどうかは覚えていないが、それでも充実した写真を見ていくだけで、概略は理解できた。

 せっかくなので、各フロアを見て回ることにした。図書館があったことは覚えているが、なんせスウェーデン語は理解できないので、「見るだけ」である。小さな子どもを遊ばせるフロア(絵本やおもちゃなどがあったような…)の記憶もある。

 最上階がカフェになっていた。スモーガスボードと銘打たれていたが、早い話がセルフサービスのオープンサンドの店である。行列に並び、好みのトッピングのオープンサンドをいくつか選び、飲み物も選んで、最後にお金を払う。小海老を使ったものがことのほかおいしく、のちに京都フィンランディアでこの料理に再会したときには涙が出るほど嬉しかったものだ。

 カフェはとても繁盛していたので、席は当然、相席になる。4人がけテーブルの私の前には、2人連れのおばちゃん(髪は真っ白)が座った。

 そこからが楽しかったのなんのって! スウェーデン語がまったく分からない私は、無意味に英語で話そうとする(爆笑)。日本語でも何ら変わらなかったと思われるが、それでもつい英語になっちまうのだ。しかも、それで、英語を話さない相手と意志が通じるから面白い。

 私が日本人旅行者であること、午後にスウェーデンの女性の家(民間)を訪ねようとしていること、でも、言葉がまるでできないことを理解したお2人は、すぐに必要と思われるスウェーデン語のカードを作ってくれた。いざとなったらこれを見せなさいというわけだ。

 「トイレはどこですか」
 「○○に行きたいのですが(○○は、その時々に単語を入れる)」
 あとは簡単な挨拶言葉「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」など。

 なぜそのときの写真を撮らなかったのか、ずーっと後悔したものである(食後に訪問した女性の家の写真は撮ったのだが)。

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 さて、言葉も分からない旅行者に暖かく接してくれたあの施設の開放性や土地のおいしいものを安価にいただける食堂や、気さくなおばちゃんたちの存在が、いま存続問題で揺れ始めている「女性関連施設」にあるだろうか?

 ドーンセンターには久しく足を運んでいないので現状は分からないが、私が通っていたころ、吹き抜けの1階フロアには必ず何人か、仕事をさぼっているとしか思えないスーツ姿のサラリーマンが、居眠りその他をしていた。

 右側のレストランのメニューはいまいち魅力に欠けるので、たいていは、京阪天満橋駅構内の食堂やOMMビル地下の食堂街、松坂屋(現在は京阪シティモール)で食事をしていた。

 専門書の本屋さんはいいとして、正面のパフォーマンススペースはたいていがらんとしていた。
 建物のユニークさに関心を抱いてふらっと入ってきた一見さんが、この雰囲気の中、上階、あるいは地下階に移動して「見学」しようとは、まず思わないだろう。グランドフロアをもっと魅力的にする必要があるように思う。

 私が評議員をつとめる豊中すてっぷは、阪急電車に直結したビルの中にある。自由に使えるロビーには、勉強をしてるんだか、だらだらとだべっているんだか分からない高校生たちが、いつもたむろしている。それに対して、センターを利用する女性グループ・団体から、彼らをなんとかしてほしいとの要望が何度も寄せられる。女性センター/男女共同参画センターは社会人女性だけのものという意識の表れなのだろうか?

 高大生がお金を気にせず学外でたむろできる場所といえば公立図書館ぐらいのものだが、そこはたいてい、朝から場所を占有している中高年社会人、浪人生(?)、フリーター等で占拠されている。その点、女性センター系は「穴場」なのかもしれない。センター側も、たむろしている10代が関心を抱きそうなチラシや案内を置き、カウンセリングも紹介する等、彼ら/彼女たちを「利用者」として遇するような創意工夫をしていた。それらの努力をみない「要望」には常々「?」を抱いている。

 排除という後ろ向きの発想ではなく、センターでどのような活動が行われているのか、ロビーに行けば分かるような(チラシではない)案内、紹介があればどうだろう。講座も閉鎖的にせず、飛び入り見学も可能にするとか。なかなか難しいだろうが(最近は、二言目には個人情報云々と口にする人たちもいるし)、「あそこに行けば何か楽しいことに出会えるかも」と、来訪者が感じられるような発想をしたいものである。

