2022年07月

はね奴一代記 「在日」をめぐって

 日記を書くにあたって、過去に読んだ本を参照するために本を借りるときは、合わせて、気軽な読み物(エッセイ、ミステリー、小説など)も図書館から借りる。考えに煮詰まったりした場合の「気分転換」のためである。

 しかし今回は、結果がまるで違ってしまった。性の売買について考えるために借りた「フェミニスト」の本が超絶ひどくてゲンナリした一方、ようやく順番の回ってきた小説から、さまざまな示唆を受け取った。

 フェミ本の何がひどいかといえば、性をめぐる事件に対して「何ら新しい要素がない」「なんでメディアは発情するのかな」「興味が持てなかった」「知れば知るほど面白くなりましたよね」という具合に、まるで「浮いた空間」のようなところから面白おかしくおちゃらけて放言するのみ。

 得たのは、胸焼けするような悪い読後感だけだった。

     *     *     *

 ようやく読むことができたのは、在日コリアンを4世代にわたって描いた長編小説『パチンコ』上下巻である。約700ページの本を2日で読み切った。今、肩こりがひどい(苦笑)。

 著者ミン・ジン・リーは、ソウルで生まれ、7歳の時に家族で渡米した韓国系アメリカ人。夫の仕事の都合で、2007年から4年間、東京で暮らしており、その間の取材がベースになって書かれたのが『パチンコ』だという。

 読んでいる途中からずっと、1人の女性の面影が頭から離れなかった。

     *     *     *

 私がファストフード店でアルバイトしていた1980年代前半のこと。
 ある日、中学3年生の女子がアルバイトをしたいと店にやってきた。
 採用は高校生以上と決まっていたが、「高校も決まったので、春休みから働かせてください」という。

 小柄で抜けるような白い肌。髪の毛は生来の茶色で、瞳はくるり。文字通り「お人形さん」のように可愛い女の子だった。彼女はすぐにバイト仲間のアイドルとなり、彼女と付き合いたがる男子が次々に現れた。

 転機が訪れたのは、彼女が16歳の誕生日を迎える少し前だった。市役所から、外国人登録の書類が届いたのだ。
 彼女の母親は在日韓国人だったが、その事実を娘に隠していた。「船乗り」の父親はいたが、婚姻届は出していない。いわゆる非嫡出子である。

 自分を日本人と信じて疑いもしていなかった彼女は混乱に陥り、荒れに荒れ、高校にも行かないようになった。私は彼女のお母さんと何度か話したことがあり、職場では彼女を見守る立場にあったので、お母さんから相談を受け、彼女の自宅で、お父さんもまじえて話し合う場を持った。

 そこで聞いた彼女の生い立ちは切なかった。

 父親は日本人だが、彼女のお母さんと知り合う前に、西日本の某港で出会った女性と正式に結婚しており、子どももいた。この女性も在日コリアンで、離婚すれば法的にまた「在日」に戻るので、夫妻関係が破綻していても絶対に離婚に応じない。

 そういうわけで彼女は、在日コリアンである母親の子として「韓国籍」になった。

 両親は知恵を絞って、在日である事実を娘に隠し通してきたが、当時の外国人登録だけはどうしようもなかったのだった。

 話し合いの結果、うちの夫が彼女の家庭教師として勉強を見ることになったが、それも長くは続かなかった。彼女は高校を中退し、伯母(母の姉)の経営する飲み屋でアルバイトをするようになった。当然、未成年である。お店は「在日」の溜まり場だった。

 彼女の愛らしさはお店でも評判になり、彼女目当てに通う男性が何人も出てきた。
 彼女はそのうちの1人と付き合うようになり、やがて妊娠が発覚。「できちゃった結婚」をすることになった。結婚相手の父親はパチンコ店の経営者であり、彼は後継ぎの長男である。

 出産のお知らせをもらい、私はお祝いを手に彼女の婚家を訪問した。ショックだった。

 いま私は総合病院の上階にあるURの賃貸住宅に住んでいる。病院職員の単身寮は、道を挟んだ斜め前に建つワンルームマンションだが、かつては、病院と同じ通りにあった。

 彼女の義父にあたるパチンコ店主は、空になった元病院職員寮ビルを1棟まるまる買い上げて、自宅兼従業員寮としていた。
 いまの団地に引っ越した後、当たりをつけて歩いたが、今はもうそのビルはなく、高層マンションが建っている。

 話を訪問時に戻す。
 彼女に案内されて、エレベーターで上階に上がる。ドアが開くと、そこはカーペット敷きの廊下になっており、いくつかの部屋のドアが開けっぱなしになっている。
 エレベーターのすぐ前の部屋は彼女の義母の衣裳部屋。ふわふわの毛皮コートが複数、ハンガーにかかっている。部屋を埋めるハンガーには派手なブランド服がずらりと並んでいる。

 個室の一つが彼女と夫の部屋。そこで赤ちゃんに対面した。
 結婚式&披露宴の写真も見せてもらった。パチンコ企業社長の長男とあって、式と披露宴は豪勢で大掛かりだった。

 華やかなチマチョゴリ姿の花嫁は、そこら辺のモデルなど敵わないほどに美しかった。チマは大きく膨らんでいるので、彼女のお腹が大きいことは、まるで分からなかった。


 遅いお昼時で、夫と義母は別の部屋で昼ごはんを食べているという。

 頃合いを見計らって挨拶に行ったが、義母さんの対応は冷淡そのものだった。
 韓国の風習をまるで知らず「日本人」として育ってきた「嫁」が、義母さんは気に入らないらしく、「跡取り(孫)」ができたからもう「嫁」に用はないという風情である。息子はマザコンなのか、母親の言いなり。

 地域の人たちは、在日のパチンコ屋がこのビルを買ったことに不満らしく、彼女が犬の散歩をするだけでも、「キムチ臭い」と嫌味を言って、拒絶の姿勢を示すのだという。

 このままここで暮らしても幸せな未来があるとは思えなかったが、かといって、中卒の在日女性が水商売以外の道で生きていける可能性は、ほぼ想像できない。

 日本人との付き合いを嫌悪する夫方の意向もあってか、それ以来、私は彼女と会っていない。
 今はすでに50歳を過ぎているはずだ。

     *     *     *

 小説『パチンコ』は、そのタイトルからして象徴的だ。

 在日差別の根強い日本社会で個人的に「成功」するには、医師や弁護士などの資格を取って開業するか、勉学に励んで大学教員を目指すくらいしかない。それ以外の職業といえば、屑鉄屋や遊興業(その1つとしてのパチンコ屋)だろうか。

 物語は、日本が朝鮮半島に侵攻し、植民地支配していた時代(1910年)から始まる。舞台は釜山市の近くにある影島である。

 この小説のヒロインであるソンジャは、日韓を行き来している在日コリアンに恋をして妊娠するが、その男には日本人の妻子がおり、結婚できないと知ると、決然と別れる。男はヤクザ(妻の父親が暴力団)で、ソンジャを愛人として「大切に扱う」ことを申し出るが、彼女はそれも拒絶する。

 そのような事情を知った上で、ソンジャに求婚する男性が現れる。大阪の教会に赴任する予定のプロテスタント牧師である。結核で死にかけていた彼は、下宿屋(ソンジャの両親が始め、父亡き後は母娘で切り盛りしていた)で手厚く看病され、療養するうちに回復する。
 ソンジャも彼の求婚を受け入れて結婚し、2人で来阪。猪飼野(鶴橋近く)に住む牧師の兄(工場勤務)夫妻と同居を始める。

 戦況が悪化する中、ソンジャの夫の所属する教会のメンバー(牧師、副牧師であるソンジャの夫、用務員)は警察にしょっ引かれ、牧師と用務員は獄中死する。ソンジャの夫は、拷問の連続で死にかけているところを放り出され、やがて自宅で亡くなる。


 長男(ヤクザとの間の子)は超優秀で、高卒後、経理のアルバイトをしながら受験勉強に励み、早稲田大学に進学する。しかし、自分の出生の「秘密」を知ると家族との関係を絶ち、在日であることを隠して、偽名で地方都市のパチンコ屋の経理事務員として働く。履歴書も保証人もなく偽名で就職できる職場は、そうあるものではない。

 次男(牧師との間の子)は喧嘩っ早く、何かと問題を起こすが、高校中退後にパチンコ屋で働くようになると、その能力を存分に発揮し、雇われ店長を経て、自らの店を持つようになる。
 底辺の生活をしてきた日本人女性と結婚して息子をもうけるが、妻子は酔っ払い運転の車に轢かれてしまう。息子は骨折ですんだが、妻は搬送先の病院で死亡する。

 次男は息子が自分と同じような差別に遭わないことを願い、子どもをインターナショナルスクールに入学させる。息子は優秀で、アメリカに留学し、著名大学を卒業して投資銀行に就職するが、そこで日本人の上司に「在日」であることを利用されて裏切られ、解雇されてしまう。
 父親は世界的な企業での再就職を望むが、息子は父親の会社を継いで「パチンコ」屋になると決める。

 最終章は1989年。下巻はすべて、私が生まれた後の物語である。

     *     *     *


 「在日」をテーマにした本はそれなりに読んでいる。映画も見ている。新しいところでは、平野啓一郎著『ある男』を原作とする映画が、今年(2022年)の秋に公開されるそうだ。
 https://movies.shochiku.co.jp/a-man/

 原作は「在日」という言葉に依存しすぎていて、最後の方ではうんざりしてしまうが、このあたりが「心ある日本人」による小説の「限界」なのかもしれない。文庫になっているので(902円)、関心のある方はどうぞ。読んで損はない。


 『パチンコ』が私の心に深く、重く、ズシリと残ったのは、日本以上に儒教の影響が強く、男尊女卑の考え方もきついコリア文化の中で生き抜く女性たちの「気高さ」がリアルに描かれているからだ。

 日本の高慢ちきな「著名フェミニスト」連中と、被差別の中でも凛と生きる人々(と、彼女たちを描いた作品)との違いを的確に表現するのは難しいが、読んだ後に残るものがまるで違う。

 前者には、どろっとした怨念のようなものを不躾に投げつけられたような汚らしさを感じる。

 後者から受け取るのは、ろくでもない社会のありようは事実として受け入れた上で、なお、日々をきちんと生きようとする爽やかなエネルギーのようなもの、である。



取材力の劣化について 「元舞妓」インタビュー記事を読む

 取材は難しい。
 かつて私は、自分が企画・編集した本の出版記念会で、読者の1人に鋭い指摘を受けたことがある。

 著者は入部香代子(いるべかよこ)さん。
 脳性麻痺で、1種1級の「重度障害者」。日本で初めての「車椅子議員(豊中市議会)」を16年(4期)務めた人である。
 http://www.arsvi.com/w/ik08.htm

 彼女は文字を書けるが、マヒがあるため、執筆には多大な労力を要する。したがって、原稿の大部分は口述筆記。ただ、本の冒頭に掲載すべく、原稿用紙1枚分の直筆原稿を書いてもらうことにした。1日以上かかったような記憶がある。


 「母親との関係が十分に書けてないなぁ」。
 そう口にしたのは、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長の河野秀忠さん。
 痛いところをつかれてしまった。

 香代子さんは、出生時には「五体満足」だったが、生後間もない赤ちゃんのころ、高熱が出た時の母親の対処ミスで、脳に「障害」が残ってしまった。

 私なら、かなり母親を恨むと思うのだが、彼女は「そんなこと言うてもしゃーないやん!」と笑ってすませる。
 本を出した後のことだが、お母さんは、議員になった娘に、好きな歌手を追っかけるためのお小遣いをねだっていた。それもまた腹立たしく、「ええやん、お母ちゃんが喜んでるんやから」と笑顔の香代子さんに、「甘い!」などと言い返していた。

