当時のリブで重視されていたのは「文化的活動」だった。
シャンバラでは、ギター教室や英会話教室が開かれていた。
お客さんにはアメリカ人の女性が何人もいた。
そのうちの1人が矢野顕子のファンで、彼女のレコードがよくかかっていた。
昔も今も、彼女のふにゃふにゃした歌い方が苦手なので、これにはちょっと閉口した。
私は、読書に関心のある仲間と共に「女流文学を読む」会を始めた。
取り上げる作品は、メンバー誰かの推薦で決まる。最初に読んだのは、宇野千代著『おはん』。読書会がなければ、自分ではまず手に取らない類の作品だった。
最も印象に残っているのは、宮本百合子『伸子』と佐多稲子『くれなゐ』の読み比べだ。どちらも自伝的な作品である。
「お嬢様育ち」の百合子はアメリカ留学中に出会った男性と結婚するが、帰国後に離婚。共産党に入党し、獄中にあった宮本顕治(のちの共産党委員長)と再婚する。
『伸子』は、最初の夫との出会いから別れに至る過程を描いている。
佐多稲子は、生活力のない両親(まだ学生同士だった)の間に生まれたために貧乏暮らしを続けることになり、キャラメル工場で働いたあと職を転々とし、そこで出会った男と結婚・出産するも離婚。女中、女給として働く中で客の文学者と知り合いになり、小説を書き始める。
佐多も共産党員(のちに除名)で、『くれなゐ』は、プロレタリア文学運動の中で出会った再婚相手との結婚の日々の「苦悩」「相克」を描いている。
この2作(2人)に関しては、メンバーの意見が真っ二つに分かれた。
生粋のリブ(? 学生時代にリブに出会い、アルバイト以外の労働経験がない人たちや、現役の学生)であるメンバーは宮本百合子に共鳴。
佐多稲子に共感したのは、高卒で、労働運動や社会的活動(男性と一緒の活動)を経験した者たち。私はもちろんこちら。圧倒的少数派だった。
リブの世界では、労働運動経験者は「男チック=男の価値観を内包している」として、色眼鏡で見られがちだった。
* * *
読書会には京都以外の関西地区からの参加者もあったので、交流範囲は広まった。
その過程で、私は「婚姻届を提出している」という理由で「糾弾」された。
当初は「姓を変えるため」という理由に彼女(たち)はしぶしぶ「納得」していたが、離婚した女性が婚姻中の姓を名乗れるようになると(年代は不確か)、「ペーパー離婚すべきだ」と要求してきた。
離婚後も婚姻中の姓を名乗れるようになったのは、たしか、母親と子どもの姓(=夫の姓)が異なることによるトラブルをなくすためだったと記憶している。
他人の人生にどうしてここまで介入できるのか、不思議でならない。
ちなみに、彼女(たち)はシングルマザーで、子どもの父親から養育費を受け取っていたが、書類上は「もらっていない」ことにして、児童扶養手当を(本来受給できる額より)多くもらっていた。いわく「取れるもんは取ったったらええねん」。
法律の裏をかくことが、彼女たちには「あるべき生き方」だったのかもしれない。
* * *
同じような「突きつけ」は、私に子宮筋腫が発覚し、全摘手術を決めたときにもあった。「リブ活動の先輩(糾弾者の友人)で子宮筋腫の見つかったAさんは、漢方薬治療を選び、手術を拒んだ。西洋医学にすぐ頼るのは間違っている」と。
私の病気を代替できるわけでもない女性が、なんでここまで強い調子で私に迫れるのか? 理解できない。
私は、病院で詳しい検査結果を聞き、それを持って、女性と身体に関する活動をずっと続けていた大阪のグループに相談を持ちかけ、当時はまだ普及していなかったセカンドオピニオン(私が受診した大学附属病院の医師と同じ意見だった)に納得した上で、手術を決めたのに。
西洋医学をダメと決めつけるリブの風潮は全国的なものだった。それに疑問を抱いていたミニコミの発行者に「手術してよかった」ことを書いて、と依頼され、原稿を送った。
調べたところ、大阪府のドーンセンターに蔵書があるようだ。
女の叛逆 よかった子宮筋腫手術
ちょっと寄り道。
漢方薬治療を選んだAさんは、のちに病気が進行して、結局、手術を受けている。
私は長年、漢方専門の診療所に通っているが、ドクターはもともと外科医で、数多の手術を経験されている。西洋医学の限界を知った上で漢方の勉強をされた方なので、どちらかの治療法のみを偏重されているわけではない。これが真っ当な医療だと、私は考えている。
* * *
リブに集ったのは、社会の中での生きづらさを抱えている女たちだろうから、その憤りが奇妙な形で仲間内のターゲットに向けられることもあったのだろうと、今の私は考えている。
そして、どういうわけか、私はそのターゲットにされやすかった。
なぜか?
私にペーパー離婚を先頭で迫った女性も、子宮筋腫手術を非難した女性も、「女王さま」体質の持ち主である。
私はどうして「女王さま」タイプに執着されるのか???
