日記を書くにあたって、過去に読んだ本を参照するために本を借りるときは、合わせて、気軽な読み物(エッセイ、ミステリー、小説など)も図書館から借りる。考えに煮詰まったりした場合の「気分転換」のためである。
しかし今回は、結果がまるで違ってしまった。性の売買について考えるために借りた「フェミニスト」の本が超絶ひどくてゲンナリした一方、ようやく順番の回ってきた小説から、さまざまな示唆を受け取った。
フェミ本の何がひどいかといえば、性をめぐる事件に対して「何ら新しい要素がない」「なんでメディアは発情するのかな」「興味が持てなかった」「知れば知るほど面白くなりましたよね」という具合に、まるで「浮いた空間」のようなところから面白おかしくおちゃらけて放言するのみ。
得たのは、胸焼けするような悪い読後感だけだった。
* * *
ようやく読むことができたのは、在日コリアンを4世代にわたって描いた長編小説『パチンコ』上下巻である。約700ページの本を2日で読み切った。今、肩こりがひどい(苦笑)。
著者ミン・ジン・リーは、ソウルで生まれ、7歳の時に家族で渡米した韓国系アメリカ人。夫の仕事の都合で、2007年から4年間、東京で暮らしており、その間の取材がベースになって書かれたのが『パチンコ』だという。
読んでいる途中からずっと、1人の女性の面影が頭から離れなかった。
* * *
私がファストフード店でアルバイトしていた1980年代前半のこと。
ある日、中学3年生の女子がアルバイトをしたいと店にやってきた。
採用は高校生以上と決まっていたが、「高校も決まったので、春休みから働かせてください」という。
小柄で抜けるような白い肌。髪の毛は生来の茶色で、瞳はくるり。文字通り「お人形さん」のように可愛い女の子だった。彼女はすぐにバイト仲間のアイドルとなり、彼女と付き合いたがる男子が次々に現れた。
転機が訪れたのは、彼女が16歳の誕生日を迎える少し前だった。市役所から、外国人登録の書類が届いたのだ。
彼女の母親は在日韓国人だったが、その事実を娘に隠していた。「船乗り」の父親はいたが、婚姻届は出していない。いわゆる非嫡出子である。
自分を日本人と信じて疑いもしていなかった彼女は混乱に陥り、荒れに荒れ、高校にも行かないようになった。私は彼女のお母さんと何度か話したことがあり、職場では彼女を見守る立場にあったので、お母さんから相談を受け、彼女の自宅で、お父さんもまじえて話し合う場を持った。
そこで聞いた彼女の生い立ちは切なかった。
父親は日本人だが、彼女のお母さんと知り合う前に、西日本の某港で出会った女性と正式に結婚しており、子どももいた。この女性も在日コリアンで、離婚すれば法的にまた「在日」に戻るので、夫妻関係が破綻していても絶対に離婚に応じない。
そういうわけで彼女は、在日コリアンである母親の子として「韓国籍」になった。
両親は知恵を絞って、在日である事実を娘に隠し通してきたが、当時の外国人登録だけはどうしようもなかったのだった。
話し合いの結果、うちの夫が彼女の家庭教師として勉強を見ることになったが、それも長くは続かなかった。彼女は高校を中退し、伯母(母の姉)の経営する飲み屋でアルバイトをするようになった。当然、未成年である。お店は「在日」の溜まり場だった。
彼女の愛らしさはお店でも評判になり、彼女目当てに通う男性が何人も出てきた。
彼女はそのうちの1人と付き合うようになり、やがて妊娠が発覚。「できちゃった結婚」をすることになった。結婚相手の父親はパチンコ店の経営者であり、彼は後継ぎの長男である。
出産のお知らせをもらい、私はお祝いを手に彼女の婚家を訪問した。ショックだった。
いま私は総合病院の上階にあるURの賃貸住宅に住んでいる。病院職員の単身寮は、道を挟んだ斜め前に建つワンルームマンションだが、かつては、病院と同じ通りにあった。
彼女の義父にあたるパチンコ店主は、空になった元病院職員寮ビルを1棟まるまる買い上げて、自宅兼従業員寮としていた。