 本人は母親を恨むでもなく、鷹揚に対していたのに、編集者の私が腹を立てて、母親との関係について彼女が口述した部分を、いくつか削除した。
 河野さんはそれを鋭く見抜き、私に指摘したのだった。

 理由はわかっている。
 私はずっと母親との折り合いが悪く、亡くなった時も、涙一滴こぼれなかった。
 自分と母親の確執があるものだから、「自分を障害者にしてしまった母親」を憎むことなく、おおらかに付き合っている香代子さんの心情が、理解できなかったのだ。

 原稿を捏造したのではなく、一部分を削っただけ。なので香代子さんは、私の提出したその部分の「まとめ」に、すんなりOKをくれた。
 しかし、見抜く人には見抜かれるのだ。
 編集者としての私の「黒歴史」。苦い思い出である。

     *     *     *

 「伝統芸能」界の「闇」を告発したとして「話題」の「元舞妓」を取材した記事が、相次いで発表されている。私が読んだのは、「フラッシュ」「アサゲイ」「フライデー」3誌のネット記事である。
 本人のツイートやnoteの経歴だけでも矛盾が多々あるが、インタビュー原稿を読み比べてみると、まるで違うことが書いてあって、面食らう。
 下線部分は、記事からの引用である。

(1)生い立ち

 ・フラッシュ 記述なし

 ・アサゲイ
 「幼い頃に義父から暴力を振るわれていました。母親は見て見ぬふり。15歳になった頃、人づてに舞妓であれば住む家もあるし、1日3食が食べられて、15歳でも受け入れてもらえると聞いたんです」(本人の発言として、かぎかっこ付き)

 
 ・フライデー
  両親は再婚同士、母が前夫との間にもうけた姉との4人暮らしだった。(略)その後、両親がそれぞれ好きな人ができたりして離婚。母はその後、何度か結婚しているという。さては複雑な家庭に育って…と考えるのは早計である。離婚はしても家族は今も仲がよく、両親の再婚相手やその子どもたちとみんなでバーベキューをするような関係。


 ほぼ真逆の内容である。はてさて、どちらがどうなんだか。



(2)舞妓になった経緯

 ・フラッシュ
  「私は2014年5月に先代の女将と面談して、2015年2月に屋形(置屋)に入り、“舞妓になる修業”に励みました。ずっと日舞を習っていて、漠然と日舞を仕事にできれば、と思っていました。親からも『芸舞妓なら踊りを仕事にできるから』とすすめられたのです」

 ちなみに「ずっと日舞を習ってき」た期間は、本人の書いた経歴から「5か月」と判明している。

 ・アサゲイ
  お茶屋組合の核となる「おおきに財団」こと「公益財団法人京都伝統伎芸振興財団」やお茶屋のホームページを閲覧すれば、舞妓の募集や派遣のページがあった。ツテのない彼女は、ホームページから応募。一刻も早く、親元から離れたかったという。
  「15歳では行く所もないですし、地味な自分でも華やかな世界で活躍できる。きれいな着物だって着られるし、街でチヤホヤされると思ったんですよね。それがバカでした」

──それから、どのような流れで置屋に所属したの?

  「3月に中学を卒業して、自分を厄介払いしたかった母親に頭を下げ、愛知から京都まで来てもらって、お茶屋の女将さん(おかあさん)に会って一緒に面談。即日、女将さんから(雑用をこなしながら作法を学ぶ)《仕込みさん》としての所属を認められました。置屋に入ってから1週間は様子見の状態。やっぱりあまりの環境の変化には戸惑いますから、その時点で逃げ出す子もいるみたいです」

 ・フライデー
 そんな彼女がようやくたどり着いたのが、日本舞踊だったというわけだ。これこそ自分のやりたいことだと思った。母は、「中学を卒業したら、自分の力で生きていってね」と、早い自立を求めた。ちょうどそんなとき、京都先斗町で舞妓になるなら紹介してくれるという人が現れた。

 「本当は高校に行きたかった。だから、迷いました。芸事に精進して、日本舞踊を現代化させたパフォーマンスができないかと考えてもいたんです。母は、学校にあまりなじめなかった私が苦労しないように、私のためを思ってその道をすすめてくれていたし、先斗町への推薦状もある。親も私もあとには引けない感じでしたね」

 中学3年生のとき、舞妓の「仕込み」体験をしてみた。がんばれば報われる世界だとも言われた。置屋のおかあさんはやさしかったし、芸には厳しいのは当たり前だと感じ、彼女はその世界に飛び込んだのである。



 ・フラッシュは、「女将と面談」するまでの経緯には触れていない。
 ・アサゲイは、「ホームページから応募」と書くが、
 ・フライデーは、「京都先斗町で舞妓になるなら紹介してくれるという人が現れ」、「推薦状もある」と書いている。

 「元舞妓」本人の発言が異なっていたのかどうか、知りようもないが、アサゲイもフライデーも裏取りはしなかったのだろうか。置屋なりその周辺の人々、関係者に取材すれば、どちらが事実に近いのか、あるいは別の事情があったのか、はっきりさせることができると思うのだが。


(3)見習いの生活と稽古

 ・フラッシュ
 「髪結いをする日は朝4時、5時起きです。休みは月に2日ありますが、何もできません。だって、現金をほとんど持っていないのですから。もらえるお金は月に1回、5万円ほどのお小遣いがすべてです。そこからお化粧品代や生理用品などの支出もまかないます」


 ・アサゲイ
  「置屋に住み込んでの共同生活で、女将さんから厳しく芸事や所作、立ち居振る舞い、京言葉、お座敷での会話、気配りなどの礼儀作法を叩き込まれます。怒られることはしょっちゅうです」
  「7時起床で、洗濯や部屋の掃除、風呂掃除など日常生活のことを4人の仕込みさんと行います。さらに、舞妓さんがお座敷へと向かう時にタクシー運転手さんに渡す《寸志袋づくり》もやりますね。それからは、女将さんや姉さんのお遣いです。夕方からは、舞妓さんや芸妓さんたちがお店に出るので、着物の着付けのお手伝い。姉さんたちの身支度が終わると、私たちが荷物を持って、お座敷があるお茶屋さんまで送っていきます。深夜に姉さんたちが帰ってきてお風呂に入れば、やっと私たちもお風呂に入れます」

 ・フライデー
  記述なし。

 先斗町の舞妓(仕込みさんを含む)は歌舞練場(鴨川学園)で午前中から昼にかけて授業を受ける(踊りや鳴り物のお稽古なども含む)はずだが、どの雑誌にもその記述が出てこない。
 はたして彼女は「真っ当な舞妓」として指導されていたのだろうか。それとも促成栽培の簡易舞妓として扱われていたのだろうか。
 
 いや、フライデーには「鴨川をどり」に出たと書いてあるので、修業はしていたはずである。
 真っ当な部分は読者を「扇情」できないから、書き手か編集部が省いたとか??


 この辺りの記事がないのは、たぶん、インタビュー(取材)担当者が花街に対する知識が乏しく、事前の勉強も不十分だったせいだと思われる。


 また、・フラッシュでは「5万円ほどのお小遣いがすべて」と書かれているが、衣(普段の着物や浴衣などの和装)・食・住は基本的に置屋で賄われている。

 なお、舞妓(仕込みさんを含む)と同世代である日本の高校生のお小遣い額は、5千円以下が50、9%と半数超え、5千円〜1万円が15%、1万円以上は3、2%となっている。
 「もらっていない・必要になったら都度もらう」高校生は30、7%もいる。

 使い道は、女子の場合、友達との外食、おやつや飲み物、メイク・コスメ、ファッション・・・の順になっている。

 高校生ライフスタイルランキング
 https://school.js88.com/koukousei/life/ranking/2021money

 5万円のお小遣いは少なくない。
 インタビュアー(取材者)は、その辺りがわかっていない???



 参考に、相撲取り(力士)で、舞妓と同じような立場と思われる「序の口」を調べたところ、衣食住は相撲部屋持ちで、収入は本場所ごとに7万7千円。年に6場所あるので、計46万2千円。月に換算すると、3万8千5百円となる。

 NHKスポーツ 特集 力士の給与っていくらなの?
 https://www3.nhk.or.jp/sports/story/4900/
 

(4)性暴力の実際

 ・フラッシュ
  「横になった舞妓の上にお客様がまたがって、腰を上下させるような“接触系”がありました。また“シャチホコ”といって、舞妓が三点倒立をして、お客様が着物の裾を広げて下着を見る“覗き系”もありました。舞妓は子供なので『性的な行動を理解しておらず、恥ずかしがらない』という建前があり、嫌でも拒否できません。当然、お酒も入っています。座興の度がすぎて、着物の脇や裾の間から、手を入れてくるお客様も出てきます」


 ・アサゲイ
 「そうですね。16歳で浴びるほどのお酒を飲みました。飲んだというより、飲まされました。ビール、日本酒、焼酎、ワイン、ウォッカ‥‥お客さんが好むお酒を飲まなければいけない。もし飲まなければ、売り上げにつながらないから、女将さんにどやしつけられます」

──未成年にもかかわらず、そのほかにも強要されたことはある?

 「休日にお昼から外出して一緒に遊びに行ったり、服を買ってもらったり、食事したりする《ご飯食べ》。同伴のようなものですが、時間が長く、ここでも昼からお酒を飲まされます。お客さんはだいたい行きつけのお店に誘ってくるので、店主やスタッフも見て見ぬふり。真っ昼間からお客さんにホテルに誘われることもありました」

 ──《お風呂入り》という言葉があるとも聞いたけど。

「私の場合は、女将さんと一緒に金沢の温泉に誘われました。広い露天風呂付きの宿で、女将さんが一緒に入ると言っていたので渋々入ったのに、女将さんはまったく入ってこなかった。お客さんと2人で入浴していると『タオルを巻いて入っちゃダメだ』『ちょっと立ってごらん』などと、露骨なセクハラに晒されて‥‥」


 ・フライデー
 「お座敷遊びは、性的な動きを『楽しむ』ものが多くて。例えば、じゃんけんで負けた人がお座敷に横たわり、勝ったほうがその上にが馬乗りになって腰を上下させる仕草をするものがありました。上になっても下になっても、恥ずかしくてたまらない『遊び』でした。拒否はできません。『舞妓は子どもだから何もわかっていない』という大前提があるんです。だからそれを性的な動きとわかっちゃいけないんです。なにもわかっていない子どもだから大きな反応はしない、だけどなぜか、恥ずかしがっている。そんなようすをお客さんは喜ぶわけです」

 そんなセクハラ行為を人に相談しても「我慢せなあかんえ」と言われる。置屋のおかあさんに至っては「あんたが誘惑してんのやろ」とまで言われた。

 舞妓としてお座敷に呼ばれるようになった清羽さんは、あるとき「お客さんと一緒にお風呂に入るように」と、おかあさんに言われた。「お風呂入り」とは、舞妓の旦那さんになってくれそうな男性と舞妓を混浴させること。それをきっかけにパトロンになってくれることもあるようだ。



 「飲酒強要」はパワハラ、「お座敷でのセクハラ遊び」や「お風呂入り」などは性暴力。

 「お風呂入り」については、アサゲイが「金沢の温泉」と具体的に書いているのに対し、フライデーは突っ込んだ話は書いていない。


 ここで書かれたことが彼女の話通りなら、置屋は完全に風営法違反を犯している。
「元舞妓」は弁護士をつけたことでもあるし、問題を白日の元に晒すためにも、法的措置をとるのがベストだろう。すでに準備中かもしれない。

 不思議なのは、3誌とも、取材者が訴訟その他について質問していない点である。仮に質問して掲載しないように言われたとしたら、その理由が知りたい。

 それに、置屋の名前もわかっているのだから、雑誌の編集部や取材者(ライター)が直撃しても良さそうなものだが、本人取材だけで記事を書いているのはなぜか?
 フラッシュが、「舞妓の募集などを手がける「公益財団法人京都伝統技芸振興財団」に質問状を送り、取材を申し込んだが、期日までに回答はなかった。」と書くのみである。
 楽して記事書いとるなー、というのは、私の心の声がつい漏れ出したものである。


(5)水揚げについて

 ・フラッシュ
  記述なし

 ・アサゲイ
  ──中でも、最も寒気がするシステムは?