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 明日はすてっぷの評議会。非難・批判にとどまらない提案型の発言を心がけよう。

 そうそう。昨日、塾に着いてまず、「どうでした?」と塾頭さんに尋ねた。さびしそうな表情で、「誰からも連絡がありません」という。えーっ、である。受かっても落ちてても、電話くらいしてこいよ>受験生。

 親子揃って挨拶に来る家庭、親から電話のある家庭、本人が塾に報告に来る場合、本人が電話してくるケース。それぞれに、その「家庭」のふだんの様子が浮かんでくる。今日あたり、1人ぐらいは連絡をくれているといいのだが。


 

南紀で米寿のお祝いを

 夫の母が88歳になった。誕生日はすでに過ぎていたが、暖かくなってから米寿をお祝いしましょうとの約束を果たすべく、3月23日(日曜)から24日(月曜)にかけて、温泉に出かけた。参加者は、娘・息子4人とその配偶者3人(同居の実母&ペットの世話のため1人欠席)の7人、そして、この春に1年生になるひ孫ちゃん1人という顔ぶれである。

 夫が今年60歳になる。お兄さん、お姉さん夫妻はすでに悠々自適の身、弟氏は自営業なので、混雑する土日を避け、夫と私が月曜の仕事を休んでの旅となった。

 残念であり、かつ、良い旅であった。
 宿泊先は、ナショナルトラスト運動で有名になった天神崎から歩いて行けるかんぽの宿紀伊田辺。ここは全室が海に面しており、夕陽の美しさで知られる。だが残念ながら、到着時には重い雲がたれ込めており、日の入りを愛でることはできなかった。

 夕食は、伊勢海老のお造りと熊野牛の両方を堪能できるごちそう。…なのに私がひたすら食べたのは、紀州産うすいエンドウ豆を使った釜飯である(笑)。自分の分を平らげたあとに、夫の残した分まで空っぽにしたのだから、我ながらおかしい。でも本当においしかったのだよー(って、誰に弁解しているんだか。笑)

 嬉しかったのは、「月曜午前中は雨」という天気予報がみごとに外れ、今日がとてもいいお天気になったことだ。昨夜、食後に2度目の温泉に入りに行った時はすでに雨が降っており、露天風呂が楽しめなかったが、今朝は冷たい風が頬に心地よく、目の前に海を眺めながらの温泉を堪能した。

 米寿のお祝いは、家族(娘・息子家族、ならびに孫やひ孫たち)の写真を上下左右にうまくレイアウトした大きな額。その真ん中に、昨夕、食事の前に撮影した集合写真をはめ込んで、夜に完成、朝に贈呈とあいなった。弟氏のデジカメで撮影した写真をお兄さん持参のプリンタで出力…と、今の時代だからこそ可能なプレゼントである。

 今日は、遠方まで車で帰る兄夫妻、関西での仕事を入れているという弟氏と別れ、姉夫妻の車に私たちも便乗して、大人5人、チビちゃん1人で白浜までドライブ。わずか水深6mの海中展望塔で、荒れる海の中を翻弄される(?)魚たちを見た。波がきついと、小さな魚は思うような方向に泳いで行けないんだねー(と、新発見であった)。

 その後、白浜駅まで送ってもらった我々は、皆さんと別れて特急で大阪へと戻った。

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 意外な話がいくつか。
 まず、私同様、テレビない暦40年余を誇る(?)夫が、夕食前に大相撲を見たいと言い出した。朝青龍が好きで、内館牧子が嫌いなんだそうである(わはは)。私、相撲にはまるで興味がないが、内館牧子の大相撲を巡る言動には「?」を感じることがままあるので、諒解していっしょに観戦する。

 夫は、朝青龍の優勝を見届けると、満足げに(笑)おチビちゃんとの○○ゲームに参戦するという。が、考えてみれば(考えなくても)、今回は大阪場所である。表彰式にはハシモト知事が登場するはずだ。動いてしゃべるハシモト初鑑賞(?)である。「私、表彰式を見てるわ」。「何をアホらしいことを」と、夫は苦笑。はいはい、どうせ私はミーハーですから!

