2008年06月

ラスト・フレンズを「精査」する?!(笑)その4(これで終わり)

 「ラストフレンズ」の尻すぼみの結末の原因がどうやら脚本にあると分かったので、かなり興味が失せてしまった。7月までこの話題を引っ張るのはアホらしい、昨日・今日で、「特別編」まで一挙に見ることにした。はい、私自身もかなりのアホでございますとも(笑)。

 破綻は8話でちらっと見えて、9話で全面展開されていた。
 8話は、ルカがシェアハウスを出たり戻ったりするストーリーだ。

 8話の笑えるシーン
(その1)誹謗中傷ビラをタケルが見つける件
 ソースケがルカを誹謗中傷する張り紙をモトクロス練習場に張った、「その後」の話。ルカが急に引っ越すと言い出したことに疑問を抱いたタケルは、ルカの指導者でありかつ「つきあって」いるはずの林田さんに、ルカの最近の様子を尋ねる。その帰り道、ゴミ箱とゴミ箱の間に、くだんの張り紙を見つける。
 をい。あのときルカはしっかりゴミ箱に押し込んだぞ。もしもこぼれ落ちていたとしても、ゴミ出しの人がビニールにしっかり入れて処分するのがフツーではないか? それとも、こんな問題アリのゴミを何日も放りっぱなしにしていたのか?

(その2)ルカがタケルに手紙を残す件
 空になったルカの部屋に最初に入ってくるのがタケルとは限らない。ルカが、自分の秘密を明かす手紙を開封のまま机の上に置いておくのは不自然だ。タケルにだけ読んでほしいなら、しかるべき場所に置いておくべきではないか?(タケルの部屋のドアの下から手紙を差し入れるとか)。のちの回で、タケルとルカの会話が廊下のみちるに筒抜けだったことを思うと、すき間ぐらいありそうな気がするのだが…(笑)。

 エリとオグリンがセックスする時はどうしてたのかな? 声や音が漏れないように目張りでもしていたとか?!(爆)

 8話最後に、井の頭公園で、ルカに追いついたタケルが叫ぶシーン。泣きながらタケルに包容されたルカが、ためらいがちにタケルの背に自分の手を回すシーンはなかなか良かっただけに、その前の矛盾が残念だった。

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 さて、ダメダメダーメダメ!(クレヨンしんちゃん風に)の第9話である。

ダメダメ(その1)ソースケを訴えなかった(タケルが被害届を出さなかった)件
 みちるの好きな人はタケルだと思い込んだソースケは、仕事帰りのタケルを襲い、利き腕である右手をつぶす。この段階でソースケは、DVの範疇を超えた粗暴犯(暴行、傷害、脅迫、凶器準備、すべての罪に該当する!)となっている。

 DVのD(ドメスティック)は、「家庭(内)の」という意味である。
 家の外では常識的にふるまっている男が、家庭内では他の構成員を支配下に置こうとして振るうのがドメスティック・バイオレンスであり、素直に直訳すれば、「家庭内暴力」となる。ところが日本ではそれ以前に、子どもが両親や祖父母に暴力をふるってときには死に至らしめる暴力を「家庭内暴力」と呼んでいたため、DVは、英熟語がそのままカタカナ表記で使われることになった。

 行いがDVにとどまっている間は、被害者が決断するまで、警察に届けたり、裁判所に保護命令を申請したりできない場合がある。もっとも、DV防止法には(配偶者からの暴力の発見者による通報等)という条項があるので、本来なら、タケルがみちるを救い出し、医師に診察してもらった段階で(診断書も取っていたはずだ)、関係者が何らかのアクションを起こすべきだった。以下、参考資料。アンダーラインは私が引いた。

第六条 配偶者からの暴力(配偶者又は配偶者であった者からの身体に対する暴力に限る。以下この章において同じ。)を受けている者を発見した者は、その旨を配偶者暴力相談支援センター又は警察官に通報するよう努めなければならない。
2 医師その他の医療関係者は、その業務を行うに当たり、配偶者からの暴力によって負傷し又は疾病にかかったと認められる者を発見したときは、その旨を配偶者暴力相談支援センター又は警察官に通報することができる。この場合において、その者の意思を尊重するよう努めるものとする。
3 刑法(明治四十年法律第四十五号)の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、前二項の規定により通報することを妨げるものと解釈してはならない。
4 医師その他の医療関係者は、その業務を行うに当たり、配偶者からの暴力によって負傷し又は疾病にかかったと認められる者を発見したときは、その者に対し、配偶者暴力相談支援センター等の利用について、その有する情報を提供するよう努めなければならない。


 DV男が、「家庭」の枠を超えて第三者に暴力をふるったとなれば、ここは例外なく、警察に被害を届け出るべきだろう。万一、みちるの懇願によってタケルが届けを踏みとどまったのだとすれば、その懇願の場面をしっかり描写すべきであった。

(その2)ルカが1人でソースケのマンションに行った件
 有り得なさすぎて、呆れすぎて、批判するのもアホらしい。
 この脚本家は、世の人間の大半は判断力のないバカだと考えているのではなかろうか。
 タケルのあの傷を見れば、自分がどのような目に遭うか、ルカにも十分想像できたはずだ。
 一体どのような理由付けをすれば、ルカは粗暴犯ソースケのマンションに1人で出かけるだろうか。マンションではなく外で会う、仮に何らかの事情でマンションに行かざるを得ない場合は、必ず誰かに同伴してもらう、というのが、現実に有り得る対応法だろう。

 ドラマでは、ソースケからの電話をルカが取ったあと、場面はすぐにマンションに移っており、ソースケの電話の内容は分からない。案外、脚本家も思いつかなくて、場面転換でごまかしたのかもしれない(←これはもちろん、脚本家への嫌味である)。

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 次行ってみよー(笑)。
 9話でストーリーが破綻したので、あとはさらっと流す。

 10話のご都合主義
 その1)出ました、虫の知らせ!
 ルカがソースケに襲われたその瞬間に、シェアハウスでは、タケルのマグカップの取っ手が取れてカップ部分が床に転げ落ちる。出たぁ〜!

