2021年08月

ひろゆき危険(笑)

 元2ちゃんねる管理人のひろゆきが、今ごろになって急に注目されている。多分、YouTubeのひろゆき切り抜き動画(ひろゆきが長時間ダラダラ喋っている内容を、面白いところだけ切り抜いてアップしている動画。本人に許可をもらった連中がいっぱい挙げている)と、アベマプライムへのフランスからの遠隔出演によって、顔と名前と発言が広く知られるようになったことが要因かと思われる。

 露出が増えると、ひろゆきの思考の「課題」もあらわになる。
 ここ数ヵ月の間に、とても特徴的な3つの炎上があった。
 
 1)デルタ株は10秒すれ違っただけで感染する、という主張

 オーストラリアで、デルタ株感染者の調査をしたところ、感染者と新たに感染した人が、とあるショッピングモールで約10秒間すれ違っていたことが「監視カメラ」により確認されたという。
 それがひろゆきの主張の根拠だが、元ネタ(英文)を頑張って読んでみたところ、モール内のデパートで「2人は通りすがる状況で、10cmから50〜60cm程の距離範囲にいた」そうな。

 ちなみにこの時期、シドニーはロックダウンが解除されており、マスクをしていない人がほとんどである。
 10〜5、60cmでのすれ違いといえば、身体が接触した可能性のある「密」状態である。
 アルファ株だって、密なすれ違いの間に、ノーマスクの感染者が話をしていたり咳をしたりしていれば、ノーマスクの誰かにウィルス感染させる可能性は十分にある。

 デルタ株の感染率がアルファ株より遥かに高いことは、すでにあちこちで指摘されている。なので、このニュースからごく一般的にたどり着くのは、「3密は避ける」「マスクは必須」という、すでに私たちが実践している結論である。

     *     *     *

 ひとつの事例を100ぐらいに広げて持論を展開するというのは、ひろゆきのとても特徴的な論法だ。

 2)フランス語の「侮蔑発言」をめぐる論争

 フランス代表のサッカー選手2人が2019年に来日した際、滞在したホテルのテレビでゲームをするために設定を頼んだ際にやってきたスタッフ(日本人)を馬鹿にする動画が流れたことで、大きな騒動になった。
 2人が所属するスペインのサッカークラブは公式に謝罪し、当事者2人も謝罪した。また、ゲーム制作会社「コナミ」は、アンバサダー契約を結んでいた選手(2人のうちの片方)との契約を解除した。

 ところがひろゆき、当事者が差別の意図を認めているにもかかわらず、発言中の1単語を拾い出して、この単語には単なる強調の意味も含まれる、と、辞書の記述やマクロン大統領がこの単語を使っている動画(サッカーの試合に関するヤケクソ発言らしい。私、フランス語は全くわからない)まで引っ張り出して主張する。

 このひろゆきに絡んだのが、なかなかにユニークな爺さん(←ご本人が「爺」を自称している)である。フランス在住50年という団塊世代で、フランス語を「第一言語」とする言語学者として、ひろゆきの発言が許せなかったらしい。

 フランス語に興味のない私はTwitterのやりとりを横目で見ていたが、日本人同士で何をガタガタ言い合っているのか、不可解だった。差別した側は、それを認めて「謝罪」しているのに。

 爺さんのことは知らないので言及しないが、ひろゆきの、自分の引っ掛かりへの異様に強い執着には、かなり違和感を覚えた。

 3)「雨上がり決死隊解散報告」を、ホトちゃんの「心の病」で落とそうとしている件

 ひろゆきは、宮迫が謹慎処分を受け(のちに吉本から解雇され)て以来、「1年半、毎日泣いていた」というホトちゃんの発言を取り上げ、「精神的な何かの病気」だと決めつけている。

 はぁ???