 会場がどよめいたので何ごとかと見たら、ハシモト知事と東国原知事が握手していた。へぇ、宮崎県も優勝力士に賞品を提供しているのかー。初めて知った。それにしても、大阪人は私に勝るミーハー揃いである。2人が登場して以降、舞台での表彰式なんてほとんど無視して2人を撮影したり、歓声を上げたりしているもんねー。

 朝青龍の「大阪弁」の優勝挨拶も笑った。あの「まいどおおきに」の使い方は間違ってるんだけれど。

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 意外な話その2。夫は元祖(?)登校拒否の子どもだった!
 まず、幼稚園時代。行きたくないと、毎日泣いていたそうである。
 小学校では、5歳年上のお姉さんが、毎朝、夫とともに教室の前まで行き、傘や靴をしかるべき場所にしまってあげて、夫を促して教室内に連れていってくれていたのだそうだ。

 わはははは。皆さんのフォローによれば、小学1年の学期途中で引っ越したので心細かったのでしょうということだが、でも、夫は幼稚園でも登園拒否している。小学校の転校も、お姉さんはそのストレスを軽やかにクリアしているわけで、夫が「弱虫」だったことは間違いない。私自身、小学2年生での転校を経験しているが、わくわくドキドキ感しかなかったので、この話には大いに笑ってしまった。

 今日、帰りの電車でこの話を蒸し返し、「登園・登校拒否してたことは覚えてるの?」と夫をいちびったら、「ああ」と答えて、すぐにに眠る振りをした。どうやら「忘れたい過去」らしい。繊細さに欠ける妻を持つと夫も大変である(笑)。

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 今日は、公立高校後期の合格発表日。塾にお休みをもらっていたので、結果は明日聞くことになる。さてさて、生徒諸君の結果はどうだったろう(全員に太鼓判を押せないところが悲しい。講師のアドバイスに聞く耳を持たなかった生徒が不合格になっても、私はたぶん同情しないだろう)。

 

 

アタルちゃんを聞きながらの昼下がり

 いまラジオから流れているのは、中村中「AM零時」。午後1時から2時まで放送される「歌謡スクランブル」にアタルちゃんがゲストで出演しているのだ。今日はこの時間に合わせてランチ&コーヒータイムを設定した。嬉しい土曜の昼下がりである。今年中にアタルちゃんのライブに行けるといいなー。

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 春分の日(20日)は、兵庫県立美術館にムンク展を見に行った。私、かの有名な「叫び」も「不安」も「マドンナ」もまるで興味がなかったので、あまり気が進まなかったのだが、阪神の割引きチケット(梅田からの往復乗車券と割引入場券のセット)があるのを知ったので、夫におつきあいすることにした。

 夫は私がムンクに無関心なのを知っていたので、共通の関心事項である「ドイツポスター」展(京都国立近代美術館)に行くつもりにしていたらしいが…優しいよねー、このあたり(をほほほほ)。

 結論。
 その1 ムンク展行って良かった。
 その2 日本でのムンク評価は偏っており、真っ当なものとは言えない。

 もっとも興味深かったのは、ムンクは自分の絵を一枚の芸術作品としてではなく、建築物の内装(壁)を飾る連作=装飾壁画として構想していた、と知ったことだ。連作は「○○フリーズ」と命名されている。解説によると、フリーズは「帯」という意味だそうな。

 オスロ大学講堂にいまも飾られているというシリーズ<オーラ>はぜひ実際に観てみたいと思った。一方、チョコレート工場の食堂に飾られている〈フレイア・フリーズ〉は赤や緑の色彩もきつくて、あんなもんに囲まれてランチ取りたくないわーと敬遠(笑)。オスロ市庁舎に飾るつもりで制作を開始された<労働者フリーズ>には、北国らしく、身長を超える雪かきに勤しむ労働者の絵が何枚もあった。力強くいい絵だ。

 でも、ショップにあるのはいわゆる有名作のポストカードや複製画エトセトラで、私が気に入った作品はひとつもなかった。このあたりに、本当にその絵に感じ入ったからではなく、「他人が(メディアが、専門家が、有名人が…)いいと言ったものがいい」と単純に信仰してしまうこの社会のアホさが反映されている。