いまの団地に引っ越した後、当たりをつけて歩いたが、今はもうそのビルはなく、高層マンションが建っている。
話を訪問時に戻す。
彼女に案内されて、エレベーターで上階に上がる。ドアが開くと、そこはカーペット敷きの廊下になっており、いくつかの部屋のドアが開けっぱなしになっている。
エレベーターのすぐ前の部屋は彼女の義母の衣裳部屋。ふわふわの毛皮コートが複数、ハンガーにかかっている。部屋を埋めるハンガーには派手なブランド服がずらりと並んでいる。
個室の一つが彼女と夫の部屋。そこで赤ちゃんに対面した。
結婚式&披露宴の写真も見せてもらった。パチンコ企業社長の長男とあって、式と披露宴は豪勢で大掛かりだった。
華やかなチマチョゴリ姿の花嫁は、そこら辺のモデルなど敵わないほどに美しかった。チマは大きく膨らんでいるので、彼女のお腹が大きいことは、まるで分からなかった。
遅いお昼時で、夫と義母は別の部屋で昼ごはんを食べているという。
頃合いを見計らって挨拶に行ったが、義母さんの対応は冷淡そのものだった。
韓国の風習をまるで知らず「日本人」として育ってきた「嫁」が、義母さんは気に入らないらしく、「跡取り(孫)」ができたからもう「嫁」に用はないという風情である。息子はマザコンなのか、母親の言いなり。
地域の人たちは、在日のパチンコ屋がこのビルを買ったことに不満らしく、彼女が犬の散歩をするだけでも、「キムチ臭い」と嫌味を言って、拒絶の姿勢を示すのだという。
このままここで暮らしても幸せな未来があるとは思えなかったが、かといって、中卒の在日女性が水商売以外の道で生きていける可能性は、ほぼ想像できない。
日本人との付き合いを嫌悪する夫方の意向もあってか、それ以来、私は彼女と会っていない。
今はすでに50歳を過ぎているはずだ。
* * *
小説『パチンコ』は、そのタイトルからして象徴的だ。
在日差別の根強い日本社会で個人的に「成功」するには、医師や弁護士などの資格を取って開業するか、勉学に励んで大学教員を目指すくらいしかない。それ以外の職業といえば、屑鉄屋や遊興業(その1つとしてのパチンコ屋)だろうか。
物語は、日本が朝鮮半島に侵攻し、植民地支配していた時代(1910年)から始まる。舞台は釜山市の近くにある影島である。
この小説のヒロインであるソンジャは、日韓を行き来している在日コリアンに恋をして妊娠するが、その男には日本人の妻子がおり、結婚できないと知ると、決然と別れる。男はヤクザ(妻の父親が暴力団)で、ソンジャを愛人として「大切に扱う」ことを申し出るが、彼女はそれも拒絶する。
そのような事情を知った上で、ソンジャに求婚する男性が現れる。大阪の教会に赴任する予定のプロテスタント牧師である。結核で死にかけていた彼は、下宿屋(ソンジャの両親が始め、父亡き後は母娘で切り盛りしていた)で手厚く看病され、療養するうちに回復する。
ソンジャも彼の求婚を受け入れて結婚し、2人で来阪。猪飼野(鶴橋近く)に住む牧師の兄(工場勤務)夫妻と同居を始める。
戦況が悪化する中、ソンジャの夫の所属する教会のメンバー(牧師、副牧師であるソンジャの夫、用務員)は警察にしょっ引かれ、牧師と用務員は獄中死する。ソンジャの夫は、拷問の連続で死にかけているところを放り出され、やがて自宅で亡くなる。
長男(ヤクザとの間の子)は超優秀で、高卒後、経理のアルバイトをしながら受験勉強に励み、早稲田大学に進学する。しかし、自分の出生の「秘密」を知ると家族との関係を絶ち、在日であることを隠して、偽名で地方都市のパチンコ屋の経理事務員として働く。履歴書も保証人もなく偽名で就職できる職場は、そうあるものではない。
次男(牧師との間の子)は喧嘩っ早く、何かと問題を起こすが、高校中退後にパチンコ屋で働くようになると、その能力を存分に発揮し、雇われ店長を経て、自らの店を持つようになる。