 その2)壁に耳あり障子に目あり、部屋の話はまる聞こえ
 シェアハウスの音関係は不可解である。部屋の中の話し声は廊下に筒抜けであるが、他方、キッチンでしゃべっている人々には、玄関のドアの開け閉め音はまるで聞こえないらしい。

 その3)みちる、またもやソースケに騙される
 学習しない女=みちる。こんな女を「自分だけのもの」にしておきたいソースケ。やっぱりお似合い?
 それにしても、ウエディングドレス(いつ、どこから湧いてきたのだろう?)を胸に自殺するとは、みちるに暗に後追い自殺を強いているようでもある。

 脚本家は、東京レスリングのインタビューの中で、バタラーは死なないと聞いていながら、ソースケを自殺させた理由をこう語っている。
DVの人って「死ぬ、死ぬ」と言いながらも、絶対死なないそうなんですよ。だから、そこは現実とは違うんだけれど、このお話の中での宗佑という存在は、美知留を愛しているんだけれど、うまく愛せないもどかしさを抱えていて。私はやっぱりそれなりにそんな彼の想いを昇天させてあげたいというのがあったんですね。


 もしや、ジャニーさんに気に入られてジャニタレ主演ドラマをいっぱい手がけたいから?
 それとも、DV男を許容してもいいと脚本家が本音のところで思っているから?
 もし後者なら、本気で撲られたあとに同じことが言えるか、と尋ねたいものだ。
 ブラックな想像としては、脚本家がDVの被害者であり、その行為におびえつつも、どこかで「自分が悪い」と暴力を正当化しているとか…ちょうど美容室の意地悪センパイのように。

 いずれにしろ、タケルがソースケに暴力をふるわれたあとのストーリー展開は、リアリティが百万光年の彼方にぶっ飛んでしまったので、まともに批評する意味はないだろう。それをぐたぐた書いている私は、本当に物好きである(まぁ、乗りかかった船というやつでしてとほほ)。

 11話については以前にも書いたので、省略。
 最後の最後まで、ご都合主義の「虫の知らせ」が続いた。この会では、タケルとルカの乗ったバイクがトラックとぶつかりそうになるそのとき、旅館の厨房で洗いものをしていたみちるのすぐ横で、小鉢が床に落ちて割れた。

 こうやって並べると、「虫の知らせ」もワンパターンだ。

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 では、どのようなストーリー展開なら、私は納得できただろうか。ソースケの自殺が不自然にならないような展開を考えてみた(あくまでも物好き!!)

 タケルが警察に被害届を出したことにより、ソースケが逮捕・起訴され、「DV公務員、元恋人の友人に全治3カ月の傷を負わせる!」とマスコミでも取り上げられる。ソースケは職場を懲戒免職されるが、「児童福祉」関係で、ソースケの世話になった母親や、ソースケの「優しさ」を知る人々から「減刑嘆願(情状酌量を求める)署名」が集まる。

 シェアハウスの面々は、みちるをマスコミの取材攻勢から守るために奮闘する。
 そのさなか、みちるは自分がソースケの子を妊娠していることを知る。
 ルカは中絶をすすめるが、みちるは「1人で生んで育てる」と決めており、シェアハウスの面々が仕事に出ている昼間に、1人そっと出て行く。

 数カ月後、ソースケは裁判途中で仮釈放される。さっそくみちるの行方を探すが見当たらない。それからさらに数カ月後、ようやく見つけたみちるは、大きなお腹をして、見知らぬ男と親しげに歩いていた。

 新しい恋人との間にもう子どもまでできている、と思い込んだソースケは、逆上して2人に近づきこうとして、取り押さえられる。ソースケにはみちるへの「接近禁止命令」が出されており、ソースケ保釈後、みちるをサポートする人々が、それとなく彼女を見守っていたのだ。

 ソースケは、次にみちるに近づいたら保釈は取り消しになると言い渡され、自分は仕事も恋人も、人生のすべてを失った、と、絶望して自殺する。

 それをニュースで知ったルカやタケルがみちるの居場所をつかみ、シェアハウスに戻るよう説得するが、みちるは「1人でがんばる」と言い切る。

 変わったみちるを見て、タケルとルカも、「1人で生きてみようか」と、シェアハウスの解散を決める。エリとオグリンはミラノに行ったまま。

 特別編は、○年後の全員の再会場面でもいい。それぞれが成長していたり、とんでもない出来事に巻き込まれたりしているかもしれないし、誰かが死んでいるかもしれない。だが、誰の胸の中でも、シェアハウスでの濃密な日々は一生忘れられない日々だ……おしまい。

 ま、私のアタマで考えられるのはこの程度だわねー。脚本家志望じゃないので、お許しくだされ>ラストフレンズのファンであり、かつ、後半のストーリー展開にガックリきたみなさまさま。

 時間詐称してアップする。

 
 

ラスト・フレンズを「精査」する?!(笑)その3

 雨の日曜日。梅雨らしい梅雨だな、今年は。

 さて、ほぼ酷評オンリーの「ラスト・フレンズ」最終回に比べて評判のいい「絶対彼氏」最終回を見た。人造人間といえばすぐ思い出すのが、桂正和の『電影少女』。ビデオから飛び出してきた少女(ビデオガール)と人間の少年(青年への移行期?)との間に生まれる恋愛を描いたマンガだ。いくつかの自治体で有害図書に指定されたり、発行されない(禁止か自主規制か忘れた)巻があったりしたが、私は全刊を揃えた……ん? いまどこにあるんだろう。書棚にないので(譲った記憶もないので)、押し入れのダンボールの中かな??

 「絶対彼氏」の最終回では、「自意識」「心」を持ったロボットが、愛するヒロインの幸せを祈りつつ「永遠の眠り」についた。ヒロインは、ICチップに残したロボットからのメッセージに涙するが、彼の願いに応えるべく、1度はキャンセルしたパリ修業に向かう。

 ロボットからヒロインへのラストメッセージは、デイトの待ち合わせ場所にあった鏡に向かって語られ、記録された。それをヒロインがパソコンで再生するシーンでは、思わず「うまいなぁ」と口に出た。恋愛ドラマの終わり方として、後味も悪くない。出演者の演技力に関しては……ノーコメントとしておこう。というのも、いまの私の関心は、役者さんより脚本家やプロデューサーのほうに向いているからだ。

 「ラスト・フレンズ」の脚本家へのロングインタビューが、「東京レスリング」というサイトに掲載されている。ドラマ放映中は、ネタバレ防止のため途中までしか紹介されていなかったが、いま、続編その1がアップされている(未発表のその2まであるらしい)。URLは下記。その中に、興味深い記述があった。
 http://www.tokyowrestling.com/articles/2008/06/1_1.html