 そうそう、お腹を押すと妙な音の出る「叫び人形」もあった。おばあちゃんと来ていた(ママがトイレから戻ってくるのを待っていた)2、3歳の男の子が興味深そうにしていたので、彼の人差し指をひょいと掴んで一緒に押してあげたら、とても嬉しそうな顔をしていた。「おもしろいねー、変な音が出るねー」と私。しょせんこんなものはおもちゃである。余興で使うにはちょっと高すぎるだろう(何千円もしたと思う。私が買うなら300円以下だな)。

          *        *        *

 春うらら、なのにまだ4月からの働き方が決まらない。3月17日の院の懇親会で、「(サイトでチェックしても)シラバスがまだ白紙なんですよー。時間割が分からないと、仕事や生活のパターンが決められないんですけど」とグチったら、某先生から、「シラバスの原稿は今日が締切だったんですよ」との返事が返ってきた。うわー、これから時間割の組み立てかい?! をいをい!!

 というわけで、落ち着かない日々がもう少し続きそうだ。
 

 

「女子」の生き方

 昨日は目覚まし時計が鳴るより早く目が覚めた。以前、予定を忘れてすっぽかした会議のある日だったからだ。私なりに緊張してたんだねー(笑)。

 会議の会場は天王寺。終了後のお昼、午後から天王寺で仕事をする恵美さんと、クロワッサンの店で待ち合わせ。でもクロワッサンの店では何も買わず(笑)、お隣りのKitchen Kitchen(キッチンキッチン)で、105円から315円ぐらいの小物をいくつか購入したんだけれど。

 ランチはパスタとコーヒー。私があっというまにバクバク食べるので、恵美さん、びっくりしてた(笑)。DVやモラルハラスメントの話、「変な大人が増えていて、それが子どもに悪影響を与えている」話などなどをして別れたあと、一旦帰宅した。

          *        *        *

 夕方からは、ゼミの卒業パーティに出席するために梅田へ出る。関大の若草色の紙袋を下げた卒業生にいっぱい出会う。なにしろ、5000人以上が卒業するマンモス大学だからねー。雨の卒業式は、袴姿で着飾った女子にはちょっと気の毒だった。

 さて、パーティでは卒業生の某女子が爆弾発言(? 笑)をして私たちを驚かせた。なんとまぁ、現在妊娠◯か月で、「できちゃった結婚」をするという。入社の決まっていた会社には、昨日、事態を説明して辞退した、と。

 にこにこ笑顔で「永久就職します」「名字は○○になります」を連呼する△△子ちゃん。教授からは、「A級就職がB級就職にならないように」とのコメントがあったが、それにしても…。

 パーティを欠席した卒業生の□□ちゃんも、お見合いで即結婚を決意。欠席メールで「新姓」を披露し、「今夫になる人が住んでいる家に入ります」とあった。去年おしゃべりしたときには、仕事はやめて「○○(地名)に嫁ぎます」と、とても嬉しそうだったし…。

 ゼミの卒業生で、結婚しても働き続けている女子は1人だけである。「経済的自立」を人生の基本に据える女子は減っているのだろうか。それは、日本社会の経済力が衰えたから???

          *         *         *

 午前中、恵美さんとしていた話(夫を殺したDV被害女性たちを巡る話題)と、幸せ一杯の「結婚予定者」との世界が、実はたいしてかけ離れていないことを感じつつも、私が何を言っても聞く耳は持っていないだろうな…と、トイレでこっそりため息をついた(おかげで、全員の集合写真に参加できなかった、苦笑)←ここは私のいる場所じゃないな、との嘆息でもある。

 先だっては、現役女子大生が「上野千鶴子」の名前を「知らない」と首を横に振る場面に遭遇した。

 フェミはまるで浸透していない…多数派の日本人にとっては、テレビに出ない人や話題は「ないもの」に等しいのだと痛感したのだった。

 さ、でかける時間だ(今日はお遊び=ダーリンとデイトなり)。

 

