2022年05月

はね奴一代記 詭弁と詐欺の間2

 河合隼雄が社会的に有名になるのは、私たちが被害を受けた後のことである。

 「シンクロニシティ(共時性)」や「集団的無意識」という、神話、宗教、オカルト、スピリチュアリズム等々に近しいユングの「理論」を「わかりやすく」紹介することで、人気を得た。世間受けする内容だからだろう。

 河合は、権力欲と自己顕示欲を満たすために政治的野心を燃やし、俗世的な出世を求めた。
 文化庁長官という高級お役人に就任してそれなりの満足は得られただろうが、心理士の国家資格化を見ないまま亡くなったのはお気の毒であった(これは嫌味である)。


 私は心理学の「専門家」ではないので河合の「研究?」への深入りは避ける。
 代わりに、心理学ブーム、ならびに心理士の国家資格化をめぐる動きに対する専門家からの批判として、共感できるところの多い2冊の本を紹介したい。
 出版元である洋泉社はすでにないが、古書店などでまだ購入できる。

 『「心の専門家」はいらない』 小沢牧子著 洋泉社 (新書y)
 『心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う』 小沢牧子・中島浩籌 著  洋泉社 (新書y)


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 私は長い間「相談を受ける」活動や仕事をしてきたが、心理職やカウンセリングに関わる資格(民間のも国家資格も)は持っていない。そもそも資格を取ろうとしたことがない。それは、上記2冊の本の内容に共感する考えを持っているからであり、国家資格化をめぐる業界内のきな臭い話にうんざりしてきたからであり、国家資格化推進の「中心人物」であった河合隼雄に不信感しか抱いていなかったからである。


 仕事で「同僚」となった「相談担当者」はほぼ臨床心理士の有資格者で、国家資格制度ができて以降は、たぶん皆さん、公認心理師の資格も取得されている。

 だからといって、私が彼らや彼女たちより、相談を受ける人として不適切だと感じたことはない。
 それどころか、そう多くもない同僚(元同僚)間で、カウンセラーがカウンセラーを追い詰めて退職させるケースに何度か遭遇し、そのたびに、カウンセリングや心理職の有資格者である加害者(ハラッサー)の抱え持つ「屈折した人間性」について考え込まされた。


 私が直面した、カウンセラーによるパワハラの中でも一番ひどい例を挙げる。

 Aさん(女性)は、着任して初めての会議に出席した後、組織上の上司(部長)に連れられて、ベテランカウンセラーB(中年男性)に新任の挨拶に行った。

 事前に連絡を受けていたBは、カウンセリングルームで立ったままAさんと対峙し、自分がいかに偉いか、自分の言うことを聞かなければここではやっていけない、などなどと、高圧的な態度で演説をぶちかましたという。

 これを知った私は驚いて部長のもとに赴き、直属の上司(相談部チーフ)にも同席してもらって、Aさんがショックを受けて泣いたこと、このまま放置すればAさんは辞める恐れがあることを伝え、即時の対応を依頼した。

 しかし、部長から返ってきたのは、「まさか、あれくらいのことで辞めるわけがないでしょう」のひとこと。現場にいなかった私には「あれくらいのこと」かどうか、判断がつかない。ただ、体育会系の部長(体育教員免許の所持者)と私との間には、大きな認識のずれがあることを痛感した。

 案の定、その日の退勤後、Aさんから人事・労務の担当者に、退職する旨のメールが届いたという。

 私には、当日の経緯を詳細に記した手紙が届いた。必要があれば使ってください、と。

 だから言ったでしょう! と、私は、部長に強く言いつのった。ハラスメント防止・対策を任務とするスタッフが、着任早々パワハラの被害に遭うなんて、笑いごとでは済まされない、と。

 しかし、Bに対するお咎めは何もなかった。

 同じ敷地の別のビルで仕事をしていたにも関わらず、私はBと会ったことがない。どこからどんな噂を聞いていたのかは不明だが、Bは私を毛嫌いしており、会うことを拒絶していたし、彼の支配下(?)にあるカウンセラー(複数の女性)には、私の仕事に協力するなとの指示まで出していた。