 タケルがルカを誘ってバイク2人乗りでみちるを探しに行くシーン。初日の夜に2人は海岸にテントを張って一泊するが、そのシーンにまつわる話だ。アンダーラインは私が引いた。
ただ、二人の心と体が一番接近する瞬間を、最終回には用意しておきました。姉に性的虐待を受けていたことをタケルが瑠可に打ち明けて泣き、瑠可に抱きしめられるシーンです。これは、8話にあった、タケルが瑠可を抱きしめるシーンの逆パターンで、タケルが恋心を封印してでも瑠可と向き合おうとするヒロイズムを持っていたように、瑠可のほうでも、厳密には恋心を持てないながら、精一杯タケルに歩み寄ろうとするシーンです。二人の間には、やはり友情という言葉でだけは片付けられないものがある――そのきわどい部分を描きたいと思いました。ところが、その微妙さがどうも俳優陣演出陣に理解されなかったらしく、実際のシーンはとてもあっさりした、男同士の友情みたいなシーンになってしまっていました。樹里ちゃんは心が男である自分が、タケルにそんなに歩み寄ることはできないと思ったようです。タケルと瑠可の関係も、瑠可と美智留の関係も、友情という簡単な言葉では置き換えられない複雑なものなのに、最終回ではそれがうまく描ききれなかった……いまにして思うと一番残念なところです。


 役に入り込んでいた上野樹里は脚本に納得できなかったのだろう。そしてそれは、演出家とも共通していた。とすると、やはり問題は脚本にあったわけか。

 これを読んで、タケル、ルカ、みちるが共同生活を送りながらるみを育てるという「結末」にはますます説得力がない、と、改めて思った。それこそ「友情という簡単な言葉では置き換えられない複雑なもの」が3人の間にはあり、簡単に割り切れるはずがないからだ。

 本チャンは7話までしか見ていない。シェアハウスのメンバーと林田さん(ルカのコーチ)が遊園地に行く。そこでタケルは姉と偶然再会してしまい、PTSDが出てふらつく。それを見たみちるとともに、2人は先にシェアハウスに戻る、という内容だ。「林田さん」へのタケルの複雑な心境を中心に描いた、というところだろうか。

 出たぁ〜! と笑ったのが、この後何度もご都合主義的に出てくる「虫の知らせ」だ。
 遮断機の下りた踏切をくぐって、向こう側の母親の元に行こうとする少年。それを助けようとするソースケの面前に電車が迫る!!!!(笑)
 そのときシェアハウスでは、ドアの外に出たみちるの目の前で鉢植えが一つ倒れる。それを見たみちるは暗い予感にとらわれ、全身に悪寒が走って震える。……をぃ!

 くだらない、実にくだらない描写だ。

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 昨日は数カ月ぶりに赤川次郎さんの新刊を買った。といっても推理小説ではなく、対談集。題して『三毛猫ホームズの談話室』。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334744362/ref=cm_cr_pr_product_top
 鶴見俊輔センセの登場は予想していたが、永井愛さんとの対談が掲載されていたのが意外で(赤川次郎さんは二兎社のファンで、舞台も数多く見ておられるそうな)嬉しかった。

 きょうはまだ掃除も洗濯もできていない(いまはすでに夕方の4時過ぎ)。晩ご飯用のワインが切れているので、買い物にも行かなければならないが、それらはちょいと後回しにして(をほほ)、これから続きを読んでしまおう。そんな気にさせる雨の休日もたまにはいいものだ!


 

ラスト・フレンズを「精査」する?!(笑)その2

 うほっほーい、週末になってようやくブログを更新する時間が取れた。

 今日は、遠い方の塾の生徒が通う中学校の期末試験最終日だったため、授業はお休み(生徒諸君、お疲れさまでした!)。小学生の授業だけをやって、まだ明るいうちに梅田に到着。久々に、阪神地下の食品売り場をうろついた。時間を作るために夕飯作りもさぼろうと、3割引きになったお弁当を購入。さきほど食べ終わり、いまデザート(昨日から冷凍しておいたフルーツゼリー)を食べながら更新を始めている。

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 水曜日は、夕方の講義が休講になるとあらかじめ分かっていたため、ちゃららさんとデート。待ち合わせ駅と職場の近いひろさんも加わって、とーーーーってもおいしい中国料理の店に行った。

 いやほんとにおいしいのなんのって。茹でたり干したりした(?)ホルモンの数々、キュウリとピータンとピーナッツの酢和え、ぷりぷりの水餃子、辛ーい麻婆豆腐、苦さの中に甘さのあるゴーヤの炒めもの、でっかいさやえんどうの炒めもの、チャーハン。まだほかに何か食べたかな?(苦笑)。私の飲み物は、最初はビール、あとは紹興酒ロック。不満はただ一つ、「白菜」の水餃子が食べられなかったことだ。私が食べたのは「海老ニラ」ばっかりだったんだよー>お2人さん(笑。皿に一緒に盛られていたので、無意識に食べていたら、こうなった)。

 デートの目的その1は、修論のための実践についてちゃららさんと相談すること。これはしらふのうちにちゃんと話した。目的その2はおいしいものを食べて飲むこと。私とひろさんは「その2」を十分堪能したが、ちゃららさんはちょっとしんどそうだった。3年ぶりに担任を持ってはりきっている分、疲れもたまっているのかな?