彼や彼女と私の「明日」と「未来」

 昨日は公立高校後期の入学試験日。昼前にコンビニで新聞を購入し、まずは国語を解いてみたところだ(といっても、受験生諸君はもう塾には来ないのだけれど)。

 国語の作文課題は「明日」。うーむ。私がヤマをかけて最後に生徒諸君に書いてもらったテーマは「未来」だったのだが…。

          *        *        *

 さて、昨日は私の院生デビュー(?)の日でもあった。この年度末に修了する先輩諸氏の修論発表会に出席したあと、夜には下山して、先輩後輩に5人の先生方を交えて懇親会が開かれた。山の上へのバス登山にもかなり慣れた。総情と異なり、大学のまだ上に団地があり、バス代も200円の均一料金内なので、あまりしんどくは感じない(総情は270円だった)。

 私と同期で入学する社会人院生は6人。下は32歳から、最年長は、やはりという感じで私である(苦笑)。男性2人は、行政職員と、現役の公立高校教師(私が筆記試験の日におしゃべりした先生)。彼は1年休職(無給だそうだ)しての入学である。

 女性も多彩である。私以外は、環境系財団で働く人、音大出身の音楽セラピスト(美声!)、そして労働経済学の博士号を持つ准教授という顔ぶれだ。たいていの場では「何で今さら院に」と言われるが、ここでは、学位を持つ人がそこから派生したテーマで研究を進めるためにまだ学ぼうとしている。世の中にはいるんだなー、似た者同士が(笑)。

 誰かの発案でメーリングリストを作ってはどうかということになり、そういう仕事は必然的に私の担当(笑)になる。帰宅後さっそく、無料のメーリングリスト(アップル=Macを作っているアップル勤務の研究者さんが無料で提供してくれている)を立ち上げた。すでに先生からの連絡事項などもML経由で回しており、まずはいいスタートかな。

 さて、でかける時間だ。

パンキョー復活?

 調べものからの連想で、思いついて大学のシラバスを検索してみた。
 …およよ、総情では、1年次に「導入ゼミ」なるものができている。講義概要にはこうある。
新入生を対象として,「大学教育への導入」および「知的コミュニケーション力の向上」を図るため,少人数の演習形式によって,学生自ら学ぶための「学習技術」(スタディ・スキル)への入門的指導、与えられた知識や情報を鵜呑みにせず,「複数の視点から注意深く,論理的・批判的に分析する能力や態度」(クリティカル・シン キング)の涵養を行う.
 (講義内容は)情報の収集/リーディング/プレゼンテーション/ライティング

 なるほどね、たしかにね。どれも高校までの公教育に欠けている教育内容ばかりだ。

 おもしろがって検索を続けていたら、「全学共通科目」なるものもできていた。
 【自己形成科目群】と称して、下記の6科目がリストアップされている。
 美術からみる表現と理解
 日本の近代文学を読む
 日本の消費生活を見つめる
 民俗学を学ぶ
 旅から始める知の冒険
 バイオサイエンス入門

 バイオサイエンス入門を除けば、これって、ふた昔前のパンキョー(笑)科目のノリじゃないか? 多くの大学からいわゆる「一般教養」「一般教育」課程がなくなって20年近く経つと思うが、その弊害(常識を持たない大学卒業生が増えた)が実感されて、揺り戻しがきているのだろうか?

 私が総情に通っていたころは、バイオサイエンス入門に近い内容の「生命科学」という科目があった(担当するセンセは同じ)。ゲノム解読にコンピュータが使われるので、学ぶ必要があると考えられたのだろう。この科目を受講したおかげで、私は、新聞その他の遺伝子関係のニュースを理解することができたと思う。

 だが、他の科目はどうだろう。「近代文学を読む」で取り上げられるのは、芥川龍之介、中原中也、与謝野晶子、正岡子規。いずれも、高校までに教科書で作品を目にしたはずの作家、詩人、歌人、俳人である。なんでこんなものを…、いやそもそも、なぜ近代文学なのだ?

 以下同で他の科目にもケチをつけることになりそうなので割愛するが、もうちょっと「いま」を感じさせる科目選定や講義内容の精選はできなかったのかねぇ…。学校で教えられる(教科書や副読本に掲載されている)文学に面白いものはめったにないというのは、私が小学生だった40数年前から変わらない。教科書に縛られない大学の講義ぐらい、斬新な内容にすればいいのに。
プロフィール

はね奴

京都市在住。本・雑誌・DVDの企画・制作。エッセイ講座講師。20代から、労働運動と女性運動の重なる領域に生息。フェミとは毛色が異なる。

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