このブログを再開したとき、いくつかの企画(案)があった。
とりあえずは「いま」思っていることを書いていこうと思ったが、それと同時に、70年の自分の人生を振り返ってみるのも面白いかな、と、考えていた。物心ついて以降の私の人生は、常に、社会的問題との深い関係の中にあったからである。
人生最初の記憶。私の場合、それは3歳のときだ。1954年、昭和29年である。
父の会社の社宅で、祖母、叔父3人、両親、そして、2歳年上の姉と私が暮らしていた。
男性陣がみな仕事に出かけ、母親も夕餉の買い物に出かけていた午後のことだった。
当時、病の床に伏していた祖母が、布団から起き出し、台所の方に歩き出した。玄関横にある社宅の台所は土間で、立派なかまどがしつらえてある。
「ばあちゃん、なんばしよっとね」と、姉と私は尋ねた。
祖母は「おしっこ」と答えた。台所で???!!!
私たちは血相を変えて祖母に追いつき、「ばあちゃん、そこは台所よ! お便所はこっちよ!」と、2人がかりで祖母を抱え、縁側の端にある厠へ連れて行き、ことなきを得た。
用を済ませた祖母をお布団に寝かせた後、動転していたであろう私たち姉妹は、たぶん玄関の外に出て、母の帰りを待った。母親は社宅のおばちゃんたちと一緒に買い物に行くのが常だったので、祖母の異変をしゃべりまくる幼い姉妹の話を、近所のおばちゃんたちも一緒に聞いていただろう。3歳のチビなので、おばちゃんたちの会話の内容は理解できていない。
その夜、父と叔父が帰ってきた後にも、祖母の行動が話題になった。そこで何度も出てきたのが、「モルヒネ中毒(もるひねちゅうどく)」という言葉だった。午後のおばちゃんたちの会話にも出てきた言葉だった。
当時の私にはもちろん理解の及ばない言葉だったが、語り口のマイナーな雰囲気から、何かしら「よくないこと」という印象を受けていた。
その後の認識の変化はしっかりとは覚えていない。ただ、危ないクスリの「中毒」だと分かってからも、祖母はそういうものに耽溺する環境になかったはずなのに、と、長年疑問を抱いていたことを覚えている。
最終的に疑問を解消できたのは、数十年後のことだった。
当時、祖母は末期癌に侵されており、その痛みを緩和するためにモルヒネを投与されていたようだ。なにしろ66年余も前のことゆえ、投与量や副作用への認識も、現在ほど明確ではなかったと思われる。
祖母の言行がモルヒネの副作用のせいなのか、それとは関係なく、本人の認知に問題が生じていたのか、今となっては分からない。ただ、3歳の私には、祖母の奇妙な行動が忘れようもない強烈な印象として残っている。その後まもなく訪れる、祖母が亡くなる直前の記憶も含めて。
享年69歳or70歳。
私の誕生日は5月24日。来週の月曜日に70歳になる。
とりあえずは「いま」思っていることを書いていこうと思ったが、それと同時に、70年の自分の人生を振り返ってみるのも面白いかな、と、考えていた。物心ついて以降の私の人生は、常に、社会的問題との深い関係の中にあったからである。
人生最初の記憶。私の場合、それは3歳のときだ。1954年、昭和29年である。
父の会社の社宅で、祖母、叔父3人、両親、そして、2歳年上の姉と私が暮らしていた。
男性陣がみな仕事に出かけ、母親も夕餉の買い物に出かけていた午後のことだった。
当時、病の床に伏していた祖母が、布団から起き出し、台所の方に歩き出した。玄関横にある社宅の台所は土間で、立派なかまどがしつらえてある。
「ばあちゃん、なんばしよっとね」と、姉と私は尋ねた。
祖母は「おしっこ」と答えた。台所で???!!!
私たちは血相を変えて祖母に追いつき、「ばあちゃん、そこは台所よ! お便所はこっちよ!」と、2人がかりで祖母を抱え、縁側の端にある厠へ連れて行き、ことなきを得た。
用を済ませた祖母をお布団に寝かせた後、動転していたであろう私たち姉妹は、たぶん玄関の外に出て、母の帰りを待った。母親は社宅のおばちゃんたちと一緒に買い物に行くのが常だったので、祖母の異変をしゃべりまくる幼い姉妹の話を、近所のおばちゃんたちも一緒に聞いていただろう。3歳のチビなので、おばちゃんたちの会話の内容は理解できていない。
その夜、父と叔父が帰ってきた後にも、祖母の行動が話題になった。そこで何度も出てきたのが、「モルヒネ中毒(もるひねちゅうどく)」という言葉だった。午後のおばちゃんたちの会話にも出てきた言葉だった。
当時の私にはもちろん理解の及ばない言葉だったが、語り口のマイナーな雰囲気から、何かしら「よくないこと」という印象を受けていた。
その後の認識の変化はしっかりとは覚えていない。ただ、危ないクスリの「中毒」だと分かってからも、祖母はそういうものに耽溺する環境になかったはずなのに、と、長年疑問を抱いていたことを覚えている。
最終的に疑問を解消できたのは、数十年後のことだった。
当時、祖母は末期癌に侵されており、その痛みを緩和するためにモルヒネを投与されていたようだ。なにしろ66年余も前のことゆえ、投与量や副作用への認識も、現在ほど明確ではなかったと思われる。
祖母の言行がモルヒネの副作用のせいなのか、それとは関係なく、本人の認知に問題が生じていたのか、今となっては分からない。ただ、3歳の私には、祖母の奇妙な行動が忘れようもない強烈な印象として残っている。その後まもなく訪れる、祖母が亡くなる直前の記憶も含めて。
享年69歳or70歳。
私の誕生日は5月24日。来週の月曜日に70歳になる。