 長年共に活動してきた相方である。毎晩、寝る前にあれこれ思い悩んで涙することがあっても不思議ではないだろう。

 ただ、解散を決めるまでの1年半余り、ホトちゃんが仕事をすっぽかしたり、言動がおかしかったり、寝込んだり、という情報はない。

 宮迫のいなくなった『アメトーーク!』を私はちょこちょこ観ているが、ホトちゃん頑張ってるなと思い、宮迫の呪縛(番組を回してるのは俺や! という過剰なまでの自負と、ホトちゃんを見下しながら「蛍原さん」と気持ち悪く呼んだりする無言の圧迫)から次第に自由になり、のびのびと活動するホトちゃんの姿に、笑顔になったものだ。

 大きな課題にぶつかったり、ショックな出来事が続いたりしたとき、人の心は塞ぎ込むし、言動にも変化が現れる。そこから立ち直れずに病む人もいれば、周囲の支援も得て、自ら壁を乗り越える人もいる。
 スッキリした表情のホトちゃんをみれば、彼が後者であることは明らかだ。

 ここでもひろゆきは、「50近い大人が毎日泣いてるっていう時点で、もうそれは精神的な何かの病気なんですよ(笑)」と、現実を見ず、会見のごく一部の発言に執着して、迷論をかまし続けている。

 言葉を額面通りに受け取ることしかできず、想像力が欠如している。
 どこかで見聞きしたような「症状」である(苦笑)。

     *     *     *

 ひろゆきおかしいぞ、と、私がはっきりと意識したのは、「お金を払ってひろゆきに答えてもらうyoutube番組」で、「ソーダメーカーで人が死ぬ」という主張を見たときだ。切り抜き動画は下記。

 https://www.youtube.com/watch?v=Mp4aIVmJ_98

 初耳だったので調べてみたところ、ひろゆきの認識(認知)がかなりデタラメだということを知った。

 まず、炭酸メーカーでは死亡事故は起きていない。
 国民生活センターによると、2014年に、フランス製の炭酸メーカーが破裂し、使用者が手に大怪我を負ったという。センターが確認したところ、同機器で他に2件の事故が起きていた。
 現在、この商品は輸入されていない。

 http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20140724_2.html

 海外で死亡事故が起きたのか、と調べたら、あっさりと見つかった。
 BBCニュースサイトによれば、2017年、フランスの著名なブロガー女性が、エスプーマ(クリーム泡立て器)を使用中に機器が爆発して部品が胸に当たり、死亡したそうだ。
 ひろゆきが言及しているのは、多分この事故だろう。

 https://www.bbc.com/japanese/40363833

 エスプーマとは、「各専用の器具に材料を入れ密封し、亜酸化窒素ガスのボンベでガスを封入し、器具全体を振る。 ノズルを操作すると、食材が泡状になって出てくる」と、ウィキべディアで説明されている。フランスの消費者団体はかねてより、この製品の危険性に警告を発していたそうだ。
 BBCニュースによると、亜酸化窒素ガスの危険性が高く、二酸化炭素を使えば危険性は回避できるが、仕上がりが異なるために、プロの料理人は亜酸化窒素ガスを使う場合がほとんどらしい。

 フランス在住のひろゆきゆえ、フランス製のソーダメーカーとエスプーマを混同したのだろうか。
 それにしても杜撰すぎる把握である。

 ちなみに日本では、亜酸化窒素ガスの危険性(習慣性があり、脱法ドラッグとしても使われた)に鑑み、個人(家庭)での使用は認められておらず、法人や飲食店のみ、購入できるという。

 ひろゆきの「論理」の奇妙さは、エスプーマの死亡事故1件を根拠に、別機種であるソーダメーカーにまで範囲を広げ、「ガスボンベを使うと死ぬ恐れがあるので使わない」という「結論」にいってしまうところにも表れている。

 一般的に、工業製品に欠陥が見つかった場合、メーカーが商品を無償で回収する「リコール」が実施される。上記の、日本で事故を起こした炭酸メーカーも商品を回収し、販売を中止した。
 
 たとえば自動車の場合、国連によれば、年間約135万人が交通事故で亡くなっており、負傷者は年間2,000万〜5,000万人にのぼる。欠陥が見つかってリコールがかかるのもしょっちゅうである。

 でも多くの人々は、車を使わないという選択はしない。
 「危険は避けるタイプ」だから「ソーダメーカー」は買わないというひろゆきも、車は運転している(最近も、スイスに車で行ったとツイートしていた)。

 ご都合主義というかなんというか、ソーダメーカーに関する主張の説得力はゼロである。

     *     *     *

 私とひろゆきとの「一方的な付き合い(笑)」は長い。投稿したことはないが、2ちゃんねるの投稿は、しばしば参考にさせてもらった。

 まだYouTubeがなかった時代、収監されたホリエモンにひろゆきが定期的に面会に行く往復の映像も、毎回見ていた(笑)。

 面白い子やなぁ(爆。70バァさんからみれば「子」なのさ)と思ってきた。
 
 ただ、私には「無茶苦茶な発言をする変な子」で済む話も、判断力が十分育っていない若い(幼い)世代の視聴者が発言のすべてを信じ込んだり、言動を変容させたりするのは、ちょっと危険だと感じてしまう。