 「《水揚げ》ですね。高額の謝礼で処女を売るんです。私は1000万円でした。まぁ冗談だろうと思っていたんですが、女将さんの目は本気でした。16歳の時に相手は50代後半の会社役員で‥‥。お金は私が直接受け取ったわけではないので、本当の額はわかりません。これは慣習になっていたようで、舞妓さんの初体験の相手をする男性は《水揚げ旦那》になります。その男性は、芸妓を引退して店なりを持つまで、ずっと金銭的な後押しをする。今ではこんなことをやっていないと思いますけどね」


 ・フライデー
 彼女が舞妓をやめようと思った大きなきっかけは、「5000万円で売られそうになったから」だ。

 「旦那をとれということですよね。いわゆる身請けみたいなもの。旦那がいれば、舞妓はやめてもいいし、お座敷に出て踊りだけ続けてもいい、と。5000万円というのは大きなお金ですが、私という一人の人間の価格と思うと…。そのお金は、置屋とお茶屋で山分けするんじゃないでしょうか。いずれにしても私には入ってこない」

 そこで彼女は目が覚めた。ここでしか生きていけないと思っていたが、そんなことはないのではないか、広い世の中に出ていけば違う目線で世の中を見られるのではないか。



 ヲイヲイヲイヲイ! である。1千万円と5千万円。あまりにも額が違いすぎるじゃないか。
 取材者が「元舞妓」の言い分をそのまま書いてしまったのだろうが、裏取りもしない記述はお粗末すぎる。
 本人の発言とされる「そのお金は、置屋とお茶屋で山分けするんじゃないでしょうか。」にも疑問が生じる。私なら絶対に取材で確かめるところだ。


(6)置屋からの逃げ方

 ・フラッシュ
  記述なし

 ・アサゲイ
  「アルコール漬けも重なって、もう精神的に耐えられなくなりました。荷物をまとめて飛び出してしまえば、追ってくることはなかった。もちろん実家に帰ることもなく、年齢をごまかしてキャバクラで働くようになりました。でも、どこに誰がいるかわからないから、お客さんに舞妓をやっていた過去なんて言いませんよ」


 ・フライデー
 舞妓として8か月活動していた間に、彼女は2度「脱走」している。何時間もおかあさんに怒鳴られ、説教されて「もう逃げよう」と決め、結った髪をバレないように解いてから、油だらけの髪のまま、浴衣姿で外へ飛び出した。走って四条河原町あたりまで行き、タクシーを止めた。運転手に携帯電話を借りて親に電話をかけたのだが、あとから考えれば、そのタクシーの運転手がやけに手慣れた様子だったという。「京都のあのあたりでは、そうやって脱走する子が珍しくなかったんです」と、清羽さんは言う。


 舞妓をやめる、と彼女は宣言した。置屋からは、彼女の親に何百万だか何千万払えと言っていたようだが、そのうち、「お金はいいから出て行って」と言われたそうだ。

 京都の「伝統」から脱出した清羽さんはその後、大阪や東京のクラブで働いた。




 ・アサゲイのストーリーでは、荷物をまとめて飛び出したら「追ってくることはなかった」。親とは関係が良くなかったので実家には帰らずに、年齢を詐称してキャバクラで働いた、となる。

 ・フライデーのストーリーでは、脱出した「その後」が曖昧になっている。「クラブ」は風営法の規制を受けるので、18歳未満は雇えないはずだが、その辺りは質問しなかったのか、「元舞妓」に不都合なことは、あえてぼかしたのか。

 記事では、
 <引用開始>
 「あとから考えれば、そのタクシーの運転手がやけに手慣れた様子だったという。「京都のあのあたりでは、そうやって脱走する子が珍しくなかったんです」と、清羽さんは言う。
 <引用終了>

 と、「元舞妓」の発言を書いているが、根拠の不明確なこのような発言をそのまま書くことで、舞妓、置屋への風評被害に加担することになるだろう。

 3誌の記事を読み返してみて、いまどきの雑誌取材の杜撰さに、呆れてしまった。

     *     *     *

 「伝統文化」内での不祥事と聞いてすぐに頭に浮かぶのが、舞芸妓とは対照的な「男の世界」である相撲界だ。
 暴行・死亡事件、マリファナ問題、野球賭博、暴力団とのつながり、八百長事件、力士の集団脱走エトセトラ。まさに不祥事オンパレードである(苦笑)。

 公益財団法人日本相撲協会は、不祥事を起こした「部屋」を閉鎖し、問題を起こした当事者と関係者に処分(懲戒解雇、降格など)を下し、再発防止策を講じている。

 公益財団法人京都伝統伎芸振興財団(通称おおきに財団)も、「元舞妓」の「告発」を受けて、まずは事実関係を精査し、置屋の問題が明らかになれば然るべき措置をとり、再発防止のために環境整備を行うべきだろう。

 舞妓育成のあり方も検討する必要があるかもしれない。




 今回の騒動を受けて、新潟市の「柳都振興」が話題になっている。
 若手芸妓を「振袖さん」、一人前になった芸妓さんを「留袖さん」と呼び、株式会社の社員として、月給制で雇用している。
 「振袖さん」の応募資格は、高卒以上、18歳〜22歳。初任給は20万円である。
 福利厚生は充実しており、育児休業もある。
 https://www.ryuto-shinko.co.jp/recruit/

 「お座敷でのもてなしには綺麗どころが不可欠」というのはいかにもおっさんの発想だが、それでも、このようなシステムを作れば、今回のような問題は防げるだろう。
 ただし、それでは「ロマンがない」などとほざくおっさんは、必ず出てくると思うが(苦笑)。

 

 以下は、私が読んだサイトである。
 ……………………………………………………
・フラッシュ 
 花街告発の元舞妓がメディア初登場! 16歳でハレンチ宴席、騒動後には「京都は怖いよ」と恐怖の“忠告”電話が
 https://smart-flash.jp/sociopolitics/191027

・アサゲイ
 元舞妓が「芸者の闇」をタブー告発!(1)きっかけは義父からの暴力
 https://www.asagei.com/excerpt/219967

・フライデー ”伝統”を告発した元舞妓独占告白「16歳で受けた壮絶セクハラ」
 https://friday.kodansha.co.jp/article/254044」
 ……………………………………………………


はね奴一代記 番外 京都・舞妓・やくざ

 安倍晋三の銃撃死というアクシデントがあったために、数日、そちらに気が取られてしまっていた。
 その間に、「元舞妓」の「告発」が新しい展開を迎えているので、当初書く予定だった内容(「幽霊の正体」と名付けた日記の続き)に代えて、「そもそも」の話を始めたい。

(1)京都とやくざ(暴力団、闇社会、裏社会・・・)

 表現はいろいろあるが、どれも同じようなものだとは理解してもらえるだろう。

 京都で起きたやくざがらみの「事件」のうち、記憶に新しいものに、「『餃子の王将』社長射殺事件」がある。
 社長は山科の本社前で銃殺されたが、当初より、あれは「プロの仕業」との声がもっぱらだった。
  DNA鑑定で一致した「犯人」と思われる暴力団員が別件で逮捕されたが、本人は王将社長殺害への関与を否定しているらしい。物的証拠が乏しいので、立件できないのか?

     *     *     *

 他によく知られている話としては、元お笑い芸人である島田紳助の「引退」がある。

 紳助は大阪人っぽいが、京都市南区の出身である。ただ、現在どこに住んでいるのかは知らない。
 大阪にタワーマンションができ始めたころ、紳助と某女性タレントの2人が「高いところに上りたがる」芸能人として有名で(笑)、タクシーに乗ると、尋ねもしないのに運転手さんが、「紳助、今度は〇〇マンションのてっぺんを買いよりましたで」などと教えてくれたものだった。

 紳助は吉本関係のスタッフ(女性)に暴力を振るったことで謹慎となったが、引退の直接原因は、ヤクザとの深い関係が週刊誌等で暴露されたことにある。紳助側は、それを名誉毀損だとして裁判を起こしたが、紳助とやくざとの深いつながりは、裁判でも「事実」と認定された。

     *     *     *

 そして先斗町。「元舞妓」が所属していたという置屋のある花街である。

 私がずっと「お水」のアルバイトをしてきたことは何度も書いたが、その中で、のべ5年間働いた店(レストラン&酒房)で総支配人をつとめていたNさんが、退職後、先斗町でバーを開いた。店は、歌舞練場からほんの1、2分、南に下がったところにある。

 コロナ禍以降はお店に行けていないが、去年の秋に別の場所で会ったときは、「ぼちぼちやってますよ」とのことだった。

 Nさんが開業するとすぐに、やくざが「みかじめ料」を払えと店にやってきたそうだ。拒否すると、脅し文句を吐いて、2度目の襲来。そこでも毅然とした態度を取り、「これ以上営業妨害するなら法的措置を取る」と追い返してからは、来なくなったとのこと。

 昔から、「歓楽街」に「やくざ」は付き物だったが、暴対法が施行されて以降、かなりの暴力団が、表向きは解散した。けれども消滅したわけではない。

 「元舞妓」の「告発」を見たとき、真っ先にやくざの存在が頭に浮かんだのは、先斗町のこのような事情もあるが、過去の「舞妓がらみ事件」にも、やくざの影を見たことがあるからだ。


(2)舞妓さんをめぐる「事件」

 <舞妓逃亡事件>

 3人の舞妓さんが、置屋の待遇がひどすぎるとして逃げ出し、記者会見を開いて、裁判に訴えることを公表した。
 裏で糸を引いていたのはやくざがらみの人物だが、置屋側にもやくざがからんでいるのではないかと、私は想像した。しかし、30年も前のこと。裁判が途中でなくなったこともあり(訴えが取り下げられた)、情報の収集がうまくいかなかったので、これ以上の憶測を書くのはやめる。

 ただ、私の記憶では、マスメディアで大きく取り上げられたので、そこで槍玉に上がった置屋の問題は、その後、いくばくかは改善されたのではなかったか。たとえば未成年の飲酒に関しては、舞妓さんがアルコールを無理強いされる話は、聞いたことがない。

 けれども「元舞妓」が書くように飲酒強要があるのだとしたら、それを容認する置屋が悪いし、客筋も悪い。


<鴈治郎開ちん事件>

 歌舞伎役者の坂田藤十郎(故人)がまだ中村鴈治郎だった時代、ひいきの舞妓さんを、宿泊しているホテルに連れ込んだ。写真週刊誌が廊下で張り込んでいたところ、部屋を出てきた舞妓さんをガウン姿の鴈治郎が呼び止め、下腹部分を両手で広げてさらけ出した。

 雑誌では、性器が見えないように「加工」されていたが、部屋で2人に性的な関わりがあったことを想像させる1枚だった。

 舞妓さんの年齢は19歳とするもの、20歳とするものがあったが、誕生日がわからないので正確な年齢は知らない。

 鴈治郎の妻である扇千景(タカラジェンヌから、出産・育児を経て、自民党の国会議員に転身。大臣にもなった)が、スクープを受けて、役者はモテてなんぼ、と、鷹揚な対応をしたので、それ以上の問題にはならなかった。