 私の経歴(?)に、よっぽど拒否感があったのだろうか。ちなみにBは私より年上で、学生運動の元活動家だったらしい。

 その後、Bは病に倒れて亡くなった。私が受け取ったAさんからの手紙は、Bに関して何かの「役に立つ」ことはなかったが、今も処分せずに手元に置いている。

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 無責任な放言で知られる、ひろゆき(彼を「論破王」と呼ぶ人は日本語を理解していない。笑)は、中央大学文学部心理学専攻出身である。彼はYouTubeチャンネルで、カウンセラー志望の学生の中には「メンヘラ」がそれなりにいたという話をしている。
 その発言に、私は何度も頷いてしまったものだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=WEW_vfEQ-Xo

 たしかに、精神的にダメージを受けたことのある人が、それを「乗り越えた」体験をもとに相談に対応して効果を生むケースもあるだろう。しかし逆に、相談者その人を見ずに、自分の体験に固執して方向性を指示してしまうというマイナスもある。

 カウンセリングの「先進国」アメリカでは、カウンセラーがクライアント(相談者)の幼少時の「(実際はなかった)被虐待体験」を共に「作り上げ」て家族を訴えるケースが相次ぎ、社会問題になったことさえある。

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 ベトナム戦争からの帰還兵の多くが精神的にしんどくなったり自死したりした原因は、明らかに、殺戮が正当化される戦場で目の当たりにした悲惨で非人間的な出来事の数々だ。原因を根本的に取り除くには、戦争を防ぐ=平和な世界を作ることしかない。

 しかしそれを「個々人の資質や生育歴の問題」へとすり替え、問題の本質から目を逸らせるためのひとつの技法として、心理療法やカウンセリングが使われてきた。

 国家・資本といった権力の補完物として作用するカウンセリングや心理療法に、私は手を下したくない。同様に、組織(学校や職場や地域や諸団体、などなど)の抱える構造的な問題の結果生じた構成員の病や悩み、ハラスメント等々もまた、個人の問題にすり替えるべきではないと、私は考える。





 

はね奴一代記 詭弁と詐欺の間1

 河合隼雄といえば文化庁長官も務めた著名な臨床心理学者。心理士(カウンセラー)の民間資格を国家資格に格上げするために後半生を尽くしたことでも知られる。

 ただ、社会的地位がどうであれ、リアルに対峙すれば、その人間性の卑しさとでもいうべきものが、あからさまに迫ってくる。

 夫と私が被害を受けたのは、夫が京都大学大学院教育学研究科の院生であり、私が工学部の職員をしていたころだ。

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 河合隼雄はエリートではない。兄弟の多くは医師となり、すぐ上の兄である雅雄先生は猿の研究で世界的に知られる霊長類学者だが、隼雄は大学卒業後は私立高校の数学教師をしており、兄弟間格差の中、アメリカ留学のチャンスをつかんだことをきっかけに道を開いた。

 私たちが迷惑を被った当時、河合隼雄は京大教授になって間もないころで、学生部員として学生運動を担当しており、自分の「政治的手腕(よくない意味での)」を示すべく、「奮闘」していた。焦りもあったかもしれない。

 学生部員とは、学生部の傘下にあって、各学部の教授が数年ごとの持ち回りで担当する任務である。
 念のために現在の京大での位置付けを確認したら、その役割が、「学生の補導に関する事項を協議処理する」となっていた。
 補導ねぇ〜。学生もガキ扱いされたものである。

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 あるとき、学生運動に参加している学生の中から、「井上スパイ説」の声が上がり、やがて、「井上を糾弾すべし」と、運動がエスカレートしていった。この「井上」とは夫のことである。

 一体なぜこんな事実のかけらもない噂が広まったのか。私はすぐに情報を探し回った。
 その結果、スパイ説の根拠になったのは、河合隼雄が学生との団体交渉で、「院生の井上君になんとかしてもらえないかと対応をお願いしているんですけどねぇ」と繰り返し発言したことによると判明した。

 驚いた。

 実験を行わない文系院生である夫は、ほとんどの時間を自宅での「研究」=本を読んだり考えたり論文を書いたりに費やす。大学に行くのは研究会や読書会(外国語の文献を輪読するなど)が開かれるとき=せいぜい週に2、3回である。
 で、河合は自宅に電話して夫と「裏取引」をしているというのだ。初耳である。