 そうそう、不満その2があったぞ! 私は、りんちゃん(ちゃららさんの連れ合い)に嫌がられているらしい。当日、彼がちゃららさんを迎えにくることになったのだが、私と○○さん(敢えて名を伏す。笑)はノーサンキューとのことで、私は彼に会わせてもらえなかった(ひろさんはすでに会ったことがあるそうだ)。会う前から嫌われている私って…、ぶつぶつぶつぶつ。

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 さて、ラストフレンズである。26日の「特別編」もそうとうひどかったようで、私が見た限りでは、酷評、酷評、また酷評のオンパレードだ。ただ、いくら悪口を言われても、それはドラマが話題になった証拠であり、視聴率が伴っていれば大成功とみなす、というのが、テレビ局の発想かもしれないね。

 私自身の復習は、第五話・六話までしか進んでいない。
 そこで、前々から抱いていた疑問が大きくふくらんだ。ルカと母親との関係である。

 ルカの父親は彼女の一番の理解者として描かれているが、母親は、娘が抱く性への違和感にも気付かない鈍い女として描かれている。だがしかし。ルカが本当に女としての性に違和感を抱いてきたのなら、ひと悶着あるほうが自然ではないか、彼女が初潮を迎えたときに。

 何もトラブルがなく、ルカが自然に月経を受け入れていたとすれば、彼女の「症状」はいったい何なのか? 自分の身体(胸が大きいとは思わないが(笑)、まぎれもなく女の身体)を見るのがイヤだというルカが、毎月の月経をすんなり受け入れることなどできないとしか思えないのだが。

 月経が始まる=大人の女になることに違和感や嫌悪感を抱いて成長を拒もうとする女性は少なからずいる。私が直接会って話を聞いたことがあるのは、当時27歳だった女性だ。中学一年で月経が始まって以来、女になりたくないと熱望した彼女は拒食症になった。数カ月後には月経が止まったそうだ。

 私が会ったとき、彼女は大学時代に出会った男性と一緒に暮らしており、拒食症の治療を受けていた。ふっくらしていればさぞかしキレイだろうと思われる整った顔立ちだったが、過食はなく、ただただ食べない年月が続いた結果、文字通り、骨皮筋子状態で、ちょっと無理をすればポキンと折れてしまいそうな風情だった。セックスもしていない(その体力がないのだと!)

 冷静に過去を見つめることができるようになっていた彼女は、「優等生の長女として、親の期待に応えるためには○○であらねばならぬと自分で自分を抑え付けていたことに気付かず、拒食に逃げていた」と、過去の自分を分析していた。それが分かったことで治療への思いも湧いた、と。

 そういう彼女を経済的・精神的に支えている彼もまた、いろいろしんどいものを抱えている人で、「ぼくが彼女を支えているし、支えなければならない」との思いで自分を支えているような印象を受けた。共依存と書けば病的なニュアンスになるが、日本のことわざに「破れ鍋に綴じ蓋」があるところをみると、このような関係は、実は昔からあったのかもしれない。

 ルカとタケルの関係も、案外これかも(笑)。

 話を戻そう。月経というのは、親に隠せるものではない。娘とのコミュニケーションが取れている母娘なら、年頃になった娘のその日に備えて専用のショーツを何枚か準備し、ナプキンも用意して(母娘で共有する場合もある)、娘からの報告を待つだろう。ルカの場合、母の日にカーネーションをプレゼントする程度には関係が作れているわけだから、もしも初潮にマイナスのショックを受けたとすれば、何らかの感情を母親にぶつけたと考える方が自然だと思うのだが…。

 母親との関係の良くなかった私だって、初潮を見たときにはきちんと報告した(姉がいたので、必要なものは姉と一緒に揃えてもらっていた)。ついでに、嬉しがりの私は、父親にも、担任の教師にも、体育の先生(妹の担任でもあった)にも、「始まった」「始まった」と言いふらしたんだけどね(をほほ)。

 人物を造型するということは、「いま」の彼や彼女だけではなく、その生い立ちや背景も含めて作者が「理解する」ところから始まるはずだ。それができない=人物造型が浅いというのは、果たして脚本家の責任か、それとも番組プロデューサーの責任だろうか??

 明日は土曜日だが仕事(会議)が入っているので、今日はここでおしまい。コーヒー飲んでる間にお風呂にお湯を張って、湯上がりに余力があったら、「ラストフレンズ」の復習を続けよう。酷評の特別編がアップされていれば、それを先に見ようかな、それとも、ひどすぎてどこもアップロードしないとか(はははは)。
 

 

監視社会ニッポン

 雨の日曜日。私が部屋でうだうだうだっている間に、JR環状線大阪駅では、カミソリ様のもので女性3人が斬りつけられる事件が起きていたそうだ。

 そして先ほど。38歳の女性が逮捕された、と、新聞社のニュース速報で見た。

 驚いたのは、大阪駅だけで100台もの監視カメラが設置されていると知ったことだ。うち4台に、被害に遭った女性2人のすぐそばにいる「黒い帽子の女性」が写っていたという。

 逮捕された女性は、神戸線でトラブルを起こしていたとか、事件が起きた数十分後に環状線弁天町駅で駅員に食ってかかったとか、大阪駅では阪急線の方に歩いて行った…とか、新聞社の報道もまだ錯綜していて、実際はどうだったのかは分からない。本人の対応も「一部を否認」「黙秘」「考えさせてくれと言っている」と、バラバラ。各紙記者の取材力に「??」が湧いてくる。

 それ以上にびっくりなのは、監視カメラの普及度合いだ。カメラの映像が「犯人逮捕」に結びついたとなれば、カメラがあってよかった、と、その存在を評価する/ありがたがる人が増えるのだろうな。

 もしも監視カメラ設置におおっぴらに反対すれば、「やましいことでもあるの?」「見られて困るようなことをしているの?」などと腹を探られ、あらぬ噂を立てられるかもしれない。

 奴隷が奴隷の不自由に気付かなかった時代があったように、自宅を出て以来ほとんどの場所でカメラに動きをとらえられていることに不自由さも不快感も抱かない人々が、少なからずいるように思う。

 きゅうくつじゃないですか? 不快じゃないですかぁ???

ラスト・フレンズを「精査」する?!(笑)その1

 ウオォーッ!!(←欲求不満の叫び。笑) 今日は部屋から一歩も外に出ていない。これじゃぁ身体がなまってしまう、とは思うのだが、降りしきる雨を見ると、びしょ濡れで歩くのもなぁ…と萎えてしまう。昨日の天気予報では午後から晴れるとのことだったが、夜7時になったいまも、雨は降り続いている。幸か不幸か、お肉も野菜もワインも冷蔵庫にあるので、買い物に行く必要がない。

 こんなとき、ゲンキープが開いていれば、と、残念に思う。片道10分もかからず、プールとジムの両方を利用しても千円ですむという願ってもない条件なのに、日曜日には閉まっている。橋下改革案では、ゲンキープの入っている健康科学センターは「機能縮小」とされているが…もっと使わせてくれよ〜!