 「事件」は2002年、つまり、20年前に起きたものである。

 歌舞伎界もヤクザな業界なので(苦笑)、例に挙げてみた。

 たぶん、鴈治郎の側から、舞妓さん、あるいは置屋さんに対する何らかの見返りはあったと想像する。たとえば、襟替えのための資金援助とか。

 ただ、室内で具体的にどのような行為が行われたのかを想像するのは、ちょっと悩ましい(苦笑)。というのも、舞妓さんのだらりの帯は、自分では結べないからだ。

 一度解いてしまったら、男衆さんに結んでもらわなければならない。歌舞伎役者とはいえ、70過ぎ(当時)のじいさんが、あの帯を結べるとは思えないし。
 とすると、着物を着たままで、どういうことをしたのか? もしかすると、フーゾク店でやっているような、手や口を使ってのサービスなのか、別の何かなのか。

 ちなみに鴈治郎は、焼き鳥を食べながら2人で自分の演技ビデオを見ていたと話したそうだ。

 この舞妓さん、どうしているんだろうと検索したら、舞妓を引退してミュージシャンと結婚した後に上京したものの、離婚。その後は新橋で芸者となり、のちに、銀座でクラブ経営。コロナ禍で営業制限がかかったころに店を閉めた、というところまでの情報が見つかった。
 今は40歳前後。まだまだ若い。



(3)舞妓さんと性

 海外のデタラメな観光案内書では、舞妓さんを「prostitute(売春婦、娼婦)」と表記しているものがある。そのため、彼女たちを「買える」と信じている男はいる。

 私は、知人の仕事関係の訪日外国人(男たち)を、知人に頼まれて一緒に京都案内したことが2度ある。それらの面々のうちの1人が、「舞妓とメイクラブしたいのだが、どうすればできる?」と質問してきた。
 そこで怒ってしまうと知人が困るので、「現金で300万円用意できたら、なんとかなるかもしれませんねぇ」と答え、「そんなにかかるのか?!」と、相手を黙らせた。

 このやり方は、元舞妓さんだった良子さんの真似である。

 串かつ店にはさまざまな客が来る。すけべ根性丸出しのゲスな野郎もいれば、純粋に舞妓さんと話してみたいというお客さんもいる。

 良子さんは、客の品性を見極めた上で、いいと判断したお客さんには、アドバイスをしていた。いわゆる「お座敷」には上がれないけれど、早い時間なら舞妓さんがいる可能性のあるバー(お茶屋が経営しているところ)がある、というような。

 けれどもタチの悪い男には、「そうどすなぁ・・・現金で300万円ほど積まはったら、もしかしたら会えるかもしれまへんけど、うちはそういうとことはお付き合いあらしません」と、冷ややかに返していた。

 300万円に根拠があるのかどうか、知らない(笑)。

 「一見さんお断り」では商売が成り立たない置屋もそれなりにあるようで、いまでは観光客対象の「芸舞妓体験のできるツアー」がさまざまに組まれている。ツアー企画会社に金さえ払えば誰でも行けるわけで、タチの悪い客というのは、こういうところにいるのだろうと思われる。


(4)置屋という存在

 置屋さんは、いわゆる「芸能プロダクション」のような場所だと、私は認識している。

 芸能界に憧れる地方在住者のうち、「才能」「可能性」を見出された「スターの卵」、とりわけ女子は、先生(作曲家など)の家に住み込んで修業に励むケースが多かった。寮を持つプロダクションもあった。

 経済的に余裕があり、容姿端麗で、歌、踊り、ダンス、などに自信のある女子には宝塚音楽学校という選択肢もある。遠隔地の出身であれば寮に入る必要があるので、入学金、授業料、その他の経費、寮費などで、2年間で200万円以上の費用がかかる。

 舞妓さんの場合、女紅場、女子技芸学校などで学ぶが、費用は置屋さん持ち。生活費もお小遣いも置屋さん負担である。
 舞妓として店出ししてもらった後、年季奉公するわけだが、その期間が5、6年とされているのは、1人前になるまでの育成にかかる経費、舞妓の衣装や小道具一切などにかかる費用を回収し、襟替え費用を蓄えるためであろう。

 男子ではジャニーズ事務所の「合宿所」が有名だったが、ジャニー喜多川が次々と少年に手を出して性暴力を働いたため退所者の告発が相次ぎ、最高裁で、ジャニー喜多川による「所属タレントへの同性愛行為の認定」が確定したこともあってか、廃止になっている。

 置屋が、舞妓に対するいじめや客による性加害の場になっていたということはあり得るだろう(ただ「いじめ」は置き屋独特のものではないが)。

 問題は、「お座敷」や「置屋」での性的な行為の強要だ。責任は、未成年の舞妓を保護すべき立場に立つ「置屋」にある。

 舞妓・芸妓が「児童労働」「労働」なのか、「芸能人」なのかは、労働局と花街の間でせめぎ合いがあり、公的な位置付けはまだ定まっていないらしい。

 【参考文献】芸妓という労働の再定位──労働者の権利を守る諸法をめぐって
 松田 有紀子(立命館大学先端総合学術研究科博士課程・日本学術振興会特別研究員)

     *     *     *

 このような状況を踏まえた上で、「元舞妓」の「告発」を考えてみる。

(5)有名になることのみを目指す人生?

 本人は弁護士を代理人として指定しているので、ここから書くことは、場合によっては抗議の対象になるかもしれない。消すように求められるかもしれない。

 それは避けたいので、「裏付け」のある、あるいは「本人が書いている」ことのみを取り上げて検討するつもりだ。

 彼女のツイート、並びに他で開いているサイト(LINE、インスタ、TikTok、note、そして私には初耳だった「ミクチャ」)を見ての感想を一言で言えば、「元舞妓」さんは、とにかく有名になりたい、誇張癖のある人物であるなぁ〜、ということ。

 彼女がかつて書いていた経歴と、弁護士と相談した後に掲載したと思われる経歴との矛盾を指摘されると、
 ……………引用開始……………
「15歳で家を出てから、舞子時代を経て上京しています。
以前は舞妓をしていたことを隠していたと明記しているはずです。」(原文のママ)
 ……………引用終了……………

 と、かつて嘘をついていたことには罪悪感がないかのように開き直っている。
 また、noteの「嘘つきと呼ばれた私には、ちょうどいい 」という文章でも、

 ……………引用開始……………
 「私が舞妓をしていた時、よく嘘つきだと言われていました。
 確かに私はよく嘘をついていたと思います。
 15歳の少女ですもの。怒られたくないし、よく見られたいと思って当然です。
 ……………引用終了……………

 と、自分の嘘を肯定している。

 また、写真週刊誌(フラッシュ)の取材に対して、こう語っている。
 ……………引用開始……………
 「私は2014年5月に先代の女将と面談して、2015年2月に屋形(置屋)に入り、“舞妓になる修業”に励みました。ずっと日舞を習っていて、漠然と日舞を仕事にできれば、と思っていました。親からも『芸舞妓なら踊りを仕事にできるから』とすすめられたのです」
 ……………引用終了……………

 しかし、本人作成の「人生年表」によれば、日舞を習っていたのは、
  ……………引用開始……………
 (2013年 平成25年)
 ・12月 日本舞踊の稽古を正式に始める(入門前から、お稽古場を見に行ったり先生の舞台を見に行ったりしていたため経歴に混乱が生じた)
 2014年 平成26年
・5月 日本舞踊発表会(この頃舞妓への誘いを受ける)
(この間に仕込み体験をする。夏だったと記憶している。「仕込み」とは舞妓になるための最初の段階)
 ……………引用終了……………

 となっており、舞妓への誘いを受けた段階では、日本舞踊お稽古歴5か月である。これで「ずっと日舞を習っていて」と言えるとは、厚顔にもほどがあるだろう(苦笑)。本人が本人なら、親も親である。『芸舞妓なら踊りを仕事にできるから』って、どんだけ認識が甘いんだか。

 余談だが、私の「舞妓さん初体験」は、高校の修学旅行で京都に来た時である。現在休業している弥栄会館のギオンコーナーで、2人の舞妓さんの京舞を見た。『祇園小唄』。あの舞なら、修業半年もすればカタチになるだろう。
 「元舞妓」がいたのは祇園ではなく先斗町だが、似たような「初心者の踊り」は、用意されていると思う。

 
 さて、本人の公式経歴(?)で最も不思議なのは、彼女のツイートの中でかなりの割合を占めていた「ミス・オルチャン」コンテストというものに、まったく触れられていないことだ。

 これ、摩訶不思議なコンテストである。ウェブサイトによると、「全国に在住する満16歳〜34歳までの女性が対象。韓国情報を日本に発信していく存在を発掘するコンテストです。」となっており、応募(エントリー)から授賞式まで、すべてオンラインで行われる。

 Twitterのフォロワー数やリツイート数が審査の対象になっているため、参加者は必死でツイートをあげ、リツイートを要請する、という仕掛けで、彼女はその中でも「舞妓写真」を上げたりしている。

 主催者は「韓国ブームの中心地である新大久保にて、駅広告、街頭広告等のあらゆる広告を大胆にジャック」するそうで、受賞者には「新大久保を巨大広告にて華々しく彩っていただきます。」「本コンテストでは、拡散力のある若者に多大な影響を与えられる絶好の機会を提供します。掲載される巨大広告には"あなた"を最大限拡散できるよう、ご自身のSNSアカウントも掲載致します。 」と書く。

 要は、街頭広告に写真を載せてあげるよ、という話である。モデル料は払わなくて済むし、ネットで売り物になりそうであれば、自社で囲い込んで金儲けをしようというわけだ。

 この件についての質問に対して、「元舞妓」は、「ミスオルチャンコンテストは終わってます!」と一言。触れられたくない過去なのだろうか。

 
 「元舞妓」がツイートの冒頭で固定している写真にも、相当の疑問がある。
 16歳で浴びるほどお酒を飲まされたとして、「山崎18年一気飲み大会で勝利した時」のVサイン写真を掲載している。自撮りなのか? どのような場所で、そこには何人がいたのか?

 写真では彼女はカウンターの内側におり、客ではなく、お店側(舞妓バー?)の立場だと目される。風営法では18歳未満の少女を雇うのは違法である。

 それに、43度のウイスキーをどれほど飲めば、客はこのように酔い潰れ、カウンター内にいる彼女はケロッとしているのか。一気飲みは急性アルコール中毒の恐れが高い。それを仕掛ける方も受ける方も頭がおかしい(断言する)。

 仮に本人が舞妓になるまでお酒を飲んだ経験がないとすれば、ウイスキーを一気飲みして2人の男性(と思しき人物。顔が見えない)が酔い潰れても笑っていられる彼女は特異体質だと思われる。
 まぁ、あくまでも、この写真が彼女が書く通りの状況を写しているのであれば、だが。

 ついでに書けば、「乾杯」写真も、彼女が飲酒を強制された「証拠」としては弱い。「乾杯のポーズだけ」ということもありうるし、シャンパングラスの中はノンアル発泡ジュースかもしれないし、口をつけるふりだけで飲まないという選択肢もありうるし。

 ちなみに、お子ちゃまに人気のシャンメリー、大人用の白は、シャルドネ味だよ〜!