底辺の生活をしてきた日本人女性と結婚して息子をもうけるが、妻子は酔っ払い運転の車に轢かれてしまう。息子は骨折ですんだが、妻は搬送先の病院で死亡する。
次男は息子が自分と同じような差別に遭わないことを願い、子どもをインターナショナルスクールに入学させる。息子は優秀で、アメリカに留学し、著名大学を卒業して投資銀行に就職するが、そこで日本人の上司に「在日」であることを利用されて裏切られ、解雇されてしまう。
父親は世界的な企業での再就職を望むが、息子は父親の会社を継いで「パチンコ」屋になると決める。
最終章は1989年。下巻はすべて、私が生まれた後の物語である。
* * *
「在日」をテーマにした本はそれなりに読んでいる。映画も見ている。新しいところでは、平野啓一郎著『ある男』を原作とする映画が、今年(2022年)の秋に公開されるそうだ。
https://movies.shochiku.co.jp/a-man/
原作は「在日」という言葉に依存しすぎていて、最後の方ではうんざりしてしまうが、このあたりが「心ある日本人」による小説の「限界」なのかもしれない。文庫になっているので(902円)、関心のある方はどうぞ。読んで損はない。
『パチンコ』が私の心に深く、重く、ズシリと残ったのは、日本以上に儒教の影響が強く、男尊女卑の考え方もきついコリア文化の中で生き抜く女性たちの「気高さ」がリアルに描かれているからだ。
日本の高慢ちきな「著名フェミニスト」連中と、被差別の中でも凛と生きる人々(と、彼女たちを描いた作品)との違いを的確に表現するのは難しいが、読んだ後に残るものがまるで違う。
前者には、どろっとした怨念のようなものを不躾に投げつけられたような汚らしさを感じる。
後者から受け取るのは、ろくでもない社会のありようは事実として受け入れた上で、なお、日々をきちんと生きようとする爽やかなエネルギーのようなもの、である。
しかし今回は、結果がまるで違ってしまった。性の売買について考えるために借りた「フェミニスト」の本が超絶ひどくてゲンナリした一方、ようやく順番の回ってきた小説から、さまざまな示唆を受け取った。
フェミ本の何がひどいかといえば、性をめぐる事件に対して「何ら新しい要素がない」「なんでメディアは発情するのかな」「興味が持てなかった」「知れば知るほど面白くなりましたよね」という具合に、まるで「浮いた空間」のようなところから面白おかしくおちゃらけて放言するのみ。
得たのは、胸焼けするような悪い読後感だけだった。
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ようやく読むことができたのは、在日コリアンを4世代にわたって描いた長編小説『パチンコ』上下巻である。約700ページの本を2日で読み切った。今、肩こりがひどい(苦笑)。
著者ミン・ジン・リーは、ソウルで生まれ、7歳の時に家族で渡米した韓国系アメリカ人。夫の仕事の都合で、2007年から4年間、東京で暮らしており、その間の取材がベースになって書かれたのが『パチンコ』だという。
読んでいる途中からずっと、1人の女性の面影が頭から離れなかった。
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私がファストフード店でアルバイトしていた1980年代前半のこと。
ある日、中学3年生の女子がアルバイトをしたいと店にやってきた。
採用は高校生以上と決まっていたが、「高校も決まったので、春休みから働かせてください」という。
小柄で抜けるような白い肌。髪の毛は生来の茶色で、瞳はくるり。文字通り「お人形さん」のように可愛い女の子だった。彼女はすぐにバイト仲間のアイドルとなり、彼女と付き合いたがる男子が次々に現れた。
転機が訪れたのは、彼女が16歳の誕生日を迎える少し前だった。市役所から、外国人登録の書類が届いたのだ。