 さて、恵美さん(カウンセラー)、アンドレさん(法学研究者)が、ドラマ「ラスト・フレンズ」について、専門家の立場からコメントを寄せてくれた。恵美さんはDVやモラルハラスメントの被害者の現状を知っており、アンドレさんは(たぶん)加害者の実態を知っている。

 うーん、これは私も、おちゃらけではなく「ラストフレンズ」を捉え直さなければならないか〜ってなわけで、第1話からドラマを「精査」することにした(笑)。
 私、この「精査」という言葉が大っ嫌いである。ふだん暮らしのなかでは使う必要がないと思われるが、最近、妙に耳にすることが多い。お役所ごっこ、それとも科学者ごっこ?! …と、これを言いたくて、あえて「精査」と書く私は…やはりおちゃらけが残っているかも(笑)。

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 しかし、しんどい。動画サイトで2話まで見たところでどっぷり疲れてしまった。パソ前にずっと座っているわけではなく、台所仕事をしつつ「音」を聞き、映像を確かめたいところだけ画面を見る、というやりかたを取ったのだが…。

 と、上の3行を書いた段階でお腹が空いたので、動画を流しつつ夕飯の支度を始め、食べながら続きを見て、4話まで進んだ。

 ここまでの話には、破綻はない。ルカがみちると再会する偶然も、タケルがルカと信号待ちで遭遇する偶然も、エリがおぐりんに声をかけるきっかけも、とってつけたような不自然さはない。ソースケの「人格」の描かれ方も一貫していて矛盾がない。

 ただ、ありえねーだろ、と突っ込みたいことがらが、1つあった。美容室のセンパイによるみちるいじめ(?)の描き方だ。とんがったヒールでみちるの足を踏みつけたり、みちるにわざとぶつかって彼女が手にしている器の染め粉(うぁはは。髪染めたことがないので、あれを何というのか分からない)がお客さんにかかるようにしたり、というアレである。

 私、これまでに、ご近所の美容室、ブランドチェーン(モッズヘアとか)、そこを卒業・独立した「ヘアアーチスト」のお店、ホテルの美容室、千円カットの店…と、さまざまなタイプの美容室&カットサロンに通ってきたが、そのすべてで絶対なかった!と断言できるのが、ピンヒールを履いた女性スタッフの存在である。

 美容師さんは立ち仕事なので足がとても疲れるし、むくみやすい。そこで彼女たちは、より疲れの少ない履物を探しては、試していた。ナースシューズ様のものは比較的疲れが少なく、某ホテルのスタッフIさん(当時50代)はこれを愛用していたが、「おしゃれ」「最先端」といったイメージを売りにしているサロンの若いスタッフは、「ダサイ」健康シューズははかない。でも、足腰への負担の大きいピンヒール靴を履くほどのバカはいなかった。

 また、客はスタッフ同士のぎくしゃくがあれば敏感にキャッチするものである。センパイ女性のような、フロア(客の面前)でのあからさまなイジメはすぐに気付かれ、噂も広がるはずだ。店長がスタッフ間のイジメに気付かないことも含めて、美容室の描き方は、プロの脚本家とは思えない低レベルだ。

 そういえば、最終回の旅館厨房の描き方も、まーったくなっていなかった。もしかするとこの脚本家、労働の現場をほとんど知らず、かつ、観察力もイマイチなのでは?? と思いついて、プロフィールを調べてみた。

 慶応大学大学院修士課程(仏文科)を修了後、塾講師のアルバイトを経て、1990年から6年間、日本脚本家連盟ライターズスクールでシナリオの勉強。そののちデビューしたそうだ。(日経ウーマンのウェブサイトより。URLは下記)。
 http://woman.nikkei.co.jp/people/article.aspx?id=20070920f2000f2

 なるほどー。やはり、上司・同僚・後輩・取引先・客…といった人々と共に or 関わりながら働いた経験はないようだ。塾講師は学校教師同様、学校を出たばかりの新人どころか現役学生であっても、受講生(生徒)に対してはある種の「権力」を行使する/できる仕事だからねー。

 若い人たちの職場で、足をわざと踏みつける、相手が失敗するよう故意に仕掛ける…といったイジメがあるとは思いたくない。だが、憧れの航空業界に就職し、某関空(爆)のカウンター業務についている女性から、カウンターで接客中に意地悪なセンパイからヒールで何度も蹴りを入れられ、それでも笑顔を絶やさずにお客さんと応対している、という話を聞いたのが、ほんの2年ほど前のことだ。残念ながら、あると思わざるを得ない。

 センパイに蹴られた痣がみえないように、新人スタッフはみな濃い色のストッキングを履く…という話は、かつてこのブログでも紹介したことがある。一緒に飲んだ女の子は、「負けるのがくやしいから」と、心療内科に通いながらも退職せずにがんばっていたが…さて、いまごろどうしているだろう。

 そういえば、「ラスト・フレンズ」でも、スッチー(契約社員)のエリが、正社員に挨拶して無視される、というシーンがあったなぁ……。

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 この段階ですでに、性同一性障害者をよく知る視聴者から、ルカのセクシュアリティへの疑問(性同一性障害ではなくレズビアンではないか、といった内容)が出ていた。目立ったのは、自分を男と思っているなら自称に「私」は使わない、という「批判」である。

 それはちょっと違うと思う。私は自分を女と自認し、セクシュアリティはヘテロだが、それでも長い間、自分のことを「ぼく」「わし」と称する時期があった。それは、日本語ジェンダーの「女言葉」では語れない主張や意見を私が口にするときに必要だったのだ。

 A「じゃかしいわい、ワシの言うことが聞けへんいうのんか〜!」
 B「うるさいわねぇ。私の言うことは聞けないというの?!」

 この差。Aは攻撃的で、Bはいささか投げやり気分?(笑)。
 「おれの、おれの、オレの話を聞け〜!」と言いたいときに、B表現は使えないのだ。

 性自認が「男」なら自称も男(ぼく、おれ、など)になるというほど、言葉遣いの世界は単純じゃない。カムアウトした者同士の内輪の会話でなら、解放された気分で男呼称を使う当事者がいるかもしれないけどね。

 蛇足(?):私の祖母世代(明治生まれ)の女性には、自分を「ワシ」「オレ」といい、着物の裾を両手でひょいとからげて「立ちション」するおばあちゃんはちょこちょこいたものだ。ベランダから何気なく外を見ていると、近所の飴屋さん(籠を背負って行商していた)が、畑にお尻を向け、ちょっと広げて立つ。あ、おしっこや…というのを、小学校高学年から中学にかけて、私は何度も見ている。

 えー、疲れたので、今日はここでおしまい。

 

 

どんな「結末」なら納得しただろう(笑)

 はい、はーい。塾が終わったあとタクシーで最寄りのメディアカフェにかけつけ、「ラスト・フレンズ」を(冒頭ちょっと見逃したけれど)リアルタイムで見た好き者は、この私でーす!