「美術ヴァギナ展批評」を批評する

 自分の半生を振り返るつもりが、いきなり横道にそれる(ははは)。
 この3か月ほど、ずっと心に引っかかっていたことを、ようやく文章化した。タイトル通りである。
 友人以外を対象にした文章を書くのは久しぶりだったので、結構苦労した。
 読んでください。

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 恣意的に作品を切り取る「美術批評」とは?
 「美術ヴァギナ展批評」を批評する


 京都市左京区岡崎にある画廊 KUNST ARZT で開催された『美術ヴァギナ』展(2021/04/23〜2021/05/09)を初日に見た。お目当ては、ろくでなし子さんの作品である。私は彼女の潔い作風が好きで、関西で作品展が開かれるときには絶対に行こうと、前々から決めていた。

 彼女の作品はもとより、他の女性作家の作品群も、オーナー岡本光博さんの作品も、なかなかに興味深く、私はたっぷりと展示を楽しんだ。

 ところが、岡本さんによると、美術・舞台芸術批評を専門とする高嶋慈さんという方が、彼とろくでなし子さんの作品を批判しているという。
 気になって、さっそくレビューを読んでみた。
 
 https://artscape.jp/report/review/10168690_1735.html

 かなり強い違和感があった。
 その理由を自分なりに整理したのが、下記の文章である。

 2人の作品について、高嶋さんはこう書く。

 …………引用開始…………
 ただ、本展企画者でKUNST ARZT主宰の岡本光博の作品と、ろくでなし子の新作には、ジェンダーの偏差的な視線や固定的な規範がこびりつく点で疑問が残る。ダジャレや記号的な遊戯性を駆使する岡本の作品は、「ウェットティッシュの取り出し口が女性器の割れ目の形をした、ピンク色のティッシュボックス」と、購入者のみ内部に封入されたものを覗ける《まんげ鏡》である。「自慰行為のおとも」と「覗き見」の対象であることを疑わない両者は、男性の「エロ」の視線の対象にすぎないことをさらけ出す。

 また、ろくでなし子の新作は、「まんこちゃん」のゆるキャラ人形と自身の女性器の3Dデータを出力した造形物を、「子ども用玩具」の無邪気で無害な世界に潜ませたものだ。前者では、ピンク色の「まんこちゃん」がやはりピンクを基調とした女児向けおままごとセットのドールハウスで暮らし、後者では、男児の人形が乗り込むオープンカーや電車、飛行機をよく見ると、人形を座らせる操縦席が割れ目の形になっている。ここでは、女性器(を持つ身体)は「おままごとセットが備えられた家」すなわち「家事=女性の再生産労働の領域」に再び囲い込まれてしまう。また、「3Dデータの作品化」は一見挑発的だが、「女体」=文字通りクルマや飛行機の「ボディ」として、「男性が思いのままに操縦し、またがり、使役する対象」として再び客体化されてしまう。この点で、(例えばろくでなし子自身が乗り込んで操縦する《マンボート》と比べると)、ジェンダーの観点からは批評的退行と言える。
 …………引用終了…………

 岡本作品評への違和感

 ギャラリーで作品展を開催する場合、会場の構成や、作品展示の方法、配置などに関しては、当然、事前に十分に検討され、工夫されているはずだ。
 KUNST ARZTの場合、ドアを開けたところに第1展示室があり、その右奥に、やや狭い部屋がある。高嶋さんが批判する「ピンク色のティッシュボックス」と《まんげ鏡》は、右奥の第2室に展示されている。
 そこに入ろうとしてまず目を奪われるのは、部屋の真ん中にどんと置かれたエアベッドである。右側の棚の窓際には、10冊前後の本や雑誌がブックスタンドに立て掛けられている。棚の真ん中あたりに「ピンク色のティッシュボックス」が置かれ、その手前奥に、透明ケースで囲われた《まんげ鏡》がある。壁には「マンネイル サンプルチップ」が飾られている。