長年の疑問に「答え」らしきものが見つかったのは、中年から初老に移るころだった。
シャンバラでは、ギター教室や英会話教室が開かれていた。
お客さんにはアメリカ人の女性が何人もいた。
そのうちの1人が矢野顕子のファンで、彼女のレコードがよくかかっていた。
昔も今も、彼女のふにゃふにゃした歌い方が苦手なので、これにはちょっと閉口した。
私は、読書に関心のある仲間と共に「女流文学を読む」会を始めた。
取り上げる作品は、メンバー誰かの推薦で決まる。最初に読んだのは、宇野千代著『おはん』。読書会がなければ、自分ではまず手に取らない類の作品だった。
最も印象に残っているのは、宮本百合子『伸子』と佐多稲子『くれなゐ』の読み比べだ。どちらも自伝的な作品である。
「お嬢様育ち」の百合子はアメリカ留学中に出会った男性と結婚するが、帰国後に離婚。共産党に入党し、獄中にあった宮本顕治(のちの共産党委員長)と再婚する。
『伸子』は、最初の夫との出会いから別れに至る過程を描いている。
佐多稲子は、生活力のない両親(まだ学生同士だった)の間に生まれたために貧乏暮らしを続けることになり、キャラメル工場で働いたあと職を転々とし、そこで出会った男と結婚・出産するも離婚。女中、女給として働く中で客の文学者と知り合いになり、小説を書き始める。
佐多も共産党員(のちに除名)で、『くれなゐ』は、プロレタリア文学運動の中で出会った再婚相手との結婚の日々の「苦悩」「相克」を描いている。
この2作(2人)に関しては、メンバーの意見が真っ二つに分かれた。
生粋のリブ(? 学生時代にリブに出会い、アルバイト以外の労働経験がない人たちや、現役の学生)であるメンバーは宮本百合子に共鳴。
佐多稲子に共感したのは、高卒で、労働運動や社会的活動(男性と一緒の活動)を経験した者たち。私はもちろんこちら。圧倒的少数派だった。
リブの世界では、労働運動経験者は「男チック=男の価値観を内包している」として、色眼鏡で見られがちだった。
* * *
読書会には京都以外の関西地区からの参加者もあったので、交流範囲は広まった。
その過程で、私は「婚姻届を提出している」という理由で「糾弾」された。
当初は「姓を変えるため」という理由に彼女(たち)はしぶしぶ「納得」していたが、離婚した女性が婚姻中の姓を名乗れるようになると(年代は不確か)、「ペーパー離婚すべきだ」と要求してきた。
離婚後も婚姻中の姓を名乗れるようになったのは、たしか、母親と子どもの姓(=夫の姓)が異なることによるトラブルをなくすためだったと記憶している。
他人の人生にどうしてここまで介入できるのか、不思議でならない。
ちなみに、彼女(たち)はシングルマザーで、子どもの父親から養育費を受け取っていたが、書類上は「もらっていない」ことにして、児童扶養手当を(本来受給できる額より)多くもらっていた。いわく「取れるもんは取ったったらええねん」。
法律の裏をかくことが、彼女たちには「あるべき生き方」だったのかもしれない。
* * *
同じような「突きつけ」は、私に子宮筋腫が発覚し、全摘手術を決めたときにもあった。「リブ活動の先輩(糾弾者の友人)で子宮筋腫の見つかったAさんは、漢方薬治療を選び、手術を拒んだ。西洋医学にすぐ頼るのは間違っている」と。
私の病気を代替できるわけでもない女性が、なんでここまで強い調子で私に迫れるのか? 理解できない。
私は、病院で詳しい検査結果を聞き、それを持って、女性と身体に関する活動をずっと続けていた大阪のグループに相談を持ちかけ、当時はまだ普及していなかったセカンドオピニオン(私が受診した大学附属病院の医師と同じ意見だった)に納得した上で、手術を決めたのに。
西洋医学をダメと決めつけるリブの風潮は全国的なものだった。それに疑問を抱いていたミニコミの発行者に「手術してよかった」ことを書いて、と依頼され、原稿を送った。
調べたところ、大阪府のドーンセンターに蔵書があるようだ。
女の叛逆 よかった子宮筋腫手術
ちょっと寄り道。
漢方薬治療を選んだAさんは、のちに病気が進行して、結局、手術を受けている。
私は長年、漢方専門の診療所に通っているが、ドクターはもともと外科医で、数多の手術を経験されている。西洋医学の限界を知った上で漢方の勉強をされた方なので、どちらかの治療法のみを偏重されているわけではない。これが真っ当な医療だと、私は考えている。
* * *
リブに集ったのは、社会の中での生きづらさを抱えている女たちだろうから、その憤りが奇妙な形で仲間内のターゲットに向けられることもあったのだろうと、今の私は考えている。
そして、どういうわけか、私はそのターゲットにされやすかった。
なぜか?
私にペーパー離婚を先頭で迫った女性も、子宮筋腫手術を非難した女性も、「女王さま」体質の持ち主である。
私はどうして「女王さま」タイプに執着されるのか???
長年の疑問に「答え」らしきものが見つかったのは、中年から初老に移るころだった。