彼女の母親は在日韓国人だったが、その事実を娘に隠していた。「船乗り」の父親はいたが、婚姻届は出していない。いわゆる非嫡出子である。
自分を日本人と信じて疑いもしていなかった彼女は混乱に陥り、荒れに荒れ、高校にも行かないようになった。私は彼女のお母さんと何度か話したことがあり、職場では彼女を見守る立場にあったので、お母さんから相談を受け、彼女の自宅で、お父さんもまじえて話し合う場を持った。
そこで聞いた彼女の生い立ちは切なかった。
父親は日本人だが、彼女のお母さんと知り合う前に、西日本の某港で出会った女性と正式に結婚しており、子どももいた。この女性も在日コリアンで、離婚すれば法的にまた「在日」に戻るので、夫妻関係が破綻していても絶対に離婚に応じない。
そういうわけで彼女は、在日コリアンである母親の子として「韓国籍」になった。
両親は知恵を絞って、在日である事実を娘に隠し通してきたが、当時の外国人登録だけはどうしようもなかったのだった。
話し合いの結果、うちの夫が彼女の家庭教師として勉強を見ることになったが、それも長くは続かなかった。彼女は高校を中退し、伯母(母の姉)の経営する飲み屋でアルバイトをするようになった。当然、未成年である。お店は「在日」の溜まり場だった。
彼女の愛らしさはお店でも評判になり、彼女目当てに通う男性が何人も出てきた。
彼女はそのうちの1人と付き合うようになり、やがて妊娠が発覚。「できちゃった結婚」をすることになった。結婚相手の父親はパチンコ店の経営者であり、彼は後継ぎの長男である。
出産のお知らせをもらい、私はお祝いを手に彼女の婚家を訪問した。ショックだった。
いま私は総合病院の上階にあるURの賃貸住宅に住んでいる。病院職員の単身寮は、道を挟んだ斜め前に建つワンルームマンションだが、かつては、病院と同じ通りにあった。
彼女の義父にあたるパチンコ店主は、空になった元病院職員寮ビルを1棟まるまる買い上げて、自宅兼従業員寮としていた。
いまの団地に引っ越した後、当たりをつけて歩いたが、今はもうそのビルはなく、高層マンションが建っている。
話を訪問時に戻す。
彼女に案内されて、エレベーターで上階に上がる。ドアが開くと、そこはカーペット敷きの廊下になっており、いくつかの部屋のドアが開けっぱなしになっている。
エレベーターのすぐ前の部屋は彼女の義母の衣裳部屋。ふわふわの毛皮コートが複数、ハンガーにかかっている。部屋を埋めるハンガーには派手なブランド服がずらりと並んでいる。
個室の一つが彼女と夫の部屋。そこで赤ちゃんに対面した。
結婚式&披露宴の写真も見せてもらった。パチンコ企業社長の長男とあって、式と披露宴は豪勢で大掛かりだった。
華やかなチマチョゴリ姿の花嫁は、そこら辺のモデルなど敵わないほどに美しかった。チマは大きく膨らんでいるので、彼女のお腹が大きいことは、まるで分からなかった。
遅いお昼時で、夫と義母は別の部屋で昼ごはんを食べているという。
頃合いを見計らって挨拶に行ったが、義母さんの対応は冷淡そのものだった。
韓国の風習をまるで知らず「日本人」として育ってきた「嫁」が、義母さんは気に入らないらしく、「跡取り(孫)」ができたからもう「嫁」に用はないという風情である。息子はマザコンなのか、母親の言いなり。
地域の人たちは、在日のパチンコ屋がこのビルを買ったことに不満らしく、彼女が犬の散歩をするだけでも、「キムチ臭い」と嫌味を言って、拒絶の姿勢を示すのだという。
このままここで暮らしても幸せな未来があるとは思えなかったが、かといって、中卒の在日女性が水商売以外の道で生きていける可能性は、ほぼ想像できない。
日本人との付き合いを嫌悪する夫方の意向もあってか、それ以来、私は彼女と会っていない。
今はすでに50歳を過ぎているはずだ。
* * *
小説『パチンコ』は、そのタイトルからして象徴的だ。