     *     *     *

 嫌味はさておき、彼女自身が公表する経歴を見てみよう。元原稿に年齢を付け加えた。

 ……………引用開始……………
1999年 平成11年夏
・誕生
2008年 平成20年 
・4月または5月 タレント事務所に所属(ミュージカルや舞台に子役出演) 9歳
2009年 平成21年
・5月  タレント事務所を退所してフリーで活動 10歳
2010年 平成22年
・東京での仕事の際、強制わいせつの被害を受けて警察へ被害届を出す。加害者はその後処罰された。11歳
2012年 平成24年
・1月 地下アイドルを始める 13歳
2013年 平成25年
・3月 ご当地ヒーローショーに出演し始める 13歳
・12月 日本舞踊の稽古を正式に始める(入門前から、お稽古場を見に行ったり先生の舞台を見に行ったりしていたため経歴に混乱が生じた) 14歳
2014年 平成26年
・5月 日本舞踊発表会(この頃舞妓への誘いを受ける)14歳
(この間に仕込み体験をする。夏だったと記憶している。「仕込み」とは舞妓になるための最初の段階)
・10月 京都で日本舞踊の会に出る 15歳
・11月 地下アイドル卒業 15歳
2015年 平成27年
・2月 「仕込み」に入る 15歳
・10月 「見習いさん」になる 16歳
・11月 舞妓として店出し(デビュー)。このとき16歳。
2016年 平成28年
・7月 舞妓を退職 16歳
・9月 上京
アルバイトで生活。様々な人に会う機会を得て刺激を受ける。狭い視野しかなかった舞妓時代の出来事に違和感を感じ始める。 17歳
2017年 平成29年
・2月 大阪へ転居 17歳
・2月–8月 アルバイトで生活
・8月 2週間のインターナショナルスクール夏期講習を修了(自費)
・8月末 北新地のクラブに入籍 18歳?
2018年 平成30年
・2月 上京 18歳
・2月 銀座のクラブに入籍 18歳
2020年 令和2年
・1-6月 コロナ禍で勤務先クラブが休業となる 20歳
・5月 友人とウェブマガジンを立ち上げる
・6月 ウェブマガジンに文章を寄稿。コロナで不安定な飲食業ではなく、興味のあった文筆で生活できないか考え始める。
・7月 銀座クラブ退職 20歳
・8月 ライター業を始める
・9月 入籍
2021年 令和3年
・4月 出産 21歳
 ……………引用終了……………


 小学生のころからタレント志向は強かったようで、9歳で事務所に所属している。当然、保護者の承諾が必要な年齢なので、家族もそれに賛成していたのだろう。親の方が熱心なケースも、ままある。

 特徴的なのは、活動の方向性がバラバラで、なおかつ、どれも長続きしていないこと。「地下アイドル」が最長2年間となっているが、その間に「ご当地ヒーローショー」(←って何?)に出たり、日本舞踊に手を出したりしているし。

 舞妓をやめた後も、長続きしないのは同じ。上京して5か月で大阪に行き、1年後にはまた東京に戻っている。

 2021年3月22日のツイートでは、「私は15歳で家を出て上京し、18歳ではすでに年収2千万円あったけど」と豪語しているが、前半に関しては、前にも紹介したように、「15歳で家を出てから、舞子時代を経て上京しています。以前は舞妓をしていたことを隠していたと明記しているはずです。」(原文のママ)と、弁明している。

 後半の年収2千万円にも疑問が生じる。銀座の「オーセンティックな」(苦笑。本人がツイッターで使っている言葉である。本物の、というような意味だろうか)クラブが、中卒で落ち着かない生活をしてきた18歳を採用するのも「不思議」なら、合法的な仕事で2千万円稼いだというのも、にわかには信用し難い。
 もしも彼女が真っ当に収入を得て、それをちゃんと申告したのなら、翌年度の所得税が大変なことになったはずだが、そのあたりははどうしたのか。


 〜〜〜〜〜あ〜〜〜っ、もう! 書いているうちにアホらしくなってきた。

 もともと私は、最近考えている性の売買について、考えを深めることができるかも、と、「元舞妓」の「衝撃の暴露ツイート」を読み始めたのだが、書き込みを読めば読むほど、本人に対する「?」が増え、関心が薄れるばかり。

 自己紹介に、彼女は「ADHD」と書いているが、これも、ちゃんと診断が下されたものかどうか。余計なお節介ではあるが、可能なら、信頼できる精神科できちんと調べてもらった方がいいように思う。

 ご本人は、「性問題やジェンダーについて、問題提起する活動をしたい」(写真週刊誌の記事で、写真に添えられたキャプション https://smart-flash.jp/sociopolitics/191027 )と話しているそうで、ツイッターではやたらと元自衛官五ノ井里奈さんのツイートをリツイートしている。
 
 私、五ノ井里奈さんの活動は心から応援する。

 しかし、「元舞妓」とは関わりたくない。
 よって、この件についての記述はここまで。

 自分の立ち位置に戻って、「性の売買」について考え続ける。


 

はね奴一代記 統一教会について(昨日の続き)

 私はテレビを持たない。買ったことがない。

 実家にテレビが来たのは、1963年の年末。テレビの欲しい母親と、ローン(当時の表現では月賦)嫌いの父親で、なかなか話が折り合わなかったようだが、「東京オリンピックは自宅のテレビで見たい」という母の強い要求が通って、前年の暮れのボーナスで購入することになったようだった。

 ある夜、突然テレビがやってきて、電気店のおっちゃんが二人がかりで設置してくれたのを覚えている。4本足のテレビジョンである。

 当時私は小学6年生。テレビを見ていたのは、6年の3学期と中・高の6年間だけ。京都で下宿していたときは、朝夕の食事どきに大家さん家のテレビを見るぐらい。1人暮らしを始めてからはずっとテレビのない生活を送った。幸い、「テレビ不要」という点では夫と意見が一致したので、結婚後も購入することはなかった。


 なので選挙速報といっても、NHKラジオを聞くのが基本。新聞各社がウェブサイトで速報を流すようになってからは、ラジオを聴きつつ、各社の速報サイトをザッピングするというパターンだった。


 昨夜初めて、Tverのリアルタイム配信やアベマTVなどで、開票中の番組を見ることになった。

 なんじゃこりゃ、というくらい、どの番組も落ち着きがない。

 アベマTVは、“史上最もチャラい!? 参院選特番”と銘打ち、お笑いのEXITがメインMC(?)を務めていた(ちょっとお飾り感があったけれど)。

 私、この番組で「ごぼう」やら「さんせい」やらという党の代表を初めて見たけれど、それぞれに違う意味で胡散臭い人物のようで、笑ってしまった。

 「ごぼう」の方は、銀座に開いている(?)会員制サロンに有名人を集め、また、自分が「販売」している化粧系や健康系商品を男女芸能人・タレントに提供して、ネット(ブログなど)で紹介してもらう、いわゆるステルスマーケティング(ステマ)をやってきた人物らしい。

 番組では、話の流れや質問を完全無視してワンパターンの「主張」を大声でがなり立てるばかりで、ついには進行係のアナウンサーに発言を遮断される始末。

 「さんせい」の方は対照的に笑顔を絶やさず、ねっとりとした話し方。
 数十年来の知人2人(互いに面識のない男女各1人)がフェイスブックやブログで「さんせい」党支持を前面に押し出しているのでウェブサイトもチェックしたが、その主張は、天皇主義でありトランプ支持でありコロナ陰謀論である。いったい何が知人たちの心を捉えたのか、と、画面を見ながらずっと考えていたが、まったくわからない。

 なお、「ごぼう」と「さんせい」には、反ワクチン、反マスクという共通点がある。

     *     *     *

 「池上さん」の番組も見た。鈴木福くんがスーツにネクタイ姿でゲスト出演しているのが新鮮。
 彼は6月に18歳の誕生日を迎えたそうだが、高校の同級生にはまだ誕生日が来ていない人も多く、選挙で盛り上がっているわけでもなさそうだった。

 私がこの番組を見ているときにちょうど、池上さんが、元おニャン子の候補者がテレビの選挙番組に出ないのは「国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りないから」だという陣営関係者の話を紹介して、スタジオは微妙な空気になった。それを知った本人が激怒しているというニュースを、今日になって知った。

 でも、当確が出た後の彼女のスピーチは、陣営スタッフの弁明を納得するに十分な空っぽさ、バカっぽさだったけど〜(苦笑)。

     *     *     *

 とはいえ、やっぱりテレビのノリは肌に合わない。
 私はさっさとお風呂に入り、その後はNHKラジオの速報だけを聞いていた。

     *     *     *

 今日の午後、安倍晋三の殺害当事者が口にしている「統一教会と安倍元総理の癒着」をめぐる問題に関して、旧統一教会代表が記者会見を開くことを知った。
 録画をYouTubeで見た。話し方がたるいので、1、5倍速にして(笑)。

 代表は、母親が信者であることは認めたが、息子は入信していないとの返答。ただ、母親が息子を連れてきていたかもしれない可能性は否定しなかった。

 母親の家庭が崩壊したことは「認識している」そう。
 (加害者の母親に限定せず、一般論として)「数千万円の寄付」というのはあるのかとの質問には、表情ひとつ変えずに、そういうことはあったとあっさり認めた。


 YouTube動画では、それを見ている人のコメントが画面横に流れれる。

 代表者は教祖夫妻について語るときに韓国・朝鮮語で発音するのだが、それを聞いて、「韓国の宗教団体なのか?!!!」と驚くコメントがずらずらと流れている。

 これが「時代は過ぎゆく」ということか、と、70ばぁさんは面食らった。

     *     *     *

 我々世代にとって、統一教会が韓国発祥の「キリスト教を装った新興宗教」であることは、周知の事実だった。

 私が京大に勤務していた1970年代にはすでに、統一教会の下部組織である「原理研究会」が「サークル」として存在しており、「京大学生新聞」を名乗る新聞も発行されていた。

 偽キリスト教である統一教会に洗脳された学生を実社会に取り戻すべく、キリスト教(プロテスタント)の牧師さんや、統一教会に取り込まれた学生の保護者を中心とした活動も行われており、私はその講演会を聴きに行ったこともある。

 実際に、原理研経由で統一教会に洗脳された学生も、知っている。

 彼女は家族ぐるみの支援で統一教会を脱会はしたのだが、例えれば「魂が抜けた」状態になっており、京大を中退してしまった。

 彼女の場合、両親を含む家族に問題はなく、本人も勉強のできる女子として京大に現役合格している。けれども統一教会(原理研)は、いわゆる恵まれたエリートであっても「思春期」に思い悩むであろう些細な迷いやコンプレックスを巧妙に衝いているようだった。何しろ洗脳する側も京大生なのだから、共通する苦悩には「精通」していたのかもしれない。

 ただ、いまどきの若い人たちにすれば、「統一教会」も初耳なら、それが韓国発祥の宗教だということを知らないのは当然かもしれない。

 「花の中3トリオ(山口百恵、森昌子、桜田淳子)」の1人として大人気を博していた桜田淳子が統一教会の信者として「合同結婚式」に参列し、教祖に指名された相手と結婚したことや、先だっての東京オリンピックでコーチを務めたスポーツ選手もかつては統一教会の信者であり、その脱会が大きなニュースになったことも。

 現在も、洗脳被害は絶えておらず、「全国統一協会被害者家族の会(略称:家族の会)」の活動は続いている。
 統一教会について知らなかった人には一読をお勧めする。
 http://e-kazoku.sakura.ne.jp/

 (つづく)




はね奴一代記 番外 幽霊の正体(途中まで)

 その1)運命論?(笑)

 安倍晋三殺害の動機がほぼ明らかになっている。

*現行犯逮捕された加害者の母親は、夫と祖父を亡くした後、統一教会に入信し、お金を貢ぎ続けた結果、自己破産に追い込まれた。

*統一教会は文鮮明の死後、肉親間の後継者トラブルで分裂した。

*加害者は、一時は統一教会員だったが、脱退後、分派に入信した。この分派は武器(銃)の所持を賛美している。

 ただし、分派関連の報道に対しては、分派の日本代表がウェブサイトで発表した声明で、加害者とは「接点も関係も一切ありません」と関係を否定しており、銃の賛美については、「アメリカに本部を置く当協会においては、そのアメリカ合衆国憲法修正2条に認められた自由と安全を守るために銃を保持することは重大な権利となっていることを知っております。当協会は日本国憲法の下で法を遵守し、違法行為を行っているということは、一切ありません。」としている。

 興味深かったのは、ウェブサイトに掲載されている6月17日〜7月26日の「祈祷項目」として、次の2つが並んでいたことだ。

 ……………引用開始……………
6. 再び、トランプ大統領がトランプ将軍として立ち上がるように
7.岸田新政権が中国共産党の対日工作を警戒して、自主防衛を強化するように
……………引用終了……………

 「トランプ将軍」だとか日本の「自主防衛強化」だとか、戦争好きそうな項目が並んでいる。政治的な立ち位置も明確だ。

 統一教会分派のサイト
 https://www.sanctuary-jp.org/(リンクは張っていない)

     *     *     *

 地上波テレビや大手日刊紙は、母親が入信した宗教団体の名前を伏せ、加害者は、その団体と安倍晋三に関係があると思い込んで犯行に及んだとしている。

 週刊誌やウェブメディア、海外報道などではすでに宗教団体=統一教会と明記されている。そして、統一教会(勝共連合)との関係は、安倍晋三の祖父である岸信介の時代から「有名」だった。

 加害者はいっとき統一教会に入信していたというのだから、安倍晋三と統一教会の関係が「思い込み」ではなく「事実」だと、わかっていたことだろう。

 旧統一教会の奈良教会のウェブサイトは「メンテナンス中」でチェックできなかったが、その場所は、事件の起きた近鉄・大和西大寺駅のすぐ近く。マピオンによると、駅から徒歩7分となっている。
 もしかして、加害者の母親は、ここに通っていたのだろうか???

