夜9時過ぎて鳴る電話はたいてい夫からに決まっているので、へいへいへいーとそのつもりで出たら、ちゃららさんからだった(笑)。きりきりちゃんが、政ちゃんツアーへの参戦を決めたらしい。でも、あのお店は普通の焼肉屋さんと違って、常連さんでさえ予約が取りにくいお店。きりきりちゃんからのメールを受けてちゃららさんが人数変更を相談したところ、今の予約時間で4人は厳しい、スタート時間を早めたらいける…、それでいいですか、との電話だった。
政ちゃんが何時から営業を始めているのか知らないが、たぶん、超常連ちゃららさんの頼みゆえ、前倒しで開いてくれるのではないかなぁ。感謝! である。
さて、タイトル
<雑感その1>訃報あれこれ
フォーリーブスの青山孝(史)が亡くなったそうだ。私がじかに見た数少ない「アイドル」の1人である。私と同い年なんだねー。
全国展開の某ホテルのラウンジバーでアルバイトをしていたころのこと。夕方5時過ぎにホテルに着いたら、おびただしい数の少女がわーわーきゃーきゃーとホテル内外で騒いでいた。何ごとかとスタッフさんに尋ねたところ、コンサートのために京都入りしたフォーリーブスがチェックインしたという。このホテルにはけっこう芸能人が宿泊したが、あのときの騒ぎが最大だった。
ジョン・アップダイクも亡くなった。『走れウサギ』というタイトルだけに惹かれて本を手に取った、うさぎ年の私。何がおもしろいのか、さーっぱり分からなかった。多分、20代の私が読むには早すぎたのだろう。いや、男文学だから、どうせアカンかったかもしれない。
そして、ちょっとだけ感傷的になったのが、アンドリュー・ワイエスの死だ。抽象画好きの私が唯一例外的に好きな具象画家がワイエスである。きっかけは平々凡々だけれど、彼の作品「クリスティーナの世界」に出合ったことだ。
初めてこの絵を見たとき、後ろ姿の彼女の身体全体から放たれる「哀切」のリアリティに驚いた。のちに、彼女=クリスティーナがポリオ(いわゆる小児まひ)のために歩けない身体であること、にもかかわらず、たいていのことは自分でこなしていた(この絵にある自宅まで、草原を這って移動していた)と知って、いっそう感動した。彼女は「気の毒な人」なんかではない、ステキに魅力的な女性なんだ、と。
いま、愛知県美術館で、アンドリュー・ワイエス−創造への道程(みち)展が開かれている。私がめでたく論文を書き上げたら、夫と一緒に見に行く予定である。
<雑感その2>大阪の教育、あるいは調理実習
授業の流れで、いまどきの小学校の調理実習の様子が気になり、6年生女子に尋ねてみた。6年間のうち、調理実習は「ミックスサンド」を作った1度だけだという。サンドウィッチの中味は、ハム、きゅうり、スライスチーズ、ゆで卵をみじん切りにしてマヨネーズで和えたもの。
帰宅後にサイトで調べていたら、「火を使うのは危険だから」という保護者の要望で、火を使わないサンドイッチになったという記述にぶつかった。…ということは…? もしかすると卵だけは自宅で親に茹でてもらったものを各自が持参したのだろうか。
「台所育児」という活動がある。提唱者は坂本廣子センセ。1歳児から包丁を持たせて親子で調理する。安全に配慮した子ども用包丁なども開発されている。坂本センセの意見には同意するところが多く、男女を問わず、子どもが調理に興味を持ったら手伝わせるのがいいと思ってきた。昨年、院の演習の一環として「パパママセミナー」の参与観察を行なったときも、講師の先生が、1、2歳児の保護者を対象に、「お子さんが台所仕事に興味を持ったら、豆をさやから出すことなどから始めて、積極的に手伝わせてください」と話されていた。
しかし一方には、小学校高学年になった子どもに包丁どころか火も使わせず、「使わせるな」と学校に要望する親がいる。…ということは、自宅で卵焼きさえ作らせたことがないのかもしれない。おまけに親自身が、台所に包丁を持たなかったりして…。
私の記憶にある小学校での調理実習メニューは、こんなものだ。
(1)粉ふきいも、ほうれん草のおひたし、いり卵(かっこつけて、スクランブルエッグ)
(2)味噌汁
(3)カレー&飯ごう炊飯(校庭と体育館を使っての1泊キャンプの夜のメニュー)
(4)豚汁&ご飯(キャンプの翌朝のメニュー)
どれも、包丁や火を使わずにはできない調理。飯ごう炊飯は、たしかマキを燃やすところから始めたはずだ。
中学時代の調理実習の記憶はまるでない。たぶん、中学の途中で母親のお弁当にケチをつけて以来、私の分は作ってもらえなくなり、毎朝弁当のおかずを作るのが日課になったので、学校の実習なんていちいち覚えていないのだろう(笑)。代わりに、裁縫系はよく覚えている。中1のギャザースカート、中2のブラウス、そして中3の浴衣! そう、手縫いで浴衣を仕上げたのだよ。あの達成感はなかなかのものだった。
調理実習の時間が減らされた理由として、絶対的時間不足(土曜日が休みになって以降)、教師の生徒管理が難しくなった(実験や実習は危険を伴うので、教師1人で40人近い生徒の様子を把握しつつ授業を進めるのは困難かもしれない)、親からの要望などなどがありそうだ。
子どもたち自身、塾やお稽古ごとで夕方の時間を取られ、保護者が料理をするところを見る機会も、ましてや手伝う時間など、ほとんどないのかもしれない。であればなおさら、生活する上で基本的な調理の基礎を、どこかで意識的に身につけさせる必要があると思うのだが…。