在日差別の根強い日本社会で個人的に「成功」するには、医師や弁護士などの資格を取って開業するか、勉学に励んで大学教員を目指すくらいしかない。それ以外の職業といえば、屑鉄屋や遊興業(その1つとしてのパチンコ屋)だろうか。
物語は、日本が朝鮮半島に侵攻し、植民地支配していた時代(1910年)から始まる。舞台は釜山市の近くにある影島である。
この小説のヒロインであるソンジャは、日韓を行き来している在日コリアンに恋をして妊娠するが、その男には日本人の妻子がおり、結婚できないと知ると、決然と別れる。男はヤクザ(妻の父親が暴力団)で、ソンジャを愛人として「大切に扱う」ことを申し出るが、彼女はそれも拒絶する。
そのような事情を知った上で、ソンジャに求婚する男性が現れる。大阪の教会に赴任する予定のプロテスタント牧師である。結核で死にかけていた彼は、下宿屋(ソンジャの両親が始め、父亡き後は母娘で切り盛りしていた)で手厚く看病され、療養するうちに回復する。
ソンジャも彼の求婚を受け入れて結婚し、2人で来阪。猪飼野(鶴橋近く)に住む牧師の兄(工場勤務)夫妻と同居を始める。
戦況が悪化する中、ソンジャの夫の所属する教会のメンバー(牧師、副牧師であるソンジャの夫、用務員)は警察にしょっ引かれ、牧師と用務員は獄中死する。ソンジャの夫は、拷問の連続で死にかけているところを放り出され、やがて自宅で亡くなる。
長男(ヤクザとの間の子)は超優秀で、高卒後、経理のアルバイトをしながら受験勉強に励み、早稲田大学に進学する。しかし、自分の出生の「秘密」を知ると家族との関係を絶ち、在日であることを隠して、偽名で地方都市のパチンコ屋の経理事務員として働く。履歴書も保証人もなく偽名で就職できる職場は、そうあるものではない。
次男(牧師との間の子)は喧嘩っ早く、何かと問題を起こすが、高校中退後にパチンコ屋で働くようになると、その能力を存分に発揮し、雇われ店長を経て、自らの店を持つようになる。
底辺の生活をしてきた日本人女性と結婚して息子をもうけるが、妻子は酔っ払い運転の車に轢かれてしまう。息子は骨折ですんだが、妻は搬送先の病院で死亡する。
次男は息子が自分と同じような差別に遭わないことを願い、子どもをインターナショナルスクールに入学させる。息子は優秀で、アメリカに留学し、著名大学を卒業して投資銀行に就職するが、そこで日本人の上司に「在日」であることを利用されて裏切られ、解雇されてしまう。
父親は世界的な企業での再就職を望むが、息子は父親の会社を継いで「パチンコ」屋になると決める。
最終章は1989年。下巻はすべて、私が生まれた後の物語である。
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「在日」をテーマにした本はそれなりに読んでいる。映画も見ている。新しいところでは、平野啓一郎著『ある男』を原作とする映画が、今年(2022年)の秋に公開されるそうだ。
https://movies.shochiku.co.jp/a-man/
原作は「在日」という言葉に依存しすぎていて、最後の方ではうんざりしてしまうが、このあたりが「心ある日本人」による小説の「限界」なのかもしれない。文庫になっているので(902円)、関心のある方はどうぞ。読んで損はない。
『パチンコ』が私の心に深く、重く、ズシリと残ったのは、日本以上に儒教の影響が強く、男尊女卑の考え方もきついコリア文化の中で生き抜く女性たちの「気高さ」がリアルに描かれているからだ。
日本の高慢ちきな「著名フェミニスト」連中と、被差別の中でも凛と生きる人々(と、彼女たちを描いた作品)との違いを的確に表現するのは難しいが、読んだ後に残るものがまるで違う。
前者には、どろっとした怨念のようなものを不躾に投げつけられたような汚らしさを感じる。
後者から受け取るのは、ろくでもない社会のありようは事実として受け入れた上で、なお、日々をきちんと生きようとする爽やかなエネルギーのようなもの、である。