 ついいましがたのNHKニュースでは、加害者が、この教会に事前に銃を撃ったと「供述」しているとの報道があった。

     *     *     *


 安倍晋三の応援を受けていた立候補者は、自分のせいでと泣き崩れたそうだが、安倍晋三が遊説先を長野から奈良に変更したのは、彼のせいではない。

 当初応援を予定していた長野の立候補者(ものまねタレントらしい)が、過去に「不倫相手が妊娠した際、中絶同意書に住所や氏名を偽って記入した」件がスクープされ、本人もそれを事実と認めたからだという。

 笑ってしまった。自民党は「著名人」というだけで、政治能力は「?????」なタレントやら元アイドルやらを立候補させているが、その1人の「私文書偽造」がスクープされ、ここに行ってはまずいと、急遽、前日の夜に行き先を奈良に変更した。午後は京都に来る予定だったので、ちょうどいいと思ったのだろう。

 この判断が裏目に出て、こともあろうか、加害者が地元で襲撃するチャンスを作ってしまった。もしもあのとき、と、「たられば」を連発して悔やんでいる人たちも多いことだろう。

 私は運命論者ではないけれど、安倍晋三は安らかに最期を迎えられない運命だったのかねぇと、つい、呟いてしまった。

 <中断>

 このタイトルで書きたい内容を書き切らないうちに、参院選の開票速報が始まった(苦笑)。

 中1(13歳)から続く選挙フリークゆえ、続きは明日以降に書くことにする。
 悪しからず。
 
 

 

はね奴一代記 号外 醜悪とはこの男のこと=山口敬之

 ありふれた昼前。NHK・FMラジオを聞いていたら、天気予報が始まるはずの時間に臨時ニュースが始まった。奈良の近鉄大和西大寺駅前で選挙応援演説をしていた安倍晋三元総理が銃撃され、心肺停止状態だという。

 午後からは所用で外出予定だったので、ぎりぎりまで情報を検索した段階では、現行犯逮捕された男性の姓名と、元海上自衛隊員という経歴までが報道されていた。

     *     *     *

 夕方に帰宅してすぐに、キーワード検索をかけた。安倍元首相が亡くなったとの書き込みにぶつかった。報道ではない。個人のツイートである。

 山口敬之。伊藤詩織さんに性暴力を働いた張本人である。

 他ではまだ報道されていないのに、どういうこと?? 

 Tverのリアルタイム配信でチェックし続けたところ、安倍夫人の昭恵さんが医大病院に到着したというニュースがあった。病院に到着した時刻は16時57分である。

 その後、「17時3分に死亡」との発表が公的に行われた。

 では、山口敬之の、あのツイートは何??
 消されるかもしれないので、スクリーンショットを撮っておくことにした。

 スクリーンショット 2022-07-08 18.32.33



 これは私のパソコンの液晶画面である。あえてメニューバーが入るようにしたのは、時刻を確認しておきたかったからだ(小さくて読めないかもしれないが、元の画像でははっきり読める)。

 私がスクショを撮ったのは、18時32分。山口がツイートしたのは「2時間前」となっているので、16時32分前後。昭恵さんがまだ病院に到着する前である。

 心肺停止になった人が命を取り留めるという例はほとんど聞いたことがないので、出かけるときから、厳しいだろうとは思っていた。

 しかし、誰からの報告か知らないが、妻の昭恵さんがまだ病室に着いていない時刻に、なんでわざわざツイートするかね??


     *     *     *


 安倍元総理の死亡報道から1時間ほど後、共同通信や毎日新聞が、山口敬之の伊藤詩織さんに対する「性行為」に「同意はなかった」とする判決が最高裁で確定した、と報道した。

 伊藤詩織さん訴訟 「性行為同意なし」認定し賠償確定 最高裁
 https://mainichi.jp/articles/20220708/k00/00m/040/285000c

 ………………………引用開始………………………
 ジャーナリストの伊藤詩織さん(33)が、性的暴行を受けたとして元TBS記者の山口敬之氏(56)に約1100万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は7日付で、山口氏側の上告を棄却する決定を出した。「性行為に同意がなかった」として約332万円の賠償を命じた今年1月の2審・東京高裁判決が確定した。
 (後略)
 ………………………引用終了………………………

 最高裁の判決日は7月7日付なので、山口は安倍元総理の死亡前にこの件を言い渡されていたと思われる。

 公式発表前にあえて安倍元総理の死亡をツイートしたのは、世間の目を自分の性暴力確定判決から逸らすため?
 それとも自己顕示欲?

 醜悪としか言いようがない。

 安倍総理殺害については、捜査は始まったばかりなので、予断で発言することは避けたい。

 

 






 

 


 

はね奴一代記 「フェミニスト」はひろゆきが嫌いだけれど

 私が五ノ井里奈さんのたたかいを知ったのは、ひろゆきのYouTube動画がきっかけである。

 「パリ在住の中年のおっさんがビールを飲みながらダラダラと雑談しているだけのしょうもない」チャンネルで、登録者数は152万人。再生回数は少なくとも2、30万回。時と共に増えていく。

 私はリアルタイムで見ることはないが、細々した手作業や台所仕事をしているときに、ラジオを聴くように動画を再生している。
 画面に写っているのはひろゆきだけ。彼は多動で、かつ、アレルギー持ちなのか、しょっちゅう鼻をかむ(その度にマイクのスイッチをオフにするので、不快な音は聞かなくて済む)ので、画面を見ていても意味がないのだ。

 ひろゆきはスパチャ(スーパーチャット、一種の投げ銭システム)した人の質問に答えていくのだが、先日そこに、「自衛隊でレイプされた人が云々・・・」というスパチャがあり、それに対してひろゆきが無責任な意見(本人が都合の悪いことを隠しているのではないかといった類の)を返していた。

 ???

 さっそく調べたところ、五ノ井里奈さんのツイッターアカウントにたどり着き、リンクの貼られていた著名YouTuberチャンネル「街録ch 〜あなたの人生、教えてください〜」の動画を視聴して、彼女自身について、ならびに事件の全体像を知ることができた。

 https://www.youtube.com/watch?v=BynpNjfZ-IA

 五ノ井里奈さんはオリンピックを目指す柔道家だったが、故障や恩師の退職などが重なって大学を中退し、柔道を続けられると思って自衛隊に入隊した。宮城県出身で、東日本大震災で被災して避難所にいたとき、自衛隊員の活動を目の当たりにしたことも、志願動機の一つだったそうだ。


     *     *     *

 スパチャで質問した人も答えたひろゆきも、裏を取らずにデタラメなやりとりをしたわけだが、それはいつものこと。それでも私がこのチャンネルを流し聞きするのは、そこに出現する空間への興味があるからだ。

 質問やコメントを見聞きしていると、うつ、発達障害を始め、より重い精神疾患を抱えた人々、その延長で休職中の人、引きこもりの人、Fラン大学卒や中卒、高校中退などの「学歴のない人」、家族関係でドツボにハマっている人、低賃金で不安定な仕事についている人、実績もないのに安易に転職や起業を夢見る人など、実に多種多様な「ダメ人間」「底辺生活者」が、これでもか、というぐらい集っているのが分かる。釣りと思われるスパチャもある。

 そういう人々に対してひろゆきは、「バカです」「頭が悪い」「相談するところを間違っています」「労基署に行ってください」「生活保護を取ってください」などと放言するが、そこに、質問者を「軽蔑」したり「見下したり」という臭いがない。それゆえ、ずっと他人に見下され、無視されて生きてきた人々にとって、わずかでも「息のできる場」として機能しているのではないかと思う。

     *     *     *

 プロレタリアートである私から見れば、若いときにうまいこと金を稼いで、働かなくてもお金が入ってくるシステムを作って、不労所得だけでも大金が入ってくるので、好きなゲームや旅行をしてヘラヘラ生きていけるおっさんは、対極的な存在である。

 だからこそ、その価値観や生き方を面白く感じる。

 昔、私は、日経新聞プラス朝日、あるいは毎日、もしくは読売、というように、常に2紙を定期購読していた(産経は定期購読したことがない)。

 日経新聞は、私の価値観や日常とは最も離れた資本主義に基づく経済新聞だが、だからこそ、読む意味があった。今もネットのサイトは見ているし、ニュースメールも読んでいる。

 ひろゆきも、日経新聞と似たような存在である(笑)。

 野村総研によると、日本の「富裕層(金融資産1億円以上所持者)」は124万世帯、「超富裕層(5億円以上)」は8.7万世帯あるそうだが、ボンビーな私は、ひろゆき以外の「富裕層」をリアルには知らないので、貴重なサンプルでもある。

https://www.nri.com/jp/news/newsrelease/lst/2020/cc/1221_1

 書きながら思い出したが、1人だけ、数億円の資産持ちだった女性を知っている。ただ、私より30歳近く年上だったので、今も生きておられる可能性はあまりないと思うが。

 彼女は、行政主催の私の講座の生徒さんだった。受講の理由は「もちろん」受講料無料だから。懇親会などにはタッパーを持参して残り物を持ち帰るというケチぶりで、衣類はほとんどバザーで購入した500円前後のもの。思いっきり毛玉のついた安物セーターを平然と着ていた。

 何がきっかけだったか、連続講座の終わりがけに、彼女が複数の不動産持ちであることが判明した。

 驚いたのは、そのうちの1棟、大阪・梅新東交差点を少し南下した、アメリカ総領事館裏手のビルが彼女の所有物と知ったときである。坪単価は現在300万〜400万円ぐらい。土地だけでも2、3億円はするだろう。

 彼女は身近な人々には嫌がられてばかりで、正直、「人生の何が楽しいんだろう」と思ったので、ちっとも羨ましくはなかったが。

 その点、ひろゆきは楽しそうで、何よりである(笑)。

     *     *     *

 ようやく本題に入る(苦笑)。

 2年前、「ハフポスト」というウェブメディアが、連載「 #私たちのフェミニズム をみんなで語ろう」の第1回ゲストひろゆきのインタビュー記事(前編)を掲載したところ、フェミニストを中心とした人々から、なぜひろゆきなのかとの非難や抗議、また、話の内容への批判が殺到するという出来事があった。

 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

 ひろゆきの発言の中でもとりわけ批判されたのは、下記の部分である。

 ………………………引用開始………………………………
 西村:僕は専業主婦の家庭で育っていて、「女の人が働かない」ことがいかにラクか見えていましたし。母はたまにパートして稼いだお小遣いで旅行に行ったりしていましたが、僕は父がそうやって旅行しているのを見たことがないんですよ。

 母の楽しい暮らしを知っているから、逆に「女性も男性も働くべきだよね」というフランスを見ていると、すげー大変そうだなあと。

 (中略)