 帰宅して夫に問うた。たしかに電話がかかってきたが、返事をせずに黙って電話を切ったという。
 あ〜、あかんわ! これでは、電話の「やりとり」があったという形だけが残る。

 夫はただ困惑しているだけ。悪意のある相手とのやりとりに慣れていないし、育ちがいいだけに(苦笑)適切な反撃もできない。

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 私はまず、当時売り出されたばかりだった外付けの留守番電話機を購入し、電話の主が誰かを確認するまでは受話器を絶対取らないようにと、夫に強く言い渡した。通話内容は小さなカセットテープに30分まで録音できたように記憶している。多分、京都で一番最初に留守電を設置した個人利用者は私たちではないかと思っている(笑)。

 夫は学部時代に運動に加わっていたし、院生になってからも、団交に顔を出したりしていたようで、夫の友人諸君から、事実はどうなんだと、私に問い合わせがあった。ゆっくり話を聞きたいと、飲み屋に誘われたこともあった。

 ただ、私は夫ほど「いい人」ではない。臨職闘争の過程で学生活動家の無責任さもいい加減さも痛感していたので、言質を取られないよう気をつけつつ、河合隼雄のやっていることを詳細に語った。
 それでも風評は止まなかった。

 土曜日の午後、一度、河合隼雄から電話があった。在宅していた私は留守電に吹き込む声を確認した後、あえて受話器を取った。京大に来て日の浅い河合は(1972年3月まで私大に在籍していた)、私がどのような人間か知らなかったようで、気色悪い猫撫で声で、ご主人になんとかしてくれるようお願いできませんか、てなことを話した。

 準備万端。私は思いつく限りの罵詈雑言を河合隼雄に投げつけた。できるだけ相手のプライドが傷つくような言葉を選んでまくしたてた。河合はそれを口外できないはずである。口外したら、自分の裏工作(夫とは交流があり、学生運動についても意見や情報を交換しているというような嘘をついて、学生運動を混乱と分断に追い込もうとする目論見)もバレてしまうから。

 それきり、河合隼雄からの電話はかかってこなくなった。私についても、たぶん、臨職闘争をやっていた中でただ1人、大学当局との裏取引を拒絶した頑固者であることを知っただろう。

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 ず〜っと後のことだが、フリー編集者になった私は、兵庫県立人と自然の博物館を取材で訪れ、当時館長をなさっていた河合雅雄先生にお目にかかった。
 その後夫に、「雅雄先生と違って河合隼雄はなんであんなに下品な人間になったんだろうねぇ」と話しかけたことがある。夫はしばしう〜んと考え込んでいたが、「コンプレックスかなぁ」とつぶやいた。

 ユング派だけに(笑)。

 私はこのトラブルの前に何冊も河合隼雄の著書を読んでいたが、どれもピンとこなかった。河合のみならず、ユングもフロイトも「????」の連続。

 ただ、河合隼雄には俗な意味で「人の心を読み取る」「思い通りに相手を動かす」「心理学者の目」は確かにあったのだろうと、河合の分断術にまんまとハマっていた学生活動家を見て思う。河合にすれば京大生を騙くらかすなんてちょろいものだったかもしれない。

 ただそれは、世に充満する詭弁やさまざまな詐欺に使われる手法と同じレベルであり、とても尊敬できたものではない。
 

はね奴一代記 相談を受けるということー4

 昨今の、心理学・カウンセリングブームというものに、私は長い間、違和感を抱き続けている。

 私が初めて「心理学」に関心を抱いたのは、中学時代である。

 小学5、6年のころ、私にいわゆる「チック」症状が出た。最初は、目を頻繁にパチパチさせるというヤツ。それを親や教師に指摘されて我慢しようとすると、鼻が詰まってもいないのに鳴らす、という行為に移行。それを咎められると爪をかみ、爪を噛む音でバレるので、次は指の皮膚を噛むといった具合である。

 自分ではどうにもならないものが消えてはまた出現する不思議と不快感と苛立ち。

 中学に進むと、ちゃんとした(笑。それなりに蔵書が整っているというくらいの意味である)図書室があったので、私の疑問に答えてくれそうな本を片っ端から読み漁った。もっともよく読んだのは百科事典で、私は「百科事典派」を自称していた(ははは)。