 というわけで、2千円近く使ってテレビドラマを見に行ったアホな夜であった。
 最終回は、涙、涙どころか、苦笑また苦笑のストーリー展開だったしね…。
 
 ソースケの死に責任を感じて海に飛び込もうとするみちるは、寸前で母親の友人に見つかり、その人がつとめる旅館で働き始める。妊娠が発覚したあとも働き続け、「子どもができても働き続けていい」と言われたそうだが、赤ちゃんを預ける保育施設はあるのか? いまどきの旅館に、乳児を抱えたシングル女性を働かせるほどの経済的余裕があるのか? だいたい、みちるの動きの鈍くさいこと! あんなんで配膳の仕事がつとまるわけないだろーに。

 ルカは優勝記者会見で、タテマエ的なカムアウト(?)。母親と弟は分かっているのか? 「治療」はどうなったのか? 

 タケルと「姉」の話は半端なまま終わった。姉とは血がつながっていない=再婚した父親の結婚相手の連れ子だったという「告白」は、近親姦は刺激が強すぎるだの何だのという、どっかからの「クレーム」の結果? 

 おぐりんは妻と離婚し、エリと結婚。ミラノ赴任まで1カ月もないはずなのに、うまい具合に結婚式場(教会)、披露パーティ会場が見つかったものだねー(笑)。結婚式なんか挙げずにミラノに行けばいいものを、あの首なし結婚式シーンを予告編に入れることで、今日の視聴率アップを狙ったんだろうねぇ。ちとあさましい展開であった。

 みちるを探しに行くタケル&ルカのどちらかが事故で死ぬ or ルカがレーサーとして致命傷を負う、あるいは、難産の結果、みちるが出血多量で死ぬ…などなど、さまざまな予測はぜーんぶ外れて、みちるはかわいい女の子を出産。シェアハウスに戻り、タケル(「パパですよ」と赤ちゃんに声をかけていた)、ルカと3人+1人で生活していく。

 〜〜はぁ〜、メデタシ、メデタシってか?!
 予告編には「衝撃の最終回」とあったが、どこが衝撃なんだ???

 DVにしろ(美容室の意地悪センパイの話は次回の特別編で出てくるのか?)、性同一性障害(精神科医師は「性別違和症候群」だと語っていた)にしろ、テーマをポンと投げ出して、投げっ放しで終わったという印象だ。「啓蒙」「教養」「教育」番組ではなく「ドラマ」だから、これでいいということなのかな? 

 最後の最後まで、みちるのセリフ&演技はうっとーしく、そういう女の子を愛して止まないルカの気持ちも理解できないままだった。百歩譲ってこれらの前提を認めるとして、私ならどんな結末を用意しただろうか?

 まず、みちるには「中絶」させただろう。

 みちるが出産した場合、貧しい母子家庭として生活していく=彼女と母親との生活を「再生産」するおそれがある。ドラマでは、みちるの母親がそういうことを口にしていたが、娘が、妊娠を知って「ソースケに許されたように思った」とかなんとか語るうちに、あっさりと意見を変更してしまう。

 おえー、気持ち悪〜い。DV男が死んでもなお「許してもらえない/許された」という発想しか持てないみちるのもののとらえ方が。こういうセリフを吐かせることで、脚本家は何を「伝えた」つもりなのだろうか??

 宗教上の理由で中絶を禁止している国々でさえ、強姦で妊娠した場合には中絶を認めるケースがあるので、この展開に無理はない。ただ、ヒロインの「中絶」は、日本のドラマとしては「受けが悪い」だろうな。

 ルカには堂々と生きてもらおう。精神科に通ううちに、彼女は同じ課題を抱えている「仲間たち」と出会い、その交流の中で新たな「友情」が生まれるのだ。つまり、「ラストフレンズ」は「最後の友達」ではなかった、というわけさ。

 タケルも、ルカに励まされて、自分の問題=姉と対決する。その結果がどうなるかは…私が脚本家なら、ちゃんと勉強して結末を考える(笑)。

 ドラマへの期待はずれ感は、ソースケを自殺させた段階ですでにはっきりしていたのだが、それにしても悲しい最終回だった……と書きながら、来週の「特別編」も見ると思うけどね。もちろん今度はタクシーなんか使わず、1、2日遅れの無料動画サイトで、だけど。


  

睡眠不足がポカの原因?(笑)

 今日は朝から大ポカをやらかした。

 会議は午前10時開始。阪急電車って嫌いなんだよなーとぶつぶつ言いながら、JRから阪急への乗り継ぎ通路を歩く。人の多い通勤時間だと10分もかかるこの移動が、嫌いな理由その1である。車両の座席もイマイチだし、過去に痴漢に遭ったりオヤジとケンカしたり…というのは、一件(地下鉄)を除いてすべて阪急での出来事だったし…。

 なーんて悪口を頭の中で再生産しながら電車に乗ったのが悪かったのか、「まもなく豊中です」の車内アナウンスを耳にして、ドキッ、ビクッとした。…今日の会議はすてっぷ(豊中)ではない! 乗るべきは神戸線であった〜!!

 下車してすぐに、ホームの公衆電話で「30分遅れます」と電話を入れる。ホントにアホやわ、私。

          *          *          *

 自分が間違ったくせに、なんとなく不愉快だった私は、帰路はわざわざバスに乗って、阪急駅前からJR駅に移動。ゼミが始まる時間にはかなり余裕があったので、駅前スーパーで食材とワインを購入し、六甲道駅前のドトールコーヒーでくつろいだあと、登山した。

 スーパーでの買い物ができるのは、我ら一年履修院生の専用室が設けられ(机、ロッカー、書棚、1人1台のノートパソあり)、学内の大型ゴミ置き場から1ドア冷蔵庫が運び込まれてきたからだ(笑)。いつの間にか冷蔵庫が現われ、数日後にはキレイに掃除されている。ありがとね〜>◯ちゃん、△ちゃん、□ちゃん!