 ただ母親を見ているので、「そうは言っても女の人の方がラクだよね」ってのはどこかにある。母親が働いている家庭に育っていたら、その専業主婦のイメージは湧かなかったでしょうね。

 他人の経験や本などから学習できる人って少数派で、自分の経験からしか判断しない人はやっぱり多いと思います。そういう意味では、「自分と違う人は見えない」というのが多数派で、それはなかなか変わらないんじゃないかなぁ。
 ………………………引用終了………………………………

 批判者にすれば、専業主婦の抱えるしんどさや抑圧がわかっていない! ということになるのだろうが、私はこの部分を納得しながら読んだ。とりわけ最後の「自分と違う人は見えない」という視点には、なるほど〜と、唸らされた。


 ひろゆきは1976年生まれ。父親は戦後のベビーブーム時代に生まれた団塊の世代。国税局の職員だったが、長年勤務した特権として試験免除で税理士になったと、ひろゆき自身が発言している。

 ネットでは、ひろゆきの父親と目される税理士さん(西村◯之氏)が写真入りで紹介されており、本人も否定していないので(人違いなら迷惑がかかるだろう)、間違いないと思われる。顔も似ているし(笑)。

 私の姉も団塊世代。銀行員だったが、同業他行の男性と婚約した時点で「寿退社」し、2人の男の子を育てながら専業主婦をしていた。

 家庭円満で離婚しそうにはなかったので、あるとき、「万一、〇〇さんが事故か病気で死んだらどうするの?!」と尋ねてみた。

 「マンションのローンは払わなくてよくなるし、これから私が一生働いてもらえるお金より多い保険金が入るから」と、あっさり切り返されてしまった。夫氏の職業柄、生保会社とのお付き合いもあるようで、大型保険に入っているらしかった。

 姉が結婚した1970年代前半は、女性が25歳までに結婚しなければ「売れ残りのクリスマスケーキ」と揶揄された時代。また、男性に妻子を養えるだけの収入があることは結婚の必須条件とされていた。

 税務職員の給与体系や水準は知らないが、私が働いていた一般行政職の場合、1970年以降、給与は急上昇していたので(70年〜75年の間で、大卒ノンキャリ給与は3、3倍超え!)、妻が働かなくても生活するのは可能だったろう。

 専業主婦の割合が最も高かったのは1975年といわれるが、その統計は見つからない。
 独立行政法人 労働政策研究・研修機構に、1980年以降の専業主婦世帯と共働き世帯の推移を示すグラフがある。注釈によると、1975年の資料はないそうな。

 グラフを見ると、共働きと専業主婦の割合が拮抗するのが1990年〜2000年の10年間。その後は共働き世帯が増え続け、東日本大震災の起きた2011年以降は急上昇している。

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0212.html

 この推移の背景には、当然、日本の企業社会の変遷がある。

 戦後の高度経済成長期から安定期までの45年余、企業が生産性を上げるために、男性を仕事に集中させ、それ以外のこと(家事、育児、消費、エトセトラ)は女性にやらせるという、いわゆる「役割分業(分担)」が推奨された。

 1970年には「モーレツ社員」という言葉が流行し、1989年には「24時間タタカエマスカ」という栄養ドリンクのキャッチコピーが流行語大賞(銅賞)に選ばれた。私は時任三郎の『川の流れを抱いて眠りたい』という歌が好きだったので、彼がこのドリンクCMに出演した時には、「あちゃー」という思いで、ちょっと彼から離れてしまったのだった。

 この間ずっと、日本の企業社会は男性を生産部門に縛り付け、再生産に関わる仕事をすべて女性(妻や母)に押し付けていた。

 そのような時代背景をふまえて、団塊世代(とその下の世代である私を含む世代)の「息子」世代と言えるひろゆきの発言を読み返せば、「主婦が楽に見えた」のはわかるし、怒る部分は何もない。

 ひるがえって、社会状況や個人の体験を全無視して、自分たちの「教義」に沿わない発言を攻撃する方がおかしいし間違っていると、私は考える。

 ひろゆきを攻撃する人の中には、このインタビューがフェミニズムに悪影響を与えると主張する人もいたようだが、それは読者を馬鹿にしすぎというものである。

 私たち、そんなに読解力は低くないよ。


 もっとも、批判を受けて、とっ散らかった弁明をした在仏インタビュアー(ライター)やハフポスト編集部に対しては、その定見のなさがみすぼらしすぎて、信頼に値しないと、私は断定しているが。


はね奴一代記 ハラスメント相談の基本のき

 私はこれまでに個人でも組織内でもセクハラ・パワハラの相談を受けてきたわけだが、その場合の「基準」というものは明確にある。

 まず、話を聞いてほしいというケースでは、相談者が匿名であっても一向に構わない。聞いた内容は誰にも漏らさないし、仮に相談内容に疑問を抱くことがあっても、相手が「事実を語っている=嘘をついていない」という前提で話を聞く。

(注)話の内容があまりにも荒唐無稽な場合は、精神疾患の有無を考慮する場合もある。実際に、家族に確認して、妄想型の統合失調症で治療を受けていると判明した例もあった。


 ただ、相談者が「加害者である相手に対する処罰」等を要求する場合には、相談者にも氏名と所属(立場)を明らかにしてもらう。そうでなければ、申し立てを受け付けない。
 
 残念ながら、無責任な「告発」はよくある。
 私の経験から、いくつかのパターンをピックアップしてみる。

(1)捨てアドメールでの「告発」

 ハラスメント相談専用のメールアドレスは公開されているので、誰でもメールを送ることができる。
 下記の例と似たような投稿が複数回あった。

 「証拠写真」なるものを添付して、〇〇がこういうことをしている、首にしろ、相談室が本当に動くかどうか監視しているぞ、というような内容のメールを送りつける。

 返信しようとしても、すでにメールアドレスが使えなくなっている。10分や15分で消える捨てメールアドレスを使っていたのだと分かる、といった具合だ。

 写真が真実を写しているなどと信じ込んでいる人は、いまい。写真が発明されるのとほぼ同時期から、偽造もまた行われてきた。プロパガンダ写真はその典型だ。

 編集・出版業界では、コンピュータが出現する前から「レタッチ(写真の加工・修正)」は日常的に行われてきた。フォトショップの登場以来、画像・写真編集のできるアプリは次々に開発され、無料で提供されているものも多い。かなりの加工が、あっという間にできる。

 今ではスマホの自撮り写真を「盛る」無料アプリがいくらでもあるので、顔写真も、リアルとはかけ離れていたりする。

 いずれにしろ、一方通行の「告発」や「要求」には対応しない。



(2)お試し? or 嫌がらせ?

 フリーメールではあるけれど、メールのやり取りは継続的に続く。けれども自身の氏名や立場は明かさない。

 もっとも記憶に残っているのは、「婚約者が上司にセクハラを受け続けている。相手を首にしろ」という男性(自称)からのメールだ。
 彼の書く「事実経過」には矛盾がなく、仮にフィクションだとすれば、とても良くできている。

 フィクションかも、と疑問を抱いたのは、100人以上が働く職場での、「被害者」の勤務部署を具体的に書かなかったところだ。これでは「調査」のしようがない。

 その旨を伝えたところ、メールが途絶え、こちらが何度かメールをしても、返信がなくなった。

 いくつか考えられる。

 *ハラスメント相談がどういう対応を取るのか、確かめるためにメールを送ってみた。
  この場合、メールの送り主は部外者・内部者どちらの可能性もある。

 *部外者が、この訴えで金が取れるかどうかを試そうとした。
  これは私の勘に過ぎないのだが、メールのやり取りをしている間に何度か頭によぎった。

(3)その他のあれこれ

 恋愛関係がこじれた結果、相手をセクハラやパワハラで訴える。
 自分を「振った」相手への仕返しとしてパワハラする。

 これらは、申し立ての要件を満たしていれば受理するが、「職場の問題」というよりは「個人的な人間関係のもつれ」なので、徒労感に苛まれる(苦笑)。


(4)自分だけを「安全圏」に置いての「処分申し立て」

 相談の過程で、自分は匿名のままで相手を処罰してほしいという依頼。
 実はこれがとても多い。
 この場合、相談者と面談しており、加害者とされる相手の氏名や立場(部署等)はもとより、相談者の氏名も所属もわかっているのだが、相手に伝えないでほしいというのだ。

 けれども、被害者が匿名のままでは、やはり調査すらできない。
 「〇〇さんから申立が出ている」と言えない加害者へのヒアリングなど、成り立たないからだ。

 加害者とされる相手にも人権があり、「冤罪」は防がなければならない。

 相手の人生に大きな影響を与えることを踏まえた上で、どうしても許せないので処罰を、と考えるならば、自分の氏名も相手に示した上で、誠実に謝罪し、加害責任を取るよう、求めるべきである。

     *     *     *

 ネット上での「告発」は、それに対して好き勝手を言う無責任な匿名野郎・女郎がうわーっと湧いてくるので、自分を守るために「匿名」で通したいという気持ちは「理解」はする。共感はしないけれど。

 それゆえ、伊藤詩織さんが氏名を明らかにして事実を公表し、問題提起をしたとき、私はシャキッと背筋が伸びる思いだった。

 伊藤さんの訴訟に関しては、仕事中、10数人の前で「挑発」を受けたことがある。私よりかなり年下の(多分、当時40代ぐらいの)男性が、伊藤さんの主張が事実だとは必ずしも言い切れないという話を始めたのだ。

 挑発と分かっていたので、一瞬、対応を迷ったが、私はそれに乗ることにして、リュックに入れて持ち歩いていた(!)伊藤詩織さんの著書『「Black Box」(ブラックボックス)』を取り出し、挑発者を批判した。
 その男性は「偉い人」だったので、私の態度に危機感を抱いたスタッフが廊下に出てヒソヒソ相談を始めた。
 さすがというかなんというか、その出来事はその日のうちに、関係部署に速やかに広められていたらしい。

 その後、私は関係部署の年上の女性に、「あんたは対応が下手なんや」と「たしなめ」られた。
 もっと大人の対応をして受け流すべきだったというのだ。

 そのような考えこそが、長年、セクハラ被害を申し立てられない土壌を作ってきたのに、である。

 その女性に対する信頼関係はそこでブチギレたので(笑)、以後はずっと距離をとり続け、そこでの仕事を終えた後は関係を絶っている。

 けれどもこの問題は見過ごせないので、その時期について書くときには、正面から批判するつもりだ。

     *     *     *

 元自衛官だった五ノ井里奈さんが、氏名と顔を公にして、訓練施設で受けた自衛官15人による性暴力を告発している。

 https://twitter.com/judo_gonoi

 私はまた背筋をシャキッとさせて、彼女のたたかいを見守っている。

 (つづく)

 

 

はね奴一代記 京都は嫌われているのねぇ〜

 またまた横道にそれる(苦笑)。

 5、6日前から「元舞妓」さんのツイート(16歳で飲酒を強要され、セクハラも受けたという内容)が話題になり、著名な「フェミニスト」さんを含む人々が反応して、大きな話題になっている。

 彼女の記述が事実とすれば、いまどきこんな不法な置屋があるのか?! と驚くが、notoの原稿(本人は物書きを自称)や数多くのツイートが削除されているので、検証は難しくなっている。
 想像するに、今後の取材や検証に備えて、辻褄合わせの作業に忙しいのだろう。

削除されたノートスクショ 2022-06-30 11.22.06
 
削除の多いスクショ 2022-06-30 10.51.10
















 それにしても、「京都」や「伝統文化」がこんなに嫌われているのかと、書き放題のリツイートやエッセイを前に、苦笑いしてしまう。

     *     *     *

 京都に住んでいるからといって、誰もがお茶屋さんで舞妓・芸妓遊びをするわけではない。お金がかかって大変なことは、夫の母からしばしば聞かされていた。

 義母の生家は、西陣で織屋を営んでいた。多い時には10人以上の職人さんを抱えていたそうな。私たちが結婚したころ、そこは夫の従兄氏が継いでいたが、現在はその息子さんの代になっている。