 どのような経緯だったかは覚えていないが、その百科事典で、私は「チック症」という言葉と出合った。当時の記述では、「心身の不調、不安、強度の疲労やストレス」などで発症するとあって、私は心の底から腑に落ちた。

 当時の私のストレスの原因(ストレッサー)は、母親と担任教師だった。

 担任のことは以前に書いた。私をえこひいきするので「えこひいきは間違っています」と正面から拒否したら、私に嫌がらせを始めた女教師である。

 ミシンの授業(課題提出)という危険をともなう授業を放棄し、学級委員の私に責任を押し付けたのみならず、授業中の様子を知ろうともせずに、私の提出物(直線縫い)が歪んでいるという理由で通知表に3をつけた。
 もう55年以上前のことだが、その時に感じた理不尽さと怒りは如実に覚えている。

 このおばさん、うちの母親と同い年で、私と同じ歳の長男ほか複数の子のいる母親教師。
 私にとって、この2人の大人の女は、「絶対にこうはなりたくない」反面教師であり、私のストレスの原因でもあった。私のチックが始まったのは、まさにこの時期だった。

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 自分の悩んでいたものの原因が明らかになったことで、私はそれを解説していた心理学という学問に、俄然、興味を抱いた。関連書籍を芋づる式に借りて読み漁るようになった。私の通学カバンにはいつも、推理小説と心理学書の2冊が入っていた。

 その過程で読んだのが、波多野勤子著『少年期』である。私はやたら感動しまくって、「将来は心理学者になる!」と決意したほどだった。

 学習雑誌の進路相談コーナーに「ユニセフで働きたい」と投稿したら、「幼稚園の先生になれば」という、中学生を馬鹿にした回答をもらって激怒し、かつ、進路を見失っていた私にとっては、「暁光」のような本だった。

 『少年期』は、母親と息子との往復書簡で構成されている。そして、心理学者である勤子さんが、専門家としての見解を綴っている。自分の子どもを研究対象にして本が書けるとは、なんて素晴らしい! と、私は感動した。

 けれども、具体的な内容はすっかり忘れている。何が私をあんなに感動させたのか。この日記を書けないでいる間に図書館から本を取り寄せて、再読した。

 驚いたり笑ったり。

 第二次大戦中に反戦の姿勢を貫いて公職から追放された心理学者波多野完治さんと、彼を尊敬してやまない妻勤子さん。『少年期』は、2人の間に生まれた長男(本文では一郎という仮名)が旧制中学の1年から4年になるまでの母親との手紙のやりとりをまとめ、考察を加えた本である。

 一家は、完治さんが仕事を奪われたせいで経済的には貧しいが、知的で高潔な生活を送っている。

 一郎少年は、両親を「お母さま」「お父さま」と呼ぶ。とりわけ母親には浴びるほどの愛を受けており、「僕のお母さま」と書くほどに、彼もまた母親を愛している。

 この濃密な関係に、私は驚いた。自分にはあり得ない世界。
 私はこの親子関係を、将来、結婚・出産した時に築きたい理想の形だと思ったようだ。というのも、高校時代に女友達と交換していた日記に、「夫は大学教授。私は週に2、3回、心理学研究所に通っている」と、自分の未来像を描いているからだ。それはそのまんま、『少年期』に見る波多野一家の姿だった。それを理解して、私は笑った。

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 現役受験生時代、私は某国立大学の心理学科を受験して落ちている。その後、社会人学生になったときには、心理学系の科目は取れるだけ全部取った。波多野夫妻の次男である波多野誼余夫さんが放送大学で科目を担当していると知ってからは、放大でも心理学系の科目をかなり履修した。
 1科目を除いて、すべてAあるいは優評価だ。エライぞ!>私(笑。残り1科目は良で、その教授の顔と名前は絶対に忘れないと思う)。

 このように、長年にわたって心理学を学んできたにもかかわらず、というよりは、そうであるが故に、と言った方が正しいと思うが、私はやがて、心理学という学問に疑問と違和感を抱くようになった。直接のきっかけは、人間的にまったく信頼も尊敬もできないゲスな心理学者に遭遇したからである。その名を河合隼雄という。




プロフィール

はね奴

京都市在住。本・雑誌・DVDの企画・制作。エッセイ講座講師。20代から、労働運動と女性運動の重なる領域に生息。フェミとは毛色が異なる。

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