          *          *          *

 更新できない間に「?」を抱いた出来事がいくつかある。

 宮崎さんちのツトムくんへの死刑が執行されたこと。アキバの事件を契機に警察・検察批判が広がらないように、人々の目を逸らす意図があったのでは?! という気がしている。幽霊というものが本当に存在するのなら、鳩山法務大臣は呪われてひどい目に遭いそうな気がするが…今んとこ平気なようですなぁ。やれやれ。

 釜ヶ崎のプチ暴動。イナガキ氏が逮捕されたそうだ。「老体」にむち打ってようやるなー。私が知っているのは、何十年も前の釜共闘時代の氏で、なおかつあまり共感しなかったが(他にカッコいい人がいたし。爆)。

 そして「ラスト・フレンズ」(同列かよ。笑)。ブログを見回っても、じかに話しても、みちるに共感する女性はみごとに1人もいない。脚本への「?」にとどまらず、「長澤まさみって、もともとああいうキャラだし」と、吐き捨てるように嫌悪感をあらわにする年下の知人さえいた。逆に、私が見聞きした範囲ではたぶん100%きっかり評価されていたのが、上野樹里の演技力だ。「のだめ」との違いが際立っているのもいいんだろうねー。

 ソースケが自殺する設定は、錦戸ファンへの配慮だろうか。強姦した彼女が寝ているとなりの部屋で自殺というのは、この上ない「嫌がらせ」でしかないのだが。彼女は一生、そいつが死んでいるのを発見した時のショックを忘れられないだろうし。…だが、そういう「憤りの声」は見当たらない。

 みちるのお腹の子の「父親」はどうやらソースケのようだが、強姦男の子どもを産むという選択がまた、私の理解の範囲を超えている。

 予告編では思わせぶりな結婚式(新郎新婦の首から下だけが映る)シーンがあり、あのカップルは誰と誰? と、あちこちで話が盛り上がっている。あそこで画面を止めて姿形から判断を下しているサイトもあって…気の引き方としては大いに成功している?!

 私が動画を見られるのは金曜夜あたりかな。

 さて、昨夜は11時過ぎに自宅に到着して、それから晩ご飯、休憩、お風呂。今朝は早起きだったので、すでに睡魔に襲われている。食後2時間たったことだし、眠るとしませう。

 

週末アラカルト

 あー、よく寝た! すっきり目覚めて、今日は、掃除、洗濯、図書館行き、ヘアカット、食材購入と、雑事オンパレードの日になる予定である。いま、ランチのサンドイッチをパクつきながら、ブログを書き始めている。

 近ごろ、JRが時間通りに運行したためしがない。
 金曜夜、塾の仕事を終えて、夜10時半ごろ、大阪駅環状線乗り場についた。階段を上ったとたんに、いや〜な予感。ホームに人がびっしり詰まっているのだ。内回りホームには電車が停まったまま。私の乗る外回り線の電光掲示板を見ると、電車が隣りの福島駅に停まっている模様。そしてくり返される構内放送。

 「ただいま、福島駅で、お客様が外回り電車に接触される事故が起きたため、内回り、外回りとも運転を見合わせております」……おえー。「接触」? 酔っぱらいがぶつかったのか? それとも「事件」(後ろから押されたとか)?

 5分ほど待ったころ、内回り線のみ運転が再開された。停車していた電車は超満員で出発。その数分後、内回りに関空快速が入ってきた。外回りは運転再開の様子もない。とっさの判断で行列を離れ、関空快速に飛び乗った。運転を再開したとはいえ、電車が詰まっているため、徐行また徐行。天王寺で環状線に乗り換えたあとはスムーズに進んだが、結局、大阪をぐるりと四分の三ほど電車で遠回りしたため、最寄り駅に着くまでに50分ほどかかった。

          *          *          *

 土曜日は、大学の施設での「参与観察」デー。施設の最寄り駅前で一緒に行く院生仲間と待ち合わせていたのだが、またまた環状線で「人身事故」。「お客様がドアに足を挟まれたため…」って、無理に乗ろうとして足を突っ込んだら、そのままドアが閉まり、出発しかかったという意味だろうか。

 金曜夜といい土曜の事故といい、ダイヤの乱れの原因を作っているのは乗客の「マナーの悪さ」「無理な乗車」のような気がする。5分待てば次の電車がくるんだし、5分を争う緊急事態がそうそうあるとも思わないのだがなぁ…。

 「参与観察」は、別名「赤ちゃん抱っこデー(笑)」。前回から1か月、生後6か月になった赤ちゃんの多くが、うつぶせやおすわりができるようになり、なかにはすごいスピードでハイハイする子もいて、その成長ぶりに驚かされる。かわいーなー。

 午後は1歳児、2歳児が来訪。こちらはしぐさや始まったばかりの言葉がかわいく、かつ、おもしろい。なかに数人、人見知りが激しくて両親から離れない子どもがいて、気の毒に思う。いろんな世代や性別の大人に「可愛がってもらえる」チャンスをみすみす逃しているんだもの。

 施設には、大学のセミナー以外に自由に遊べるスペースがあり、そこには「障害児」もやってくる。昨日は、金属の匂いが大好きという匂いフェチの男子(Hくん)と知り合った。この少年(小学校中学年ぐらいかな)、言葉は発しないが、満面の笑みを浮かべて私にアピールする。「また会おうぜ」と約束したので、彼に会うために、次の訪問を計画しよう(大学の課題としての参与観察は、2回で終了したのだが)。

          *          *          *

 土曜日ぐらい早めの夕飯を。京都と神戸(参与観察会場)の間を取って大阪駅前で夫と待ち合わせし、ずいぶん久しぶりに、船場センタービルにある「れすとらん山崎」でチーズフォンデュをいただいた。あとは、合鴨ロースのサラダ仕立て、ポルチーニ茸と黒トリュフのフェトチーネ。炭水化物率高し!(笑) 初めて飲んだ(お店お勧めの)スペイン産赤ワイン2種類がどちらもとてもおいしかった。

 さて、片手ランチ(笑)も終了。コーヒーを飲み終わったら、お仕事に取りかかりませうぞ、おー!