 義母によると、父親(夫の祖父。私の結婚時にはすでに故人だった)が働き盛りのころ、お茶屋遊びにはまってしまったという。当初は西陣に隣接する上七軒での遊びだったが、そのうちに先斗町や祇園にまで足を伸ばすようになった、と。

 西陣織は、第2次大戦中はずっと「贅沢品」として敵視されていたし、戦後は着物離れが進むばかりで、衰退の一途を辿っていた。そのような大変な時期に芸舞妓遊びにうつつを抜かす父に、義母はずっと怒りを覚えていたそうだ。なまじ手元に小金があるだけに、それで遊んでしまう。
 それゆえ彼女は「商売人とは絶対に結婚しない。月給制の堅いサラリーマンとしかお見合いしない」と決め、希望通りに、会社員の義父とお見合い結婚をした。

     *     *     *

 私が舞妓さんと直接話したのは2回だけである。

 最初は、誰かに誘われて、舞妓さん、芸妓さんがもてなしてくれるビヤガーデンに行ったときだ。
 近ごろ(コロナ前)の祇園甲部では立ち飲み式の店を出していたようだが、私が行ったときには屋外だけれども簡易屋根のあるテーブル席で、浴衣姿の舞妓さんと夏着物の芸妓さんがいた。

 私のテーブルに座ったのは、なんとまぁ(笑)、同郷の=福岡出身の舞妓ちゃん。舞妓さんを目指した動機などを聞き、彼女の決心に感心するとともに、「一番苦労したのはアクセントの矯正」だったという話に、「わかるわかる」と手を叩いて共感した。真っ当なお茶屋組合の主催だったので、彼女たちは客席では、アルコールどころかジュースの類も飲まなかった。


 2度目は、新京極六角にある映画館でのこと。周防正行監督の映画『舞妓はレディ』(上白石萌音主演。2014年公開)を観に行ったら、ほんに可愛い舞妓ちゃんが、普段着の着物で、白髪の男性と2人でやってきた。「孫ですねん」と目を細めるおじいちゃんは、自慢げでかつ嬉しそう。映画見終わったら感想を聞かせてねとお願いし、鑑賞後、本当に意見を聞くことができた。

 彼女によると、映画の内容(田舎者の主人公が置屋で修行を始めるところから「店出し」まで)は事実を忠実になぞっているとのこと。「ようできてる思います」と、彼女は笑顔で話した。

     *     *     *

 ツイッターの女性は15歳で家を出て上京し、バーに行っていたとか。まともなバーなら中学を出て間もない若い娘を店に入れるわけがないので、ヤクザなバーか、あるいは元々誰かを頼って上京し、その人に連れて行ってもらった(連れて行かれた?)のか。仮に15歳で飲酒を始めているとしたら「なかなか」である。だいたいそのお金をどうやって稼いでいたのか??

 置屋もしかり。真っ当な置屋さんは、まず、紹介のない女子は仕込みさんにしない。つてのない舞妓志望者に対しては、親や保護者、あるいは後見人の了承を必ず取る。

 映画『舞妓はレディ』では、インターネットのブログを見てやってきたという少女の祖父母(両親は交通事故で同時に亡くなっている)に会いに、男衆さん(竹中直人演)が出かけていき、少女の亡くなった母親が舞妓さんだったことを確かめ、祖父母の意向を確かめるというシーンがある。

 なお映画で、ヒロインがネットで見たブログを開いていたのは、置屋のお母さんの実の娘である舞妓ちゃん(祇園で300年続く老舗料亭の娘である田畑智子さんが演じている)という設定である。

 ツイッターの女性は8か月の修行で「店出し」してもらったそうだが、これはかなり短い。幼少時から日本舞踊や和楽器を習っていたのならまだしも、そう簡単に、踊り(舞)、唄、鳴り物・・・を習得できるものではない。礼儀作法や茶道、華道といった嗜みも必要だし。

 考えられるのは、ツイッターの書き手は、簡易仕上げの「なんちゃって舞妓」だったのではないかということ。
 
 上記の映画の中にもアルバイト舞妓が2人登場する。映画の脚本が書かれていたころにはすでに、いまツイッターで槍玉に上がっている「伝統文化」を壊す、舞妓促成栽培システムがあったのだろう。

 なんちゃって舞妓&バイト舞妓にしろ、悪質な置屋にしろ、裏で暴力団が絡んでいるケースは考えられる。

 30年近く前、舞妓さん3人が置屋から逃げて、置屋相手に裁判を起こすという出来事があった。彼女たちは新しく「舞妓派遣会社」を立ち上げたが、次第にジリ貧になり、やがて消滅。3人を裏で「支援」していたのは、闇社会の関係者だった。

 裁判は途中で取り下げられた(舞妓さんたちが訴えを取り下げた)らしく、公的な記録は何も残っていない。

 共同通信に、裁判を起こした舞妓さんたちのインタビュー風景を撮った写真がある。有料だが、関心のある方はどうぞ。

 https://imagelink.kyodonews.jp/detail?id=3894363

     *     *     *

 祇園で思い出すのは、京舞井上流。私は、人間国宝だった先代の井上八千代さんをインタビューしたことがあるが、素人ゆえ、「舞(まい)」を「踊り(おどり)」と口にしてしまい、「踊り違います! 舞どす!」と、ドスの効いた低音できつく叱られてしまった。

 気まずい雰囲気になったとき、柱の陰から小さな女の子が顔を出したので、「おいでおいで」と招き入れた。とたんに八千代さんがにこにこ笑顔になられ、場が和んだ。そのおチビちゃんが、先代のお孫さんであり現在の5世である井上八千代さんだ。

 あの凜とした厳しさの中での修業は、それなりの自覚がなければ、たぶん継続できないだろう。

     *     *     *

 映画のことばかり書いてきたが、私はそれを安易に鵜呑みにしたわけではない。舞妓ちゃんの感想を聞いた上で、映画のパンフレットと、「都をどり」の手持ちのプログラムを何冊か抱えて、かつて舞妓さんだった「お母さん」の店に赴いた。

 「お母さん」は良子さんという。祇園・花見小路の置屋に生まれ、幼少時から、舞妓になるべくお稽古を積んでこられた。生家には、仕込みさん、舞妓さんも住んでおり、通いの芸妓さんもいた。

 生家としては、良子さんが芸妓に襟替えして何年か経ったら、屋形を継がせるつもりだったのではないかと思う。

 ところが彼女は舞妓時代に、客の1人として出会った学生さん(関西学院大学生)と恋に落ちてしまう。老舗の若旦那ならまだしも(苦笑)、生活力のない学生、しかもクリスチャンときている。さぞや大騒動になったに違いない。ただ、このあたりについての話を、良子さんは詳しく話してくれない(笑)。


 置屋を廃業したのち、良子さん夫妻は1階を改装して串かつ屋を開いた。カウンターと小上がりだけの小さな店。小上がりは、良子さんの「子ども部屋」だったところで、カウンター後ろの通路部分の奥に、かつては2階へ上がる階段があったそうだ。
 「私が寝ていると、お座敷から帰ってきはったおねぇさんたちがバタバタと音をたてて階段を上っていかはるんです」と。

 私がこの店に通い始めたのは1970年代の半ばごろだ。お店は、ご夫妻と愛犬ペリさん(笑)で回しておられた。子どもさんは2人だったが、別々の生活だった。

 ペリさんもお父さんも亡くなり、良子さんが1人で店を回すようになった後、私はお店が忙しい週末に、バイト料なしで手伝ったことがある。厨房には山科から通いの女性が来ておられたので、私はもっぱら「フロア担当」。お客さんにお箸やおしぼりを出し、奥の冷蔵庫からビールや冷酒を出し、ソースや塩を用意し、補充し・・・。
 ワインオープナーのセットはもともと私が持ち込んだものなので、ワインの注文が入ると、冷えたグラスを揃え、ワインを開栓するのは私の担当だった。

 当時の私は烏丸御池に住んでおり、帰りは揚げたての串何本かをお土産にもらったりして(笑)、鴨川沿いを北上し、三条京阪から地下鉄に乗って帰宅していた。気候の良い日は歩いて帰ったこともある。
 
    *     *     *

 良子さんに「都をどり」のプログラムを見せると、「いや〜、なつかしいわぁ」と、あれやこれやの興味深い出来事を話してくれた。何しろプログラムの演者や広告の中に、旧知の名前が次々に出てくるのだ。

 映画のパンフレットは、数か所に目を留めて読み終えたあたりで「ゆっくり読みたい」とねだられた(笑)ので、差し上げた。


 毎年、年賀状をいただいていたが、ある年、それが届かなかった。ご高齢なので気になったが、夫は「揚げ物はもう胃にもたれるから・・・」という。止むを得ず1人でお店に行ったが、カウンターの見知らぬ女性(私よりかなり年上の方)に、「(良子さんは)亡くなりました」と告げられた。身内の方だったのだろう。

 お店が混んでいたので、改めて出直しますと言って帰ったのだが・・・・・・。

 2019年7月8日夜に起きた花見小路大火事のもらい火で、お店が全焼してしまった。
 なんということだろうと唖然としたが、良子さんが、生まれ育って最後まで愛しんだ生家の焼失を見る前に亡くなっていたのは、もしかすると唯一の救いだったのでは、と、自分に言い聞かせている。

 最近、かの地には新しく小綺麗な木造建築が立ち並んでいるが、「花ぎをん」の名はない。


     *     *     *


 話は大きく戻る。
 
 「元舞妓」さんの矛盾だらけのツイートを鵜呑みにして(あるいは利用して)語る「フェミニスト」さんの態度に、私は「?」を抱く。

 まず必要なのは、提示された問題の「事実を詳らかにし、対処する」ことだと思うが、彼女たちは、「『治外法権』と化している『伝統文化』」総体、ひいてはそれを許容している京都へと、攻撃の対象を論理的整合性なく飛躍させるのだ。

 Twitterの主さんも、現在は削除されているツイートで、「このツイート、絶対京都から怒られるからね。連絡来るの怖いなぁ。 でもね、もう私は負けない。」と書き、冒頭の固定ツイートでも、「京都怖い。」と、自分がいた置屋ではなく「京都」と書く。とても奇妙だ。



 悪者扱いされた京都市民としては苦笑するしかないが、新型コロナによって観光客が激減し、静かな京都を取り戻したこの2年余を思うと、居心地は悪くなかった。

 今後はもう観光業に頼らず、悪徳置屋や関連組織には退場していただき、町屋を買い漁ったり狭小地に基準ギリギリの景観ぶち壊し「投資用マンション」を建てたり老舗を真似た飲食店を市内じゅうに開いたりしている新入中国人(ニューカマー)にも撤退していただき、もちろん、伝統嫌いの皆さんにもご遠慮いただいて、「伝統文化」は細々と維持し、街全体で静かに衰退していけばいいのだと、心から願っている。

 私はすでに深草の丘の上にある京都市営の樹木葬エリアに納骨してもらうことが決まっているので(抽選に当たったのさ! 笑)、丘の上から寂れゆく都を見ていくのも風情があってよろしいと感じている。

 ♪ ふ〜るぅ〜きぃ みぃやぁこぉを〜 来てぇ〜えぇ み〜れぇばぁ〜ぁぁぁ〜 
  浅〜茅ぃ〜がぁ〜原とぞ〜〜〜〜荒れぇに〜け〜るぅ〜

 中学で習った「今様」なり。



プロフィール

はね奴

京都市在住。本・雑誌・DVDの企画・制作。エッセイ講座講師。20代から、労働運動と女性運動の重なる領域に生息。フェミとは毛色が異なる。

コメント&返信
  • ライブドアブログ