 反対側の壁には、ブラジリアンワックス脱毛でできるシートを用いた造花(性毛が見える)や毛むくじゃら人形が飾られ、オーナー岡本さんの作品「SIX-SEX」がかけられている。これは壁掛け時計で、6時になると、長針と短針が垂直な線となり、「便所の落書き(岡本さん談)」の「おまんこマーク」が出現する。高嶋さんの批評には、この作品への言及はない。

 ベッドを見て、「ここで何をするんですか?」と岡本さんに尋ねたところ、「希望者があれば、ブラジリアンワックスのワークショップを行ってもらうことになっています」との答えだった。

 女性作家によるヴァギナアートが飾られたベッドルームで、女性を対象にしたアンダーヘア(性器周辺の毛)の脱毛が行われることをみても、この部屋を「男性が自慰する部屋」とみなすことには相当の無理がある。
 だが、高嶋さんは部屋全体を紹介せず、岡本作品のうち2つだけを取り上げて、「自慰行為のおとも」、「覗き見」と決めつける。
  
 森を見ず、特定の木だけに注目して「課題を指摘する」という態度は、ろくでなし子批判に、よりはっきりと現れる。

 高嶋さんは、「ピンク色の『まんこちゃん』がやはりピンクを基調とした女児向けおままごとセットのドールハウスで暮らし」、「女性器(を持つ身体)は『おままごとセットが備えられた家』すなわち『家事=女性の再生産労働の領域』に再び囲い込まれてしまう」と書く。

 しかし、実際のドールハウスは、ひとつの作品の一部分である。
 展示作品では、ドールハウス前に広いスペースが設定されている。その手前側では「ろくでなし子ちゃん」が3人の制服警官とピーポくん(警視庁のゆるキャラ)に囲まれており、背後に配置されたテーブルセットは、椅子が一つ倒れている。

 この作品は、ろくでなし子さんが家宅捜索を受けた後に逮捕された時の状況を表現している。
 ごくあたり前に暮らしていた部屋に、まんこアートを猥褻として、突然、警察権力が踏み込んでくる。かわいいおうちのかわいい女子が、かわいいおまわりちゃんたちに囲まれているというシュールさが、出来事の理不尽さを際立たせる。

 だが、高嶋さんは、作品全体を語らない。しかも、展覧会評には多くの写真が使われているにもかかわらず、この作品を紹介する写真はない。穿った見方と言われるかもしれないが、自分の主張を正当化するために、全体像のわかる写真をあえて外したのではないかとすら思う。

 一方、全体のわかる写真とともに批判されているのが、3Dデータを元に制作された「まんこカー」や「まんこ電車」「まんこエアプレーン」である。高嶋さん曰く、「『女体』=文字通りクルマや飛行機の『ボディ』として、『男性が思いのままに操縦し、またがり、使役する対象』として再び客体化されてしまう」と。
 高嶋さんは、まんこカーなどの作品は「(例えばろくでなし子自身が乗り込んで操縦する《マンボート》と比べると)、ジェンダーの観点からは批評的退行と言える。」とも書く。

 運転手(操縦者)が女だったら進化であり、男だったら退行? 
 なんという形式主義だろう。あまりにも考えが安直すぎないか?!

 また、高嶋さんが、まんこを「操作・使役の対象」と固定的に捉え、女性の身体・性を「主体」としてまるで想定しない(できない)ことにも、私は大きな違和感を抱く。

 たとえば、「男児の人形が乗り込むオープンカーや電車、飛行機をよく見ると、人形を座らせる操縦席が割れ目の形になっている(高嶋)」場面を、「坊やが、自分の出てきた場所に立ってるやん!(にっこにこ)」と解釈することも可能だ。これは、作品を見た私の感想である。
  
 「ジェンダーの観点」に立った芸術批評が、「進歩」だの「退行」だのという数直線的な基準で行われることに、私は首を傾げる。

 アート「鑑賞」は、自分を揺さぶるものを進んで求める行為である。
 願わくは、美術批評もまた、単線的な価値判断にとどまらず、読み手を揺さぶる複数の刺激点を持ち合わせたものであってほしい。

井上はねこ
ただのアートファン。好きな作品は、
リー・ウーファン(韓国)の初期シリーズ(「線より」「点より」)、
タイン・チュオン(ベトナム)の漆絵(田園、水牛、子ども、など)。








 
プロフィール

はね奴

京都市在住。本・雑誌・DVDの企画・制作。エッセイ講座講師。20代から、労働運動と女性運動の重なる領域に生息。フェミとは毛色が異なる。

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