 

「男ってやつは……」(笑)

 1年というのは本当に短い。院を受験するかどうか検討していたとき、1年履修コースを修了したセンパイ(と呼ぶと嫌がられるけれど。彼女、私よりうんと年下だし。笑)に、「研究を楽しむなら2年制がいいよ」とアドバイスされた。でもそれは、経済的に無理。納得して入ったけれど、いまつくづくと、1年は短いなぁと痛感している。まだ2カ月しかたってないんだけどね(それだけ楽しいという意味でもある)。

 修論の輪郭がみえてきて、読んでおくべき本もいっぱい教えてもらって、いよいよ本格的な勉強の夏になりそうだ。ズバズバ批評してくださったセンセ方には感謝している。なかでも「ジェンダー嫌い」の男センセ(笑)の、「はねこ節で書けばいい」というひとことが気に入っている。はねこ節で行くぞー! 

 1年履修コースの顔なじみメンバーで構成するゼミで「ことばとジェンダー」をテーマに専門書を読んで議論している。自分に引き付けて話し合う場面が多いのだが、そこでつくづく、私は「男を挑発する話し方」を意図的にしてきたのねー、と、再認識した。

 学生運動でリーダーシップを取ろうとしている男をやっつけるべく(笑)「理論武装」し、論理でやりこめた! と思ったとたん、その男が「女になんか指導されてたまるか!」と捨て台詞を吐いて席を立ち、教室から出て行ったことがあった。そいつの性差別と本音がさらけ出された一瞬だった。そいつがリーダーになれなかったのは言うまでもない。私がリーダーになったわけでもないが、私はそいつの本性をさらけ出すことに成功して、ふふふと満足したものだった。

 何十年も前の話を持ち出したのは、最近、似たようなケースがあったからだ。

 1週間前に書いた「ブログを巡るうっとぉしい話」の続き。
 Aさんちはまだ更新がないが、Bさんブログの悪口を書いていた(たぶん)女はほとんど誰にも相手にされなくなっている。嫉妬も限度を超えると本人のバカさ加減をバクロするだけだしね。ここはこのまま無視して正解だろう。

 そしてCさんち。「問題人物」が犯罪者になる前に退場してもらおうと、ちょっと挑発してみたところ、呆れたことに、3つめのハンドルネームを使って私に「反撃」してきた。

 …ので、穏やかな性格のCさんもさすがに決断。「反撃投稿」を削除し、問題人物からの投稿を拒否する設定にした。そのスキを縫って本人から「投稿」があり、素直に1人3役を認めたそうだ。

 そのオヤジ(私よりうーんと年下だが、世間ではオヤジの範疇に入る年齢)から私に対する削除された反撃投稿を、記念に(?)残しておこう。オヤジの書く「この者」とは私のことである(はは)。
この者の書き込みは完全に言いがかり。そして他を指して言っている「ひとりよがり」とはまさに自分のこと。傲慢、独善はやめなさい。“普通”になりなさい。その後の、このブログの空気のぎくしゃく感たるやもう・・・。素直に反省して、空気を張り詰めさせた責任を悔いなさい。以上。


 てめぇが1人3役でブログをかき回しておいて(しかもうち1つは女のふりをしているし)何をか言わんや、であるが、醜い男の言いがかりとしてなかなかに興味深い(この場合、醜い→男、醜い→言いがかり、と、醜いは両方にかけている)。

 私ってやっぱり挑発の才能がある?(爆)

 さ、お仕事、お仕事!

今夜は徹夜かにゃぁ〜

 57のおばはんのすることではないが、今夜は徹夜になるかもしれない。明日、某ゼミ(輪読)の発表担当が当たっているのだが、モロに修論に関わる内容なので、ついついリキが入ってしまうのでありますよ、年齢を顧みず(苦笑)。

 そんなわけで、リアルうさぎやの日程(2、3のどちらにどれだけの人が集まれるか、など、まだ把握できていない)決定は、週末まで待っておくれやす〜>参加予定のみなさま。

 そうそう、前に書いた、「ケータイの電磁波でポップコーンが作れる?!」は、有り得ないと、その筋の専門家からの発表があったらしい。……とすると、ゆーちゅの画像はどうやって作れたのだろう?
 誰か謎を明かしてくれい>専門家諸氏!!

 なぞといえば、自宅から歩いて行ける塾までの途中にも、私が勝手に「ミステリーの家」と名付けている3階建て住宅がある。

 去年の夏、突貫工事が始まり、秋には駐車場を備えたお洒落な家が完成。一家が引っ越してきた。子ども用自転車(補助輪つき)や、植木鉢、ウェルカムリース、窓にかかるカーテンなどから、比較的若い両親と子ども1、2人の家族なんだろうな、と、私は勝手に想像していた。

 いつからだったろう。塾から戻る時間(夜10時半ごろ)になっても明かりが一つも灯らず、真っ黒のままになったのは。変だな、と気付いたのは、1カ月ほども経ってからのことだ。

 ある夜、駐車スペースに久々に車が止まり、室内の電気がついていた。ただ、動きが妙に慌ただしい。「も、もしかして、実は家族全員夜逃げしていて、今夜はこっそり、必需品なんかを取りに来たの?!」との推理を働かせるに十分な「不審な影の動き」だった。

 好奇心満々の私としては、張り込み取材(??)をしたいところだが、さすがにそれは断念。翌日もその家の前を通ったが、人のいる気配はまるでなかった。

 やがて、屋外に設置されているガス設備(?)に、閉栓を知らせる札が下げられた。ウェルカムリースはドアにぶら下がったまま。植木はまだ枯れずに伸びており、駐車場(レンガがゆるりと敷かれている)のすき間にある土面からは、雑草が育っている。きれいなままのカーテンは微動だにしない。

 もしも、私に赤川次郎さんの百万分の一でもミステリーを書く能力があるならば、閉じられたこの一軒の家に想像を巡らすだけで、1冊の長編推理小説が書けるはずだよねー。

 家の前を通るたびに、己のフィクション想像能力のみごとなまでの欠如にガックリ肩を落とし、もったいない思いに駆られるのであった(ははは)。

 さ、午前1時です。お風呂に入って晩ご飯のアルコールを抜いたあとで、レジュメ作りに取りかかります。
プロフィール

はね奴

京都市在住。本・雑誌・DVDの企画・制作。エッセイ講座講師。20代から、労働運動と女性運動の重なる領域に生息。フェミとは毛色が異なる。

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