土曜日はまるっぽ「生活科」にして、地域の保護者や専門家の支援を得て「楽しみながら生活力を身につけ」られるようにしたらどうだろう。放課後補習に金を使うより、こちらのほうが、必要性が高いと私は思うのだが。
政ちゃんが何時から営業を始めているのか知らないが、たぶん、超常連ちゃららさんの頼みゆえ、前倒しで開いてくれるのではないかなぁ。感謝! である。
さて、タイトル
<雑感その1>訃報あれこれ
フォーリーブスの青山孝(史)が亡くなったそうだ。私がじかに見た数少ない「アイドル」の1人である。私と同い年なんだねー。
全国展開の某ホテルのラウンジバーでアルバイトをしていたころのこと。夕方5時過ぎにホテルに着いたら、おびただしい数の少女がわーわーきゃーきゃーとホテル内外で騒いでいた。何ごとかとスタッフさんに尋ねたところ、コンサートのために京都入りしたフォーリーブスがチェックインしたという。このホテルにはけっこう芸能人が宿泊したが、あのときの騒ぎが最大だった。
ジョン・アップダイクも亡くなった。『走れウサギ』というタイトルだけに惹かれて本を手に取った、うさぎ年の私。何がおもしろいのか、さーっぱり分からなかった。多分、20代の私が読むには早すぎたのだろう。いや、男文学だから、どうせアカンかったかもしれない。
そして、ちょっとだけ感傷的になったのが、アンドリュー・ワイエスの死だ。抽象画好きの私が唯一例外的に好きな具象画家がワイエスである。きっかけは平々凡々だけれど、彼の作品「クリスティーナの世界」に出合ったことだ。
初めてこの絵を見たとき、後ろ姿の彼女の身体全体から放たれる「哀切」のリアリティに驚いた。のちに、彼女=クリスティーナがポリオ(いわゆる小児まひ)のために歩けない身体であること、にもかかわらず、たいていのことは自分でこなしていた(この絵にある自宅まで、草原を這って移動していた)と知って、いっそう感動した。彼女は「気の毒な人」なんかではない、ステキに魅力的な女性なんだ、と。
いま、愛知県美術館で、アンドリュー・ワイエス−創造への道程(みち)展が開かれている。私がめでたく論文を書き上げたら、夫と一緒に見に行く予定である。
<雑感その2>大阪の教育、あるいは調理実習
授業の流れで、いまどきの小学校の調理実習の様子が気になり、6年生女子に尋ねてみた。6年間のうち、調理実習は「ミックスサンド」を作った1度だけだという。サンドウィッチの中味は、ハム、きゅうり、スライスチーズ、ゆで卵をみじん切りにしてマヨネーズで和えたもの。
帰宅後にサイトで調べていたら、「火を使うのは危険だから」という保護者の要望で、火を使わないサンドイッチになったという記述にぶつかった。…ということは…? もしかすると卵だけは自宅で親に茹でてもらったものを各自が持参したのだろうか。
「台所育児」という活動がある。提唱者は坂本廣子センセ。1歳児から包丁を持たせて親子で調理する。安全に配慮した子ども用包丁なども開発されている。坂本センセの意見には同意するところが多く、男女を問わず、子どもが調理に興味を持ったら手伝わせるのがいいと思ってきた。昨年、院の演習の一環として「パパママセミナー」の参与観察を行なったときも、講師の先生が、1、2歳児の保護者を対象に、「お子さんが台所仕事に興味を持ったら、豆をさやから出すことなどから始めて、積極的に手伝わせてください」と話されていた。
しかし一方には、小学校高学年になった子どもに包丁どころか火も使わせず、「使わせるな」と学校に要望する親がいる。…ということは、自宅で卵焼きさえ作らせたことがないのかもしれない。おまけに親自身が、台所に包丁を持たなかったりして…。
私の記憶にある小学校での調理実習メニューは、こんなものだ。
(1)粉ふきいも、ほうれん草のおひたし、いり卵(かっこつけて、スクランブルエッグ)
(2)味噌汁
(3)カレー&飯ごう炊飯(校庭と体育館を使っての1泊キャンプの夜のメニュー)
(4)豚汁&ご飯(キャンプの翌朝のメニュー)
どれも、包丁や火を使わずにはできない調理。飯ごう炊飯は、たしかマキを燃やすところから始めたはずだ。
中学時代の調理実習の記憶はまるでない。たぶん、中学の途中で母親のお弁当にケチをつけて以来、私の分は作ってもらえなくなり、毎朝弁当のおかずを作るのが日課になったので、学校の実習なんていちいち覚えていないのだろう(笑)。代わりに、裁縫系はよく覚えている。中1のギャザースカート、中2のブラウス、そして中3の浴衣! そう、手縫いで浴衣を仕上げたのだよ。あの達成感はなかなかのものだった。
調理実習の時間が減らされた理由として、絶対的時間不足(土曜日が休みになって以降)、教師の生徒管理が難しくなった(実験や実習は危険を伴うので、教師1人で40人近い生徒の様子を把握しつつ授業を進めるのは困難かもしれない)、親からの要望などなどがありそうだ。
子どもたち自身、塾やお稽古ごとで夕方の時間を取られ、保護者が料理をするところを見る機会も、ましてや手伝う時間など、ほとんどないのかもしれない。であればなおさら、生活する上で基本的な調理の基礎を、どこかで意識的に身につけさせる必要があると思うのだが…。
土曜日はまるっぽ「生活科」にして、地域の保護者や専門家の支援を得て「楽しみながら生活力を身につけ」られるようにしたらどうだろう。放課後補習に金を使うより、こちらのほうが、必要性が高いと私